2026年2月3日 ビザ&労働許可証更新に行きました。
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、おはようございます。
偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。
ただの日記です。
情報ゼロです。
ルークナムマニアの人だけ読んでください(笑)
今の会社に転職(出戻り)して3回目の更新となりました。
早いものです。
日本人担当総務のスタッフが、8:30の予約をしてくれまので、5:00にプラチンブリを出発しました。
前回(先月)行った時、6:00にプラチンブリを出ましたが、新人ドライバーが3時間以上かかりました。グーグル先生を使い、めちゃくちゃ遠回りさせられていたのです。
元気で愛想のいい新人君は、プライベートで時間に余裕のある時ながいいですが正直『使えねえ』と思いました。
仕方ないですが、くっそ態度の悪い古株ドライバーで行きました。
1時間半でつきました。
さすがです。見直したぜ。
駐車場に到着し、ワンストップへ向かいます。8:00にならないとエレベーターに乗らせてもらえませんでした。
パンを食べながら待ちました。
行ってきます。
まだガラガラでした。
総務のスタッフが全部やってくれますので、ルークナムはぼーっとしてました。
総務がいなくて外部業者に委託する会社も多いので、なぜか…少し派手めな化粧の濃いスタッフも大勢いて、書類を持って走り回っております。
ここからは撮影禁止エリアだったので写真はないですが、
ビザの更新&労働許可証は、無事に延長出来て、2028年までの滞在許可&労働許可を頂きました。
10:00過ぎにさくっと終わりました。
朝早くからスタッフが付き合ってくれたので。
早めのランチをご馳走しました。
久しぶりに食べた日本のカレーです。
13:00過ぎには会社に到着出来ました。
良かったです。
最近、就職紹介会社に登録してないですし、タイに来たての現地採用のお友達もいないので、タイの就職事情は分からないですが…。
ルークナムからタイ働きたい方にアドバイスをするならば。
◆タイを好きであれ。
タイの悪口、タイ人の悪口を言いながら過ごすほど意味のないことはないです。帰れ。
◆タイに来たからと言って、バラ色な生活があるわけではない。そこを理解する。
◆(タイ滞在に関する)人の意見に振り回されない。
◆運気を上げていい会社・いい人に出会う。変な会社(人)は避ける。
◆直感を信じる。
少しでも『ん? ちょっと合わないかも?』と思ったら止める。
◆自分の力量に応じた給料をもらう。最低である必要はないし、望みが高すぎてもよくない。
◆美味しすぎる話には飛びつかない。
◆失敗してもくじけない。次がある。
ルークナムは、ネットがない時代にタイに来て、就職紹介会社すらほぼなくて、タイ語もほぼ出来なくて、バカにされたり下に見てくる人にも会いました。
当時は、無料情報誌の『求職&求人コーナー』で就職活動をするのが一般的でしたから。今は、それに比べたら恵まれていると思います。情報収集という意味でいろいろ調査するのはいいですが、鵜呑みにする必要はありません。
ということで1996年に初めてタイに来たルークナムの体験談となります。もう古くて今の人には参考にはなりませんけれども、書いておきます。(※以前、やっていたFC2のブログからの転載です。)
①日本からタイへ期。
日本でOL生活を数年続けていた私は、飽きてきたな~と思っていました。
家に帰れば、嫁に行けと言われ、なんだか いつも息苦しくて居心地が悪かった私は、「ちょっと半年くらい旅行に行きたいな♪」って思いました。ちょうどバブルがはじけて、少しでも社員を減らしたいと思っていた会社は、辞めたいと言ったら、会社都合にしてくれて、退職金をいっぱいくれたのです。ラッキー♥
その時、タイ語を勉強していた私は、「タイって就職口あるのかなー?」と漠然と考え、当時、辞書を発行していた出版会社3社に手紙を書きました。
今考えるとすごいのですが、返事をくれて会って下さったのが、”小林株式会社の小林さん”でした。
その時1回きりしかお会いしていないのですが、タイの就職状況を説明して下さり、コーヒーをおごって下さったと思います。
まだいらっしゃるならお会いしたいです。
まあ、あわよくば、なんか事務の仕事でもないかなーなんて思いましたが、私の思い通りにいくはずもありませんでした。
無謀でした。

②タイ国内旅行そして、タイ語学習期。
その後、列車でタイを南下し、マレーシアで観光ビザのダブルをとり、そのまま列車&バスでイサン→チェンライ→チェンマイ→バンコクと1ケ月くらい旅行しました。
「旅行している場合じゃない、早く仕事を探した方がいい!」と言ってくださった小林さんのアドバイスを無視してしまいました(涙)
「まずは、タイ語勉強しよう!」と思って、生活費の安そうなチェンマイに行き、日本語ペラペラのタイ人ガイドに部屋を探してもらいました。
チェンマイを選んだのは失敗だったとすぐに気がつきました。当時のチェンマイには、まともなタイ語学校がひとつしかなく、そこの生徒は、年老いた欧米人ばかりでした。授業は英語、欧米じじい達は、覚えが悪いので、授業は進まね~、進まね~(涙) 同じこと何回聞いているんだよ、ってイライラが止まりません。
こんなんじゃ、私の時間と金がもったいない、と見切りをつけ、バンコク週報の求人欄でせっせと自分に合う仕事を探し始めました。
そうです。
無謀なんです。
③面接&就職期。
ランプーンの工業団地のとある会社で面接をし、一次審査は受かったものの、社長の奥さんである専務に二次審査で見事、落とされました。タイ語が仕事レベルではなかったんです。
しかし、神様は私を見捨てず、チョンブリの成型会社に潜り込むことになります。
給料は20,000バーツ。多分、違法です。それでも、「わあ、タイで働ける!」って嬉しかったんです。
ところが、朝、出社すると、、「○○ちゃん、今日もかわいいなー♡」「うわ、このブス、仕事しているのかよ。」とスタッフたちをキャバ譲扱いするような、バカ社長がいました。当時まだ若くてそんな日本人に会ったことのなかった私はショックを受け、この会社にいるのも長くはないなと確信したのでした。自分のスキルが、そういう会社にしか雇ってもらえなかったという現実を目の当たりにしました。
そんなバカ社長なので、日本人(ルークナム)を雇ったものの、何をやらせたらいいのか分からず、放置。「適当にやってよ!」って言われました。ぼーっと机に座っているまま2ケ月が過ぎ、我慢の限界が来たので、退職届を出して(スタッフに社長に渡すように頼んだ)、その日から会社に行かなかったバカ現採とは、私のことです。
当然、「私は悪くないし!」と思っているので、社長からの連絡は無視し、荷物をまとめてバンコクへ移動しました。バカ社長とバカ現採、どっちもどっちです。
無謀というより、何も考えてません。
当時のバンコクでの就職活動と言ったら、情報誌が頼りです。
求人募集は有料だったのですが、求職記事は無料だったので、当時あった2つの日本語無料情報誌とバンコク週報に求職記事を載せてもらいひたすら部屋で待つ生活をしました。
そうです。まだ携帯がない時代です。インターネットがない時代です。メールは、HOTMAILしかない時代です。
電話がかかってきたのが、ゴルフ場のレセプション、ホテルのレセプション、鉄鋼会社の資材でした。
ここから、私の資材マン(資材ウーマンですが)への道が始まるのですが、まあ、運がよかったとしかいいようがありません。
(→ルークナムは運がよかった、と思っております。『現採なんて、底辺だ』と思っている方は、そう思っていてください。ルークナムには関係ありません。)
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる。みつを。」
その後、
④鉄鋼会社で本社・現地法人の争いに巻き込まれる期。現地法人の社長が留置所にはいるというものすごい経験をしたのもこの会社でした。
⑤本気でちゃんとした会社を探す&地方の工場(2,000人レベル)をまんまと騙し8年勤める期。
⑥体調を崩し地方にいるのが不安になりバンコクへ移動。営業マンを5年やってみるもいろいろあって、赤服デモの時に転職をする期。
⑦給料はめちゃくちゃよかったけど、ブラック企業に入ってしまい、心が壊れる期。途中から社長が酒乱になり、もうなんか変な雰囲気になっていました。
⑧転職がしたくて、⑤の会社の社長に連絡を取り、見事に出戻りを果たす期。コロナ真っただ中で、なんなら会社低迷期の中、駐在員として働かせて頂く。
⑨今ここ。
というワケで、何も考えていない方が、なんとかなります。
えへへ。
ルークナムの応援よろしくお願いします。












