シャルル・二コラ・バザンについて、書こうと思います。
バザン ファミリーは弓職人、ヴァイオリン職人がおおくて、
ファミリーツリーを書くと
こんな感じです。
薄くて見にくいですね・・・
データはミランさんの本より。
職人以外の名前が並ぶとややこしいので、バイオリン関係者でない人は、〇で空白にしました。
Charles Nicolas Bazinはファミリーの中に二人おり、ここで紹介しているのは、
”Ⅱ”とあるように、二人目です。
彼の叔父にあたる人物が、同じ名前です。
あと、tarisioのHPでは、一人だけ、同一人物が違うところにつながってます。
”Emile Joseph Bazin”が、同じ名前の叔父”Charles Nicolas Bazin”の息子として書かれている点です。
ミランさんの本だと、この記事で書くCharles Nicolas Bazin Ⅱの長男です。
バザンファミリーが栄えたのは、トルテが弓の大改革を終えたのちなので、現代の形の弓がメインになります。
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
C.N.バザンは、1847年にミルクールで生まれました。
父はFrançois Xavier Bazin。
12歳から、父の下で修業を始めます。
普通、この時代の職人の子供で、普通教育を受ける子供は少ないらしいです。
が、C.N.Bazinは父の下で修業するまでは、学校に行っていたようです。
1860年、彼が13歳の時、弓の形の流行の転換期でした。
それまではやっていたのは、Peccatte型で、ヘッドが角ばっています。
それが、Voirinの丸みを帯びた形が好まれるようになります。
ですが、C.N.bazin流行を特に求めず、ミルクールタイプ従来の形で作っていったそうです
(どんな形のことなのか・・・勉強不足でわかりません
トルテ型?ということでしょうか・・・。)
彼はこの初期の時代、
印を”Francçois BAZIN”とし、
書類の上では”BAZIN Fils”(バザン 息子)として、活動しています。
彼が18歳になった時、父がコレラで他界してしまいます。
まだ独立するまで十分なことを身に着けていなかったC.N.Bazinに、
亡き父の親友がいろいろと指導・手助けをしてくれました。
その親友は、Claude Charles Nicolas Hussonです。
1867年、ミルクールで従妹と結婚します。
二人は3人の子をもうけ、
長男Emile(エミール/Tarisioサイトでは叔父の息子とされている)と三男Chales Louis (シャルル・ルイ)は弓職人に、
次男のGustave(ギュスタヴ) はヴァイオリン職人になります。
Gustaveの楽器を見たことがあるのですが、
ミルクールの特徴が出ていたように思います。
私の見た楽器は、アウトラインと、各部の彫りがしっかりしていて、真っ赤なニスでした。
なお、長男は途中までは弓職人でしたが、
のちに音楽教師へと職業を変えています。
1880年~85年、彼が33歳~38歳の時、印を変え、
”C.BAZIN”としました。
弓のスタイルも少し変わっていき、ヘッドは釣り鐘型になります。
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
この辺でいったん、切らせてください![]()
この時期も、フランスの歴史は目まぐるしく、
まず1830年に起きたMonarchie de Juillet 7月王政は、1848年に終わります。
C.N.Bazinの生まれた翌年です。
La Deuxième République 第二共和制 が起きますが、たった4年でつぶれます![]()
政府に対する労働者やらの不満が膨らみ、
幅広い層から支持を得た Louis Napoléon Bonaparte ナポレオン三世の
Second Empire 第二帝政へつながります。
1852年に起きたナポレオン三世の第二帝政ですが、1870年に終わります。
現ドイツ(当時はプロイセン王国?)との幾度かによる戦争で負けたことが、
第二帝政終わりの決め手なようです。
ついでに、1871年からプロイセンはドイツ帝国にまとまるようです
1870年から第三共和政になり、1940年まで続きます。
C.N.Bazinが23歳の時に、ようやく目まぐるしい転換期が終わりました!
関係ないですが、今のマクロン政権は、第五共和制です。
数えて今が5番目です!っていう認識が、なんか、すごい。
そういえば、テレビで政治の話をしている人たちもよく、
「ナポレオンがどう」とか、「ルイ14世はこうだったから」とか、
よく昔の偉人の例を挙げたりしてるような・・・?
日本も、「信長はこうした」とか、「家康が~」とか、言いますっけ?
いや、ニュース事態実はよく見てなかったり、
フランス語よくわかってなかったりするので、
あまり勝手なこと言えないけど![]()
なんとなくですが、昔があって今につながっているっていう、
フランス人の自国愛を感じます![]()
良いなと思ったら、押していただけますと、励みになります![]()
