今日も、弓職人について、調べてみました本

今回は、ドミニク・ペカットのことを書こうと思います。

相変わらず、、カタカナで何と書くのが正しいのか、わかりませんぶー

長くなったので書ききれず、ドミニクの後編はこちらです赤薔薇

 

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ドミニクは、1810年、Mirecourt ミルクールの裕福な家庭に生まれました。

父は鬘を作る職人でした。ウィッグ師?と言えば良いのでしょうか。

そのうえ、ワイン畑を2つ所有していました。

当初Dominiqueも、父の後を継ぐため12歳でウィッグ師のことをを学び始めたようです。

 

丁度そのころ、パリではかの有名な、J.B.Vuillaume ヴィヨームが、若く才能ある職人を探していたようです。

Vuillaumeはその時、Mirecourt ミルクールにいる弟を通してドミニクのことを知りました。

こうしてドミニクは、楽器作りの世界へ入ることになったようです。

でも、どうして鬘作りから、楽器のほうへ変更しようと思ったのでしょうね?

そこのところは、詳しく書かれておらず、わかりませんでしたぼけー

 

ヴィヨームはドミニクと会いすぐに、ヴァイオリン職人ではなく、弓職人のほうへ進ませることを決めました。

彼は、J.P.Persoit の下で、弓作りの修業を始めます。

瞬く間に上達したようです。

私とは大違い笑い泣き

 

1830年、問題が起こります。

兵役の歳です。

が、ここで、ヴィヨームが多額のお金を払い、兵役を免れることができました。

”Titre onéreux”=費用の掛かる手続き、みたいな、抜け道が公式にあったようです。

このことから、ヴィヨームがどんなにドミニクの腕を重宝していたかがわかります。

 

 

 

1835年に、結婚しますクリスマスベル

その時、G.CHANOTシャノが証人として立っています。

 

余談ですが、フランスの結婚システムには、”Témoin”テモワンというのがいます。

直訳すると、”証人”です。

これは今も残っていて、結婚するときは、まず市役所、区役所へ行き、

市長、区長の前で、新郎新婦はサインをします鉛筆

そこの立会人として、証人が必要です。

今は、特に何をするわけでもなく、ただいるだけなのですが、昔は何かしたのでしょうか?にやり

この、区役所での一連の儀式には、披露宴に招待したい友達、親族を呼んで、みんなでやる人が多いです。

現代の流れは、

区長が”生涯どんな時もともにいることを~(以下略)”的なことを言う→サイン→誓いのキス

のような流れだったような・・・

私は日本の結婚式に行ったことが実はないのですが、

たぶん、日本の教会を模した結婚式の流れと、近いでしょうか?

 

ということで、きっとシャノも、ドミニクやヴィヨームと

仕事の上でも近い関係にあったと思われます。

その後、1836年に長女が生まれたとき、

洗礼の代父母をVuillaume夫妻が務めています。

兵役のことやら、ドミニクとヴィヨームはとても良好な関係で、

ドミニクは長い間ヴィヨームのために働いたようです。

ただ、1836年、ドミニクはF.Lupotのところで働いた形跡もあるみたいです。

ヴィヨームとの良好な関係を考えると、両方に籍を置いていたのか、、、とりあえずヴィヨームが、

自分と仲の良い職人の下で働くことも許可したのでは、という線が強いようです。

 

 

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長いので、この辺で切らせてくださいアセアセ

ここからは、余談になります。

 

ドミニクのに兵役の義務が来た年、つまり1830年フランスは、とても不安定な時期でした。

というのも、ちょうど7月革命の起きた年だからです。

フランスの歴史の流れは、

 

1814年 ナポレオン没落

       ↓

    王政復古でブルボン王朝復活 ルイ18世

                         シャルル10世

       ↓

1830年7月29日 7月革命で7月王政の時代へ  立憲君主制 ルイ・フィリップ

 

ルイ・フィリップはブルボン家の支流で、オルレアン公爵家です。

王の次男や弟などが継いだ、格式高い家系です。

 

 

トルテも、活動中にフランス革命が起きてますし、大変な時代ですねショック

丁度その時に、王家などの庇護下にあった芸術家などは、

革命後だいぶ活動しにくくなったりしてガーン

 

あとは、ワイン畑二つ・・・二つって、どう数えるんでしょうか。

1つの大きさが決まっているのか、それとも、二つのドメーヌを持っていた、ということでしょうか?

ちょっと気になりますにやり

・・・・