山縣美季さんリサイタル@2024/4/13佐川文庫 | カラフルトレース

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明けない夜がないように、終わらぬ冬もないのです。春は、必ず来るのですから。

人はなぜ春を待つのか。

答えは様々考えられるが、根本的なことを言えば「冬があるから」だろう。

初めて訪ねた佐川文庫の入り口は花々に彩られ、ホールの「木城館」には豊かに桜が寄り添っている。

受け取ったプログラムを見ながら、山縣美季って春の季語にならないかな、と一瞬でも脳を過ったのを許していただきたい。

 

 

以下、本日のお品書きである。

  • ラモー:クラヴサン曲集と運指法 第1番(第2組曲) 鳥のさえずり
  • リスト:シューベルトの12の歌より
      セレナード「聴け、ひばり」
      水に寄せて歌う
      海の静けさ
      春の想い
  • メシアン:前奏曲集より 風のなかの反映
  • フォーレ:舟歌 第2番 ト長調 Op.41
  • ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
  • シューベルト:ピアノ・ソナタ 第18番「幻想」 ト長調 D 894 Op.78
美季さんのプログラムはおおよそ二種類に大別できる(柑橘類個人調べ)。
新たな自分に出会う回か、ありのままの自分を素直に出す回だ。
過去2回の浜離宮は前者で、新潟りゅーとぴあは後者。
そして今回も、典型的な後者と言えるだろう。
 
プログラム構成もピアニストの実力の指標、と何度も主張しているが、美季さんは毎回プログラムを練りに練っているのがよく分かるし、今回のように統一されたテーマが明らかだとこちらも嬉しくなる。
佐川文庫のサイトでリサイタル開催が告知された時から「自然の風物とト長調を愛する回だな」と勝手に恵比須顔で納得していたが、どうも開演後の挨拶を聴くに予想は外れていなかったらしい。
 
佐川文庫のホールは素晴らしい空間だ。
奏者も観客もまるごと包み込む木の優しさ、小さな会場ならではの親密な温もり。
今日はステージに柔らかな桜の木も飾られており、美季さんはその桜が本物だと気付いてさらに心が潤ったとのこと。
分かる。こういう会場、お好きですよね。
数多い山縣美季の美質のひとつに「心が満ち足りるとそのまま音の充足感となって現れる」があるが、今回はまさにそれを体現していたし、彼女自身、やたら格式ばった空間より人や自然の温度が肌で感じられる会場の方が心を開いて演奏できるのかもしれない。
 

 

まずはラモー。
「鳥のさえずり」による幕開けが、自然の風物というテーマに相応しいのは当然ながら、ホ短調であることも、今回のもう一つのテーマであるト長調の平行調である。そこまで狙ったかは不明だが。
YouTubeの動画を巡回するに「鳥のさえずり」は、人によってかなりテンポが違う。正直なところ、技巧アピールが主目的であろうハイスピードさえずりも散見された。
だからこそ、焦らず走らず自分のペースでさえずっている美季さんの演奏には、極めて無理のない好感を抱けたのだ。それが「上品」という印象に繋がるのだろう。
美季さんのバロックはバッハしか聞いたことがなかったが、丸みを帯びた粒で端正に紡がれるラモーが結構好きだったので、今後もぜひラモーやらクープランやら、開拓してほしくなる。
ラモーを弾き終わった後の挨拶で、この一曲目を「鳥の挨拶」と評していたのが大変癒された。
 
自然は美しいだけでなく恐ろしさも秘めている、という挨拶内での発言は、次のシューベルト=リストの歌曲トランスクリプション群で如実に表明されていた。
シューベルトの歌曲の中でも、自然に寄り添ったテーマばかりを厳選した曲目。
ラモーから「鳥」つながりの「聴け、ひばり」は、同じ鳥でも表情を変え恋の喜びに溌溂と鳴く鳥だ。
「水に寄せて歌う」は舟遊びの様子を描いた曲だそうだが、流れるような気品の中に寂しさが分かちがたく、典雅な娯楽の本質を描き出す。
淡水は海へと繋がっていく。「海の静けさ」は前曲で匂わされた仄暗さが、そのまま前面に引きずり出される。海は静けさの下に、どれほど多くのものを吞み込んできたのだろう?
そして暗闇の先には光が待つ。冬の先で待っているのは、春だ。「春の想い」というテーマだけなら、浮かれポンチになってもおかしくないところだが、美季さんの想う春は、背後に冬の存在がある。
一見、喜びに始まり喜びに終わっているようだが、仄暗い時間を経ても、いや仄暗い季節を経てこそ、明るい春に帰り着くという過程に、美季さんは重きを置いているのかもしれない。
 
山縣美季は美しさと優しさで音楽をやっている、というLINEをフォロワーに送り付けたことがあるが、この「優しさ」というのが結構カギで、底抜けの明るさや手放しのハピハピハッピーとは性質を異にしている。
冬があるから春が来て、冬が長くても春は来る、という時間の流れが、彼女の音楽には宿っている。
だからこそ、彼女の音楽でしか癒せない心情があるのだ。
 
メシアンは完全に初めましてだし、メシアンのことを前衛瞑想鳥好きおじさんだと勝手に思い込んでいたので、美季さんの演奏で聞く日が来ることをあまり想定していなかった。
しかし想像以上に第一印象が良くて、そういえば美季さんって曲を整理するのめっちゃ得意な方だったな、と当然すぎる事実を思い出した。
「風の中の反映」というタイトルだが、風はその強大な力によって、綺麗なものもそうでないものも、柔らかいものも硬いものも、全て一緒に巻き込む混沌をもたらしうる。
弾く側もその混沌に巻き込まれてしまうと、全然わかんねえ…のまま終わってしまうのがメシアンの怖さであり、少なくとも今日わたしが聞いた限りでは、美季さんの演奏は混沌に呑まれていなかった。
 
これはうっすら聞きかじっただけだが、パリ国立高等音楽院は近現代の音楽とアナリーゼに注力しているらしい。メシアンが「近現代」の重要人物なのは言うまでもないが、コンセルヴァトワールのアナリーゼ教育の礎を築いたのは外ならぬメシアンだ。
美季さんがパリでどんな薫陶を受けて帰ってくるか、そういう点でも楽しみになってしまう。
 
フォーレはすっかり、山縣美季を構成する重要な作曲家の一人である。
今日演奏された舟歌の2番は、そこまで取り上げられる頻度が高くないが、フォーレの舟歌の中でも素朴な明るさを誇る珠玉の一曲だろう。
静謐な美しさや淡い甘さで語られがちなフォーレの音楽は、実はかなり不穏な和声を孕んでいる(これは自分が弾いて苦労した私怨も若干、ある)。
そしてフォーレのフォーレらしい晦渋さの芽は、初期作品でも不穏さの方にしっかり宿っているわけで、この芽をひとつひとつ摘まんでいけるかが、フォーレ演奏に奥行きを持たせる決め手になる。
今日の舟歌2番のようにシンプルな曲だと、その傾向はより如実になるのだな、と相変わらず「手放しのキラキラ舟歌」からは慎重に身を引きつつ、しかし水面の透明感は曇らせない美季さんの演奏によって再確認した。
 
そしてショパンの舟歌。これは名曲であり、黄昏の輝きだ。
生を終える間際に特有の爛熟した香り、というのは花のみならず音楽や建築にも共通している。
終焉を目の前にしてなお、絶望することなく放たれる最後の輝き。ショパンの「舟歌」もそういう作品のひとつだろう。
24のプレリュードを演奏した回以来「山縣美季さん嬰ヘ長調好き説」を一人で提唱しているが、嬰ヘ長調というのは現世から最も乖離した浮遊感をもたらす調で、それは時に明るい夢かもしれないが、別の時には足元のおぼつかない不安でもある。
この嬰ヘ長調の両義性が、なんとなく彼女の表現したい世界に近そうな気がするのだ。
生死の境界すら揺れそうな夢幻が、舟歌のあまりに息の長いフレーズの中で紡がれていく。
ショパンの「舟歌」に何を求めるかは人によって違うだろうけど、美しさと不安と縋りたくなるような夢とそれでも口ずさんでしまう歌と、全て重ね合わせて観測できる波のような輝きを求めるのなら、美季さんの演奏はかなり良い選択ではないだろうか。
 
前半の衣装、見て笑顔になってしまった。
これベートーヴェンの協奏曲の4番を演奏した時の、朝焼けみたいな衣装だよね!?
やっぱり自然に寄り添いたいときにはこの衣装が出てくるんだね。
一方、後半の衣装はスタイリッシュなターコイズブルー。よく見るとパンツスタイル。
かなり洗練されたシルエットと布のラインで、そういうのも似合うね🥰好きだよ🥰になったってワケ。
 

チケットのデザイン、本の栞みたいで超かわいい

 

2022年夏の新潟以来のシューベルト、幻想。
シューベルトのソナタについて、2021年春に13番を演奏していた時は「天国的な長さ」に言及していたが、確かに2022年夏に聞いた「幻想」ではその「長さ」の存在意義にタルコフスキーみたいだと思いを馳せ、そして今回は「長いはずなのにもっと続いてほしくなる」という新たな境地に至った。
というか美季さんにこの「幻想」ソナタが似合いすぎているのよ。
シューベルトの晩年のソナタは、どれも傑作の美しさを誇りつつ、死期でも悟ったかのような(実際シューベルト本人はそうだったかもしれない)絶望や諦念が随所で大きな口を開けている。
もちろん21曲の中の18番目に位置する「幻想」にもその傾向は見られるが、個人的には19番以降にはない、日常の延長線上のような穏やかさを感じられる。
家族に語りかけるように静かに始まり、何気ない会話の一部だと言わんばかりに、さりげなく終わっていく。
その肩の力が抜けた「親密さ」が、美季さんの音楽の本質と近しいところにありそうなのだ。
「幻想」は言うまでもなく長い曲だ。40分弱もある。それでも疲れないし、退屈もしないし、ずっとその心地良い流れに身を委ねていたくなる。これが「続いてほしい」という願望の正体なのだろう。
そういう点では前回以上に、シューベルトの音楽の本質に迫った演奏だったかもしれない。
 
あっ、正直なことを言いますとね、「幻想」以外の後期ソナタも聞く機会、欲しいな…(両手で巨大なハートマークを作りながら)
 
最近は美季さんのプログラムを見てアンコールを想像するのもひとつの楽しみとなっている。
1曲目のショパンのノクターンOp.37-2は、絶対やるだろうなと思っていたら予想通りであった。
(予想→https://x.com/ClarteDouce/status/1747824709545390387

だってこれ、ノクターンだけど実質舟歌みたいなもんだし、ト長調だし

久々に耳にした37-2は安心安全の落ち着きを誇っていたが、2021年に聞いた時より伸びやかな麗らかさが増しており、まさに薔薇色という響きをしていた。
 
これで2曲目何が来るのかな~と思ってたんですよ。
最近「もう1曲!」のジェスチャーしながら出てくるの、とても可愛らしくて好きです。失礼しました。
わたしの予想:シューベルトのアヴェ・マリア(リスト編)
実際に出た曲:幻想ポロネーズ
 
ほんまかいな!?
 
新潟のアンコールでバラード4番が出てきた時も「待って…」となったが、今回はそれ以上に「嘘やん」とビックリした。
アンコールだからと言って軽い曲が出てくるっていうのはオタクの思い込みなんだよな、もう。
いや、まあ、過去の演奏会で「幻想」テーマにシューベルトの幻想と幻想ポロネーズをセットで組んでた回があったから、完全に荒唐無稽というわけではないのだが、でも驚きはする。
 
幻想ポロネーズは舟歌以上にショパンの黄昏めいた曲だが、美季さんの幻想ポロネーズはやっぱり生への希望が絶たれていないな、と。
どれほどの暗闇に突き落とされても、光の方へ歩み、生きようとすることを止めない。
そういう前向きさが、いつかわたしが人生つらいなと感じた時になって、そっと背中を押してくれるかもしれない、そんな演奏であった。
 
今回はサイン会があった(めちゃくちゃありがたい!)上に、それを事前に想定できていなかったので、会計資格勉強系柑橘類はプライベート用の電卓の裏側にサインをいただきました
🍊「すみませんね美季さん、電卓とかサイン書かれたことないと思うんですが」
美季さん「これが最初で最後ではないかと思います…笑」←それはそう
 
ちゃんとプログラム冊子にもサインをいただいたので、帰りはその余韻を反芻しながら梅酒を堪能しましたとさ。めでたしめでたし。