人生初の宝塚大劇場に行ったら昔の同級生がナートゥを踊っていたしデカい羽根を背負っていた件について | カラフルトレース

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明けない夜がないように、終わらぬ冬もないのです。春は、必ず来るのですから。

兵庫県の宝塚大劇場へ行ってきた。人生初である。

こう話すと「意外ですね」と驚かれるのだが、わたしが足を踏み入れたことがあるのは日比谷の方で、それも2回だけ、知人の誘いを受けてのことだ。

というわけで「積極的な宝塚ファン」からは程遠い筆者が、なぜ大劇場へ向かうことになったのか。話は昨秋に遡る。



実は――Twitterでは何度か言及済みなので「実は」でも何でもないが――筆者の昔の同級生に、宝塚の劇団員がいる

当時から運動神経抜群で輝かしいオーラを放っていた彼女、一方で休み時間に奇妙な漫画を描いたりウ〇コの替え歌を作って踊っていたりした筆者。お世辞にも親しい交流があったと言えない。

なので「ずっと応援していました!」など名乗るのは烏滸がましいにも程があるが、さすがに赤の他人ではない訳で、自然と肩入れはしてしまう。

肩入れはしていたが、舞台を見たことはなかった。

「スケーターよりは全然キャリア長いでしょ」「チケットだってその気になればいつでも取れるし…」と、無知ゆえに胡坐をかいていたからだ。

という経緯を知っている付き合いの長いフォロワーと、浅草の神谷バーで盃を交わしたのが去年の秋。
宝塚に詳しい彼女は「アホか」と言わんばかりの呆れ顔を筆者に向けた。

「あの人、トップスターになる日も近いじゃないですか。トップスターになったらもう、引退が近付いているということですよ」
「はい!?」
「しかもあの組、結構人気なのでチケットもそう簡単には取れませんよ」
「ええ!!??」

本当に何も知らなかった。見られる機会を悠々と逃し続けて気付けば引退、という惨劇の可能性。さすがにそれは受け入れがたい。

筆者は覚悟した。チャンスがあれば掴まねばならぬ、と。

ところで筆者を宝塚に誘い込もうとする勢力は大きく、気を抜けば随所から手を引かれたり背中を押されたりする次第である。

そもそもフィギュアスケートのファンには宝塚のファンも多いが、他にも音楽や舞踊に造詣の深いオタクは、どこかで宝塚を経由している確率が低くない。

(ちなみに今井遥さんのファン界隈は、男役さんより娘役さんにハマる方を観測しがちな気がするが、それについては何となく納得がある)

前述のフォロワーとは別で、大学時代のサークルの後輩もまた、宝塚に浸かりし者であった。

ちょうどその頃、折よくと言うべきか、宝塚で「RRR」が上演されるという報せが舞い込んだ。

「RRR」はご存知の方も多いであろう、2022年に公開されるやいなや、3時間の上映をものともせず大旋風を巻き起こしたインド映画である。

挿入歌の「Naatu Naatu」だけでも耳にしたことがないだろうか。中毒性のある楽曲と振付は一世を風靡し、つい先日はフィギュアスケートのインカレで東大の3級男子がナートゥで滑った、という事案まで発生した。



例に漏れず、筆者も「RRR」を視聴し、その熱気に満ちた世界観に魅了された一人である。

アレを舞台化するのか。興味がないはずがない。しかもよく見れば、件の同級生が所属している組ではないか。

行かねば。

この機会を逃してはならん、そんな予感がわたしを駆り立て、いつだって宝塚にウェルカムと両手を広げていた後輩に連絡した。

後輩には歓迎された。
待っていたのは戦いだった

それはそれは驚くほどチケットが取れなかった。あらゆる貸切や抽選への応募を繰り返し、その度に高すぎる壁に阻まれたのだ。後輩には本当にお世話になった。どれだけ負担をかけたことか、感謝してもしきれない。そして運命は我々の味方についた。

かくして東京から日帰りで兵庫県まで出かけるという暴挙に挑んだのである。


最初にも述べた通り、日比谷の劇場には二度入ったことがある。東京宝塚劇場に抱く印象は、正直「日比谷近辺に立ち並ぶ壮麗な劇場群のひとつ」を超えなかった。

ところが大劇場は話が違う。宝塚駅で降りてから劇場に至るまで、あらゆる場所が「宝塚」で舗装されているのだ。

随所を彩るすみれ色、当然のように掲示されたスター達の公告、やたらとメルヘンチックな街並み、移築されたという宝塚ホテルの威容、そんな煌びやかな非日常に導かれるまま、気が付けば大劇場の門を潜っていた。

※ちなみに宝塚ホテルのロビーに寄り道しました。大階段が篠原夫妻の聖地だからです。



全てが「宝塚を鑑賞するための空間」として完成されている。ここで見る舞台はひと味違う、と一目で予感させるものがあった。ショップも覗いたが、花畑のような魅惑に満ちていたので、深入りしないことにした。

ちなみに開演前、トイレに並ぶ長蛇の列に慄いたが、個室が48個あるというスーパー親切設計のおかげで、立ち食い蕎麦レベルの回転率であった。スケートの会場もこうなってくれんかね。


開演前、筆者の脳内には一つの疑問があった。
映画で3時間を費やした内容が、1時間半に収まるのか、ということだ。
恐らく映画を視聴してから宝塚に向かった人は、みな同様の疑問を抱いていただろう。もはや「昔の同級生の晴れ舞台」より、尺の編集が気になって仕方なかった。

結論を先に述べると、全く違和感なく1時間半に収まっていたのだ。
筆者は仰天した。演出家って、もしかして天才なのか?
パンフレットの演出家コメントを読む。インドまで出向いてラージャマウリ監督に直接「宝塚化」の打診をしたらしい。そこでは監督の器の大きさや懐の深さに言及されていたが、確かにあの監督はかなり器がデカいだろう、と素人でも思ってしまう。

というわけで以下は公演についての感想である。



・マジで1時間半に収めてくるとは思わないじゃん。映画の方は一回しか観てないけど、でも本当に「明らかにここ無理やり割愛したな~?許さんぞ」みたいな場面がなかったんですよ。これ短縮じゃない、濃縮や。

終演後、後輩に「虎を放たなければ尺が短くなるんだね」と話したら妙な顔をされた。信じてくれ。

・原作、とんでもない無茶ぶりアクション映画だったので、これを舞台に上げるのは無理だろ…と訝っていた。3時間かけて無茶ぶりのクレッシェンドをやってるのよ、あの作品。

さすがに爆破も流血も控えめだったし、あまりに無茶だったのか、最強の肩車の場面もなかった。ドスティも馬とバイクの並走はなかった。だけど映画に負けない熱気と迫力に圧倒されたのだ。制約の多い生舞台、の範囲内で最大限をやっていた、と言えるだろう。

そんな中でも、二人が出会う場面はやはり重要度が高いと判断されたのか、なるべく原作に近づける工夫がされていた。すごいよ。人間以外(水や炎など)を群舞で表現するバレエ的な技術がこんな形で活かされるんだ。総合舞台芸術のノウハウが蓄積されている強みを実感する。



・これは皆さん同意いただけるでしょうけど、1時間半にまとめているにもかかわらず、ナートゥの尺はたっぷり長くて「いいんだ、そんな贅沢を味わって」となりました。

宝塚とRRRに共通する特徴として「数の暴力」があるんですが(言葉が悪くて申し訳ない)その辺の親和性が高かったんだろうな。

宝塚はもともとラインダンスというスキルを有しているので、ダンサーをたくさん並べた壮麗な演出は得意中の得意。映画の方もナートゥの場面の面白さは、あの複雑な振付を大人数で揃えてくるところもあるので、両者の世界観がピッタリ合致したことへの、妙な感動があった。

しかしあの振付はヒール履いてやるもんじゃないよ。映画見た時も「ナートゥだけで元が取れたな」と思ったが、今回もカラフルな衣装をまとった生身の人間が大量に並び、視界がナートゥで埋め尽くされたあの体験だけで、ここに来た価値があるというものだ。

個人的には「ナートゥをご存知か」のセリフと、ジェニーのサスペンダー遊びが再現されているだけでも既に相当嬉しかったんだよな。

・映画に出てくる曲と、今回オリジナルで追加した曲が良いバランスだった。まさかあの曲やこの曲の日本語版を聞くなんて…。

・ビーム役の礼真琴さん。
歌が上手い、男役としての発声が巧みだと後輩から教わっていたが、声を操る技術については間違いなく傑出していた

宝塚の男役は、低い声を出すために独特の発声をするのだが、それで全員が全員、円滑に聞き取りやすいというわけでもない。しかしこちらの礼真琴さん、あまりに違和感なく「男役」の声を出している。

原作のビームが比較的モサモサの犬みたいな風采であったのに対し、衣装から髪型から、何もかも爆イケの戦士として仕上がっていたので、若干「ちょっと待って」とツッコみかけたが、圧倒的なオーラですぐ「こういうのもアリかぁ」と納得してしまった。この「アリかぁ」と納得させるのが、トップスターの力なのだろう。

ちなみに後からパンフレットで写真を確かめると、舞台化粧ではない姿が想像以上に素朴な整い方をしており、髪型や髪色も要因なのだろうが、かなり山本恭廉さんに似ていて、妙にドキドキしてしまった。

・ジェニー役の舞空瞳さん。
映画を見た時に主役二人よりジェニーに骨抜きになった、あの甘酸っぱさを思い出した。再現度が高すぎないか?

娘役さんの声って、単に「高い」とか「きれい」とかではなく、独特の甘くまろやかなコーティングがされているように感じられるのだが、すごくその清澄さがジェニーの役柄に似合っていたのよね。

今回の舞空さんが殊にそういうタイプなのかもしれないが、お嬢様を演じようとしてきちんとお嬢様に徹する、というのは難易度の高いスキルではないだろうか。それも、ただ家庭に守られるのではない、一筋縄でない自ら道を切り開く芯の強いお嬢様だ。困った。

後半のレヴューでは、肩から背中が開いた衣装で闊達に踊っていたので、あらやだ…と嬉しくなってしまった。なんとなく、今後ハマるとしたらカッコいい男役よりもお嬢様然とした娘役じゃないの、と言われていた所以を理解できてしまったので怖い。

・ジェイク役の極美慎さん。
今回の舞台で、一番上手く翻案されていたなと思ったのがジェイクの役作りであった。

映画のジェイクって「鼻持ちならないけどプライド高すぎて一周回ってちょっと可愛いヤツ」で、嫌なんだけど最終的に憎めなさが勝つところがありまして。宝塚版のジェイクはその「憎めない可愛さ」の方が強調された役柄になってて、これなら最後にジェニーの横に並んでても許すわい、という気持ちになった。

ナートゥの前、つい得意気になって色々なダンスを披露してしまう原作視聴者ホイホイの場面あったじゃないですか。あれなんか「俺の方がカッコいいだろ!」感が隠し切れなくて非常に可愛かった。

・本日のハイライト、暁千星さん。
お察しの通り「昔の同級生」とは暁さんのことである。

嘘みたいな話だが、彼女は小学生の頃から足が長かった。小学生にして足の長さの際立つ人間が成長すればどうなるか、は皆さん既にご存知のことだろう。

普段スケートを見ているので、美しい骨格の人間には慣れているつもりだったが、あの細長さ端正さ、いざ舞台に立つとここまで圧倒的な見栄えなのかと驚いてしまった。

ダンスが上手なのは、それこそ既知の事実だったが、宝塚で鍛えられる過程でバレエ以外の研鑽も積んできたことがよく分かる。回っても跳ねても、個々の動作が鮮やかなのだ。跳躍時のポージングが印象に残るなんて、それはもうニジンスキーなのよ。

今回はラーマを演じていた暁さん。最初に役割を知った時は「ほんまかいな」だったんですよ。だって彼女、比較的童顔だし、でもラーマって凛々しく髭が整えられた気高い勇士だし。杞憂でしたね。髭が違和感なく決まっている。あとカッコいい人が警官の服装なんかしたらね、カッコいいに決まってますわい。

映画版のラーマって、初心なビームを揶揄ってデートを唆すような「悪さ」もいい味出してるんだけど、不覚にも暁ラーマは「こいつめちゃくちゃモテるだろうな」と「分からせ」られてしまった

宝塚と言えば「巨大な羽根を背負って階段を下りてくる」を真っ先に想起する人も少なくないが、あれは後半のレヴューの最後に、各組のトップスター、トップ娘役、そして二番手男役にのみ許された栄光だ。そして今の彼女には、羽根を背負う権利がある。

RRRで情緒を揺さぶられ、レヴューで煌びやかな技巧をたっぷり浴びて、もう十分満足だ。そのタイミングで、旧知の人間が大きな羽根を背負い、ぴかぴかの階段を下りてくる。堂々たる姿は、間違いなく「栄誉」と称するべきものだろう。二番手って、すごいんだな。往時には想像すらしなかった、彼女の途方もない根性と努力に感服した。

なんだけど、彼女がやたら小顔なので「あの羽根、直径が顔の10倍くらいあるやん…」と要らぬことを考えてしまった。おバカ!



結論:頑張って見に来てよかったです。

ありがとう、一緒にチケットを取ってくれた後輩。ありがとう、あの日わたしのケツに火をつけたフォロワー。

溢れんばかりの元気をいただいたはずなのに、情報量がすごすぎて帰りは爆睡していた。

ちなみに、宝塚観劇はこれで3回目となるが、どうしても「集団」として鑑賞してしまうので、特定個人に肩入れして通い詰める未来は、ぶっちゃけビジョンとしては薄めである。

バレエを熱心に見ていた頃も、舞台上の数多のダンサーから「特にこの人が!」と差異に着目することはなかったので、あれだけ人数で圧倒してくるタイプの宝塚で、自分だけの「ご贔屓」に出会える人はすごい。

フィギュアスケートもピアノも、普段楽しんでいるものが一度に1-2人しか登場しないジャンルばかりなので、この辺りは慣れの問題なのかもしれないが。

とはいえ、今までTwitterでも対岸の火事のように捉えていた「宝塚」という存在が、徐々に自分の方へ近づいてきていることは事実であり、いつか完全な他人事ではなくなるのかもしれない。どうなることやら。


あと宝塚って、これまでにジョジョの奇妙な冒険をやってないのが逆に不思議では?(やろうと思えば何でもできるのが宝塚だと思っている人)