「菰野ピアノ歴史館」なる激アツ施設の話 | カラフルトレース

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明けない夜がないように、終わらぬ冬もないのです。春は、必ず来るのですから。

⓪入館前
 
迫り来る台風に怯えつつ、三重県に降り立った。
四日市から電車で30分、ここは湯の山温泉駅。
「誰も人が歩いてない」「穴場にも程がある」と声を潜めながら、まずは歩いて腹ごしらえに向かう。
 
本日の目的地のほぼ真向かいに位置する蕎麦屋。
いかにも昔ながらの風情だが、店内は清潔感が保たれている。
 
名物と思しき鴨そばを注文、丁寧で密度の高い薄味に舌鼓を打つ。
一味と七味を両方提供してくれる謎のサービス精神に与ったが、わたしは七味だけ拝借した。ただでさえ香り高い出汁がさらに際立ち、気取らず上品な風味に拍車がかかる。

 

 

 
店を出て、お目当ての場所とご対面。
「思ってたより小さくない?」など舐めくさった発言に及んだことを、今だからこそ激しく反省したい。

菰野ピアノ歴史館

ここはとんでもなくホットな施設だったのだ。

 

 

 

①いざ入館
 
時刻は13時前。入口を通過すると、燭台付きアップライトのプレイエルがいきなりお出迎え。

 

よ う こ そ

 

おいおいジャブにしてはパワフル過ぎんじゃないの、と入館料(たったの500円)を払うと、展示ピアノの一覧表とともに説明を受ける。
 
・展示されているピアノは基本的に全部弾いて良い
・1分以上弾く前には試奏カードの提出が必要だが、回数は無制限
・ただし、ピリオド楽器は古楽器の経験者しか自由に弾けない
※ピリオド楽器:過去の大作曲家たちが生きていた当時に作成された楽器
 
全部弾いて良い。
そう、全部弾いて良いのだ。
 
去年、浜松の楽器博物館では古今東西の楽器に圧倒されたものの、実際に触って音を出せない寂しさが無かったと言えば嘘になる。ただ、制作年代が古く、保存に厳重な注意を要するため、触れないのは当然のこととして十分理解はしていた。そりゃそうだよね、と。
 
だから今回の菰野ピアノ歴史館も、来るまで半信半疑だった。何でも弾いて良いって、そんな美味しい話があるもんか。
 
あるんだな~~~これが!!!
 
この施設は、前線を引退した調律師が館長を務めており、現役時代に世界中から拾ってきたピアノを趣味で修復して展示しているらしい。趣味って。理想の老後過ぎる。
 
 
②展示室(本館)
 
遠目からでも歴史的価値が凄そうな楽器がずらりと並ぶ展示室を見渡し戦々恐々していたところ、気さくで博識なガイドさん(おそらくボランティア)に声を掛けられた。
 
今回お世話になったガイドさんは古楽器を習った経験もあるそうで、我々シロウトが自由に鳴らせないピリオド楽器の音も聞かせてくれる。というか、ガイドさんの監視下であれば我々もちょっと触らせてもらえた。

 

 

ピリオド楽器の弾き方は特殊だ。現代ピアノのノリで力を入れると破壊する。
 
曰く、いわゆるピリオド楽器は現代と違い、楽器内に金属板が仕込まれていないので大きな張力に耐えられない。そのため現代のピアノの何分の一もの、弱い力で弦が張られている。また、ハンマーアクション(鍵盤を押す→音が出るまでの内部機構)も現代のものと違ってズレやすく、意図せぬ音が鳴ることも珍しくない。
 
ガイドさんはピリオド楽器の一人者である川口成彦先生のレッスンを受講した経験があるそうだが、そこでは理想的なタッチについて「ハムスターのおでこを撫でるように」と教わったそうだ。わたしも脳内で生成したイマジナリー・ハムを撫でる指使いを心掛けたが、どうにも無理だった。中指ばかり出しゃばった音になる(手の構造上、これは誰でもそうなるらしい)。
 
その他にも、興味深い話をたくさん聞けた。
 
・ベートーヴェンの生きた時代にはピアノが大きく変化した。
ピアノソナタの作風の変遷には、ピアノ本体の変化も影響している。
機械オタクなので色々な性能のピアノを作らせていた。
 
・ペダルを足で踏むのではなく膝で押すタイプもあった。
 
・バロック時代の曲を弾くには、装飾音に凝縮された激情を明確に表現する必要があり、ピリオド楽器とはいえ優しいタッチだけでは不十分。
 
・ベヒシュタインのピアノならリストが弾いても壊れなかった
(ドビュッシーが専らお気に入りのメーカーでもあったらしい)
 
・プレイエルのアップライトピアノは、ペダルなしでも残響が特徴的。
ショパンが手遊びに各地(サンドの家など)へ連れて行っていた。
 
・黒いアップライトピアノは日本が発祥。
 
・スタインウェイにもスクエア型のピアノがあった(もちろん弾ける)。
日本にピアノの入り始めた時期は、既にスクエアピアノが衰退していたため、日本ではスクエアピアノは生産されていない。
 
他にも色々、ここには書ききれないほどのお話をしていただいた。
聞くだけならまだしも、レプリカでもない本物を触りながらのレクチャーなので、頭への入り方が全然違う。
入り方、というか……入ってくる情報の桁が違うんだわ……
 
まさかヤマハが創業期に作った約百年前のピアノに触れるとは思わないじゃん?

 

 

 
③アトリエ(工房)という魔窟
 
「今日は調律師もいるので工房も覗いて行ってください、呼んできます」
 
そう案内された先は、文字通りの魔窟だった。

 

 

修復前のピアノ達が、ありのままの状態で無造作に並べられている。
いつどこで作られたものかも、我々には分からない。
 
そうして連れて来られた調律師さんからは、調律専門学校のテキストに即した物理学的な解説をたくさん聞かせてもらった。
 
ホワイトボードにしれっと張られていた、楽器ごと・各鍵盤ごとに設定された弦の張力の表。
何でもないように触らせてもらえた、今昔の弦の太さの違い。
いわゆる倍音とヘルツの理論は、実際の金属の太さや重さが計算に入っていないので、基音から離れるにつれ理論値との乖離が大きくなること(「日常で触れる物理の問題ってマジで理想状態なんだ~」と謎の感動を味わっていた)。
ファツィオリが「1台ごとに精密なデータを取って管理してるから製造に時間がかかる」って話で盛り上がれたし。

 

 

10万円近くするプロ用のチューナーアプリ(0.1Hzまで図れる)を眺め、鍵盤を一本だけ持ち上げて「ウホホ」と喜ぶ経験、ここ以外では不可能だろうな。
 
中でも最大のヤバ案件は、東京在住の華族の末裔から引き取ったという、明治時代に個人輸入されたアップライトピアノ。修理も出来ず、適切な処分方法も分からないというので、はるばる輸送されてきたらしい。

 

歴史を知りすぎている

 
④じっくり弾いてみた感想
 
・チェンバロ
かなり頭の悪い感想だが「コイツ…本当に強弱がねえぞ…!」とビックリした。そりゃピアノもフォルテも出せる楽器が誕生したら感動しますわな。
 
・ハイツマン&ゾーン
モーツァルトを弾いた時が最もしっくり来た。
鍵盤が今のピアノと比べて浅くしか沈まないので、弾いていて「これで良いのか」と不安になる。ペダルで響きを作ろうとすると頼りない感じになるので、力任せではなく、しっかり均等に押し続ける指運びが必要そう。
 
・プレイエル
ショパンが愛用したことで知られるプレイエル。
「これで雨だれなんか弾くとすごくいいですよ」とガイドさんにオススメされ、ふむなるほどねと弾いてみたら、確かに「キマる」感覚を得られる。
ペダルを踏まなかった時の、鍵盤をしっかり押したときの残響が、金属的なのに温かくてメルヘンチックという、他のピアノでは作り出せない独特の感触。この響きがペダルを踏みまくると上手く出ないので、和音の響きをゆったり楽しみたい曲に最適。
わたしはアンダンテスピアナートを試してみたが、アルペジオの伴奏が続く部分より、途中に挟まれるマズルカっぽい部分の方が「おっ、いいな」と手応えがあった。これノクターンの37-2とか弾けたら楽しいだろうな…。

 

ルノワールが描いたことでも知られる

 

・スタインウェイ(スクエアピアノ)

とにかく「ブリリアント」と評するに相応しい、明朗で開放的、華やかな音色。良くも悪くもアメリカ(偏見)っぽい。
ラフマニノフを弾くとバッチリはまるし、鮮やかな和音が出せるのでラフ2の冒頭を弾いてみると不気味なほど良い感じになった。
ラフマニノフとだけ親和性が高いのか判断しかねたため、次回はチャイコンの冒頭の和音だけ弾けるように準備してくるつもり。

 

スクエアピアノはさすがに人生初

 
・ベヒシュタイン
最初は隣に置いてあったブリュートナーでドビュッシーを弾いて遊んでいたが「ドビュッシーはベヒシュタインで弾いてみな、飛ぶぞ」と唆してみたところ、まあ本当に最高だった。芯の通ったクリアな音色だが鋭さや派手さはなく、実に品の良い明瞭さ
「これも実質、印象派みたいなもんよ」と今井遥さんが滑っていた「恋人たちの夢」を弾いたところ、甘すぎず角の取れた優しさも忘れず、の理想的な塩梅になったので、次はドビュッシーか、このピアノとは分かり合えたリストの断片を習得しておきたい。

 

これはもう1台の方のベヒシュタイン(奥は修理中)

 
とにかく、もっとたくさんの曲が弾けるようになってから再訪せねばならない。
(※ブログの主はアンサンブルばかりやっていたので弾けるソロ曲がほぼ皆無)
 
 
⑤アフター退館
 
閉館時間(17時)になるギリギリまで居残っていたら帰らされたし「思ってたより小さくない?」って何だったんだマジで。まだまだ時間足りないが?
 
ここだけの話、触ったりガイドさんとお喋りしたりするのと夢中になって、ほとんどロクな写真を撮れていない。撮りたいなら強い意志で撮るべきである。
 
天気の信頼できる季節だったら御在所ロープウェイも乗ってみたい。