1985年に結成した
Slow Band
たしか、渋谷のライブハウスの昼の部トライアルから始まり…
四谷、新宿、吉祥寺のライブハウスを転々と回ってみた所、各所まぁまぁの動員と評判を頂き…
学生時代の華やかな実績とは程遠いものの…
それまでの厳しい世間での活動に比べ、少しばかりは手応えを感じ…
2〜3年後には当時なかなかの存在だったライブハウス…
渋谷LIVE INNツーマンくらいまではよじ登って来たところで…
大手事務所から所属までは行かずともメジャーデビューに向けてのサポート?仮押さえ?粉かけ?的な申し出もあり…
ロックスターを目指しての活動に、少しだけ実感が湧いて来たのです。
まぁ、そんなバンド掃いて捨てるほどいましたけど
(^◇^;)
…当時はイカ天直前…そこそこのバンドブームの気配でしたが…
ウチのバンド、特に歌や演奏が上手い訳でも、ビジュアルが良い訳でもないのに…
そこそこ動員もあって、また対バンに人気があったのは…
やはり、ベースで詞曲を書いていた川崎苟且の楽曲力だったのかと…当時も思っておりました。
その楽曲のタイトルだけ、一部ご紹介すると…
青少年のための恋愛学入門
我が心のカンカン帽
僕は歌う
星降る夜にキレイゴト
わたしはトナカイ
15年前のデジャヴ
etc…
なんか楽しそうでしょ?( ̄∀ ̄)
基本、フォークソングベースで、モテない男が主人公、哀愁漂う楽曲で…
私は自分のバンドの歌が1番好きでした。
バンドはDr.BASS.KEY.Gの編成で、曲の面白さにかまけて、変なアレンジを多用し…
対バンの、特にパンク系バンドに非常に人気があって…
対バンじゃない時も自腹で見に来てくれたり…
妙な男人気のある曲たちだったのです。
その後、事務所の担当が突然いなくなってしまい…
事務所サポートがほぼ希薄になり…
キーボードの女性が結婚して「新婚さんいらっしゃいに応募した!」と宣言して離脱…
ライブもかなり無理してパンパンでやっていたので、プツッと糸が切れたような状態になってしまいまして…
25才まで全力で!と思っていた私は25才を迎え…
また一からバンドを立て直す気力を感じることが出来ず…
1989年、私はバンドを離脱し…音楽制作の道に進む事にしたのでした。
その後も川崎苟且とボーカルは2人でしばらく活動を続けていたようでしたが、やはり本気のバンド運営には経営力も必要なので、天才2人だけでは難しく…
ボーカルが得体の知れない仕事を始めた事を期に完全に活動が止まったようでした。(^◇^;)
それから数年後、苟且の才能に世の中が気づかないかと、音楽制作の仕事をからめて…一緒にCMソングを作ったりし…
アトランタオリンピックのメダリストのテーマソングを作って、大手家電メーカーのCMソングにもなったり…
音楽制作の道から彼を世に出したいとあの手この手、試行錯誤、切磋琢磨…
当時、世の中を席巻していた新興レコードレーベルに紹介したところ、当時の超売れっ子プロデューサーに気に入られ、曲作りまで一緒に進めるところまで行ったのですが…
そこは天才ならではの悩みの数々に阻まれ…
(^◇^;)
メジャー展開は出来ず…_| ̄|○
そこから最近まで、苟且は完全な個人活動を地味〜に続け…
たまーに、会って話するくらいになってしまいました…
もう35年も前の曲ですが、私の音楽制作人生で、曲作りの基盤となるものは苟且との楽曲作りに根ざしているのは間違いなく…
還暦記念に何やろっかなー…と考えた時に…
いまだに大好きで、ここまでの人生で1番頭の中で鳴り続けて来た…
Slow Bandの曲をリメイクしてリリースしよう!…と思いついたワケでした。
なんて自分勝手なのでしょう(^◇^;)
これには楽曲の作者である川崎苟且も賛成してくれて…昨年5月から準備を始めました。
今回はもちろん!自分の制作チームを使いますが…
ちゃあんと、自費でお金を払って!自慢の優秀なクリエイターと大好きなシンガー、ミュージシャンに前向きに参加してもらうのです!
さあ、35年ぶりに…
Slow Bandはゆく!