小学生の頃、5つ年上の兄が隣の部屋で夜な夜なフォークギターの練習をしていました。


時は1970年代


兄のレコードラックには吉田拓郎やかぐや姫のLPレコードが飾られ、時々レコードを聴かせてもらったり、ギターを触らせてもらったり…


そんな音楽環境で…



中学校に上がる時、兄がいらなくなったフォークギターを1本くれたのが、事のはじまりでした。


確か…「Pro Martin」とか言う入門ギターで…


ブリッジが剥がれて浮いてて…ブリッジピンで無理くり留まってて🤣


そういうもんだと思ってたので、友達のギター見てブリッジがトップに接着されてるのはおかしい!と思ってました。(^◇^;)



中学ではバスケットボール🏀部にも所属して熱中してましたが、同じくらいフォークギターにのめり込み、毎日大きな声で歌いまくっておりました。


家族に茶化されたりもしましたが、その頃から私はそういう事を気にする性格ではなかったので…


今考えると笑っちゃうくらい歌ってました。

(^◇^;)



学校にもギター仲間がいて、友達の家に集まっては代わる代わる歌を歌ったり作ったり…


今考えると笑っちゃうくらい楽しんでました。

(^◇^;)



三年生になってバスケットボール部を引退した後、ピアノを弾いて歌を歌う親友と文化祭に音楽室でコンサートをやろうという話になり、計画を初め…


集客を狙った激しいキャスティングをしました。


ドラム:野球部のエース

サイドギター:サッカー部のキャプテン

ベース:人気の数学教師

ピアノ+歌:親友

ギター+歌:私



ずっるっ!



という内容のメンバーですので…


当然の大反響!


音楽室は毎回超満員で廊下にも溢れて…


2日目の最終公演は学校から動員規制が入りました。

「他の展示物に人がいない状態になってしまうため…」とψ(`∇´)ψ


2日間の公演の延べ動員数は1200人…


最初のライブが、かなりの成功体験になってしまったのです…。



良い気になって、そこそこ馬鹿な都立高校に進学したのですが…


そこは結構有名なアーティストを輩出している軽音楽同好会もあり…


新年度早々の小文化祭、梅雨時に近所の公会堂大ホールで行われる公会堂文化祭、本文化祭、後夜祭とアホほど文化祭をやる高校で…


文化選択授業で音楽を選択したクラスには音楽好きがたくさん集まっていたので…


一年様子を見たのち、仲の良いクラスメイトとバンドを組み軽音に参加しました。


マーケティングの結果、日本語のロックンロールをやろうという事になり、ffのヒット前でまだ浸透しきっていなかった、ハウンドドックのカバーを中心に、揃いのウインドブレーカーや、振り付けなんかも作って…


演ってみたところ大バズりし…


音楽室は満杯だわ、公会堂は総立ちだわ、写真部の展示写真は全部ウチのバンドだわ…


下級生にファンクラブも出来て、バンドメンバーの名前を大きく書いた下敷きを振られるのがパターンになり…


中学校以上の成功体験…


…これわ、音楽をやめる選択肢は無くなってしまいますわな…(^◇^;)



完全にとち狂った私たちは卒業後に新宿のライブハウスで卒業記念ライブを行うのですが…


すっかすか


…学校で、無料で、先輩だったり友達だったり…


そんな繋がりもないカバーバンドなんざ…


すっかすか


な訳です。


しかし!完全にとち狂ってる私は、その後、頭の良い都立高校に通うため、離れていた中学時代の親友とバンドを再開したり…


大学で出会った友人を引き込んだり…


色々やってはみるのですが、社会のバンドはそんなに甘いものでは無く…なーんとなく間延びし始めた頃、高校時代のバンドメンバーからある誘いが…


高校時代、我々のバンドを見ているだけだった友人の書く曲が凄い!…と。


その曲を聴いてぶっとんだ私は、自分で曲を書くのを止め…


高校時代のバンドをベースに新しいバンドを作りました。


名前は

Slow Band


ERICの相性からパクリました\(//∇//)\


時は1985年


ギターも新たにオーダーして…


活動を始めたのでした!



このSlow Bandの曲を今回、還暦記念事業として、思いっきり作り直してみようかと思うのです。



以下次号