丹生川上神社1 一度行方不明になり次に3社になって現れた! | 絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

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絵本に関わり、早や40年。
ママと子が一緒に楽しめる絵本を4冊、工作本も出版!
絵本作家しか知らない、絵本の創り方、絵の技法、親子で作るキッズアート大公開
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丹生川上神社1 
一度行方不明になり、次に3社になって現れた!

7月に友人たちと丹生川上神社に参拝します。
なので、急いでブログ記事を書いています。
丹生川上神社は上社、中社、下社と3社あります。その中心は中社です。

3社あるので、「上賀茂神社」と「下鴨神社」のようにセットになっているのかな?と思っていたのですが、実は「一度神社が廃れて行方が分からなり、比定地の三か所をどれも「丹生川上神社」と呼んでいる、という大変珍しい理由がありました。

神社の歴史はとても古いものです。

ホームページによると、1300年前の天武天皇の頃、「人の声もしない深い山奥、吉野の丹生川上にまつってもらうと、甘雨を降らし、長雨を止めよう」とご神託があって、作られたお宮だということです。

朝廷は、雨乞いの神社として大切にし、応仁の乱の頃までに96回も祈願があったそうですが、都が京都に移り、戦乱の中で祈願も中断されて、所在地さえも不明になってしまったのです。

再び神社が探し出されたのは、明治維新後のことでした。その調査で、丹生村と川上村の神社が有力とされ、両方を上社、下社として認められました。

上社↓

下社↓

中社↓

しかし、その後の調査で、「現在、蟻通神社とよばれている場所こそが丹生川上神社である」とされてここが中社と言われて3社をまとめて
「丹生川上神社」と言います。