丹生川上神社1
一度行方不明になり、次に3社になって現れた!
7月に友人たちと丹生川上神社に参拝します。
なので、急いでブログ記事を書いています。
丹生川上神社は上社、中社、下社と3社あります。その中心は中社です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220623/10/lunlun-koubou/af/a8/j/o1684130615137002352.jpg?caw=800)
3社あるので、「上賀茂神社」と「下鴨神社」のようにセットになっているのかな?と思っていたのですが、実は「一度神社が廃れて行方が分からなり、比定地の三か所をどれも「丹生川上神社」と呼んでいる、という大変珍しい理由がありました。
神社の歴史はとても古いものです。
ホームページによると、1300年前の天武天皇の頃、「人の声もしない深い山奥、吉野の丹生川上にまつってもらうと、甘雨を降らし、長雨を止めよう」とご神託があって、作られたお宮だということです。
朝廷は、雨乞いの神社として大切にし、応仁の乱の頃までに96回も祈願があったそうですが、都が京都に移り、戦乱の中で祈願も中断されて、所在地さえも不明になってしまったのです。
再び神社が探し出されたのは、明治維新後のことでした。その調査で、丹生村と川上村の神社が有力とされ、両方を上社、下社として認められました。
上社↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220623/11/lunlun-koubou/a7/29/j/o1920161515137009965.jpg?caw=800)
下社↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220623/11/lunlun-koubou/f0/09/j/o0650045015137013019.jpg?caw=800)
中社↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220623/11/lunlun-koubou/65/ae/j/o2560143615137013645.jpg?caw=800)
しかし、その後の調査で、「現在、蟻通神社とよばれている場所こそが丹生川上神社である」とされてここが中社と言われて3社をまとめて
「丹生川上神社」と言います。
なので、急いでブログ記事を書いています。
丹生川上神社は上社、中社、下社と3社あります。その中心は中社です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220623/10/lunlun-koubou/af/a8/j/o1684130615137002352.jpg?caw=800)
3社あるので、「上賀茂神社」と「下鴨神社」のようにセットになっているのかな?と思っていたのですが、実は「一度神社が廃れて行方が分からなり、比定地の三か所をどれも「丹生川上神社」と呼んでいる、という大変珍しい理由がありました。
神社の歴史はとても古いものです。
ホームページによると、1300年前の天武天皇の頃、「人の声もしない深い山奥、吉野の丹生川上にまつってもらうと、甘雨を降らし、長雨を止めよう」とご神託があって、作られたお宮だということです。
朝廷は、雨乞いの神社として大切にし、応仁の乱の頃までに96回も祈願があったそうですが、都が京都に移り、戦乱の中で祈願も中断されて、所在地さえも不明になってしまったのです。
再び神社が探し出されたのは、明治維新後のことでした。その調査で、丹生村と川上村の神社が有力とされ、両方を上社、下社として認められました。
上社↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220623/11/lunlun-koubou/a7/29/j/o1920161515137009965.jpg?caw=800)
下社↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220623/11/lunlun-koubou/f0/09/j/o0650045015137013019.jpg?caw=800)
中社↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220623/11/lunlun-koubou/65/ae/j/o2560143615137013645.jpg?caw=800)
しかし、その後の調査で、「現在、蟻通神社とよばれている場所こそが丹生川上神社である」とされてここが中社と言われて3社をまとめて
「丹生川上神社」と言います。