最澄を知る42  最澄の天台宗⑤  最澄の教育 | 絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

絵本に関わり、早や40年。
ママと子が一緒に楽しめる絵本を4冊、工作本も出版!
絵本作家しか知らない、絵本の創り方、絵の技法、親子で作るキッズアート大公開
描いて、読んで、親子で絵本を10倍楽しもう♪

最澄を知る42  最澄の天台宗⑤ 最澄の教育

最澄は、教育者としてもとても優れた人でした。
比叡山の高い教育理念によって、比叡山からは、名僧が多く輩出されていきます。

山家学生式(さんげがくしょうしき)は、「道心ある人が国の宝である」の文章で有名ですが、法華経をもとに、「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いで書かれたもので、、嵯峨天皇に提出されました。

まず、戒を得て僧侶になってからが、本格的に厳しい修行に入ります。
12年山を出ず、二人のうち一人は、法華経などの顕教を修め「止観業」をする。もう一人は、密教の経典を学び、「遮那業」をする。


さらに、最初の6年を初等中等教育のように、先人の教えを自分の意見を挟まずに学ぶことを定めました。
しかも、三分の二は、仏教のことを学び、三分の一は、仏教以外の学問をするように決めました。
偏りのない知識や学問が偏りない人格も作ると考えていたのです。


その後の6年は、専門学の期間で、「思修」~自分で考えて学ぶこと、専門の学問をそれぞれに合った方法で夢中で行う時期と定めました。
 
この考えがあったからこそ、のちに、天台宗から発展させた独自の教義を持つ鎌倉の名僧が生まれたのでしょう。

「止観業」の専門僧は、四種三昧(ししゅざんまい)という、中国の天台智顗による『摩訶止観(まかしかん)』に基づく4つの修行から、選びます。


「遮那業」の僧は、真言三部である、仏部・蓮華部・金剛部の三つの真言の行をつとめ、自分に縁のある仏様から、大日如来と一体化する行を選んでいきます。

そして、12年の行を終えた後は、最優秀の僧は、天台のトップとして天台山に残し、色々な形で能力や行動力が欠けた僧は、地方に出して、菩薩業を積み、地方の人たちを教化する役目を果たすように定めました。

地方に行って、自堕落にならぬためにも厳しいルールを作っています。 

最澄さんは、天台の教えにより国家を安泰にし、同時に、すべての人々を救えるように、菩薩僧をたくさん輩出して全国に派遣したいと、願っていたのですね。

この最澄の教育方針は、現代にも通じるものです。
この最澄さんの志を、私たちも継いでいきたいと願います。