最澄を知る34 延暦寺横川エリア③「根本如法塔」ほか
これまでに出てこなかった横川エリアの建物です。
死の病いの床にいた円仁が、最澄の願いであった、大量の法華経の写経をして奇跡的に病が治ったといいます。
その写経を収めたのが、この塔です。
大正の頃、昔の塔の跡地から、経箱が発見されました。銅製の箱に金メッキが施され、蓋には「妙法蓮華経」と書かれていました。
恵心僧都は『往生要集』を著し、叡山浄土教を作りました。
のちに法然(ほうねん)上人、親鸞(しんらん)聖人、真盛(しんせい)上人など浄土念仏の祖師を比叡から輩出する基礎を作りました。
「往生要集」には、地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・阿修羅(あしゅら)・人間(にんげん)・天上(てんじょう)という、苦しみ多い六つの世界を離れ、阿弥陀仏の極楽浄土(ごくらくじょうど)の世界を願い求めるように書かれています。
すごく簡単に言うと、心から「阿弥陀仏」の名を唱えることで、救われるという教えです。特に死に際が大事とされました。
日蓮上人が若いころ住んでいたところです。
ここだけは、比叡山にありながら、日蓮宗の土地になっており、定光院は、日蓮宗の持ち物で、比叡山にあって、天台宗ではありません。
国宝殿
比叡山の貴重な宝が展示されている。「国宝殿」という名前は、最澄の{一隅を照らす人、それ国宝なり」からとられている。実際はほとんどが重要文化財で、国宝は2,3点しかない。
最澄の直筆文が国宝とされている。最澄展で出品されていたものだと思う。あれはすごかったなあ~~。
千手観音像などみどころ。