最澄を知る6「最澄、桓武天皇に使える」 | 絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

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ママと子が一緒に楽しめる絵本を4冊、工作本も出版!
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最澄を知る6「最澄、桓武天皇に使える」

山で修行を続けている間、大師は中国の仏教書を読み、そこに引用(いんよう)されている中国天台宗の祖、天台大師(てんだいだいし)の教えを学びました。

そして、『法華経(ほけきょう)』を中心とする天台の教えこそが、すべての人々を仏へと導くために最善の教えであると確信したのです。

その後も大師は厳(きび)しい環境(かんきょう)の比叡山で修行を続けました


 しかし、最澄は比叡山に入り修行しましたが、それは空海が山野で修業したのとは違っていました。

 最澄の一族や、最澄に期待した多くの人たちが、最澄や弟子の生活を支えていたことでしょう。

 その中で、最澄は自らを駆り立てるように、人々を救う法を一途に探し求めていたのです。

 

そしてその清らかな修行態度は、都にも届き、朝廷にも高く評価(ひょうか)されました。

そして最澄は、797年に桓武天皇(かんむてんのう)の「内供奉(ないぐぶ)」に選ばれました。

*内供奉とは、天皇に仕えてその安寧を祈り、看病をしたり、僧侶の集まりの時にお経を読んだりする役職のこと。(道鏡も同じような役目でした)


こうして、出世を捨てて山に籠ったはずの最澄は、むしろ腐敗した奈良仏教と一線を画す人物として、強すぎる仏教勢力をなんとかしたいと思っていた天皇や貴族たちの期待を集めることになったのでした。