またプロレスの話。
捜索していた「三沢光晴」のファイトの写真が見つかったのです。
捜索していた「三沢光晴」のファイトの写真が見つかったのです。
1992年9月17日。
もう17年も前の話ですけど!(爆)
もう17年も前の話ですけど!(爆)
奥さんと、
奥さんの妹夫婦の4人で、
後楽園ホールにプロレスを見に行きました。
全日本プロレス。
私は新日の方が好きだったのですけど。
奥さんの妹夫婦の4人で、
後楽園ホールにプロレスを見に行きました。
全日本プロレス。
私は新日の方が好きだったのですけど。
この日の試合は、
秋山準のデビュー戦でした。
秋山準のデビュー戦でした。
対戦相手は小橋健太っス。
いまや二人ともビッグネーム(らしい)ですね
メインイベントは6人タッグ。
(シングル戦の方がはるかに面白いのに。
タッグマッチなんてやってるから、プロレスは廃れちゃったのかな、泣)
(シングル戦の方がはるかに面白いのに。
タッグマッチなんてやってるから、プロレスは廃れちゃったのかな、泣)
さて。
6人タッグはこんな感じ。
6人タッグはこんな感じ。

ジャイアント馬場
ジャンボ鶴田
三沢光晴
なんて豪華なリングでしょう(笑)
でも、すでに3人とも故人なんです。
どうでもいけど。
肝心の三沢光晴(緑のパンツ)が、どれも後ろ向き(これしか残っていないのです。爆)。
この当時が。
新日本・全日本を問わずプロレスが一番面白い絶頂期だったのかなぁ。
その後は
内部分裂と弱小団体の乱立が繰り返され。
完全に興が冷めてしまいました。
新日本・全日本を問わずプロレスが一番面白い絶頂期だったのかなぁ。
その後は
内部分裂と弱小団体の乱立が繰り返され。
完全に興が冷めてしまいました。
ところで。
この試合の当時。
三沢光晴は相当カッコイイ男だったのです。
(だから覆面脱いだのかな?)
この試合の当時。
三沢光晴は相当カッコイイ男だったのです。
(だから覆面脱いだのかな?)
今回の事故のニュース。
最後のインタビューとかをTVで見て。
最後のインタビューとかをTVで見て。
はじめ、誰だか分かりませんでした。
あまりにも風貌が変わっていました。
それだけ私がプロレスから離れてしまっていた、ということ?(泣)。
あまりにも風貌が変わっていました。
それだけ私がプロレスから離れてしまっていた、ということ?(泣)。
久々に見る入場シーンも、全く精彩を欠いていました。
引退したくても、社長の立場では出来なかったのでしょうね。
仕事で死ぬのはイヤだなぁ。
引退したくても、社長の立場では出来なかったのでしょうね。
仕事で死ぬのはイヤだなぁ。
おまけ。

これは川田利明。
思い出しました。
奥さんが彼のファンだったのです。
だから試合後に追いかけて激写です。
デンジャラスKと呼ばれていました。
興奮しているからアブナイよ。
奥さんが彼のファンだったのです。
だから試合後に追いかけて激写です。
デンジャラスKと呼ばれていました。
興奮しているからアブナイよ。
昔のリングは楽しかったなぁ(笑)