線路伝説:稚内港駅
2008年正月特集ということで、
日本の線路の東西南北の果てを紹介しようかと思いつきました。
もちろん地政学的な東西南北ではなく、線路好きの線路の果てですよ。
日本の線路の東西南北の果てを紹介しようかと思いつきました。
もちろん地政学的な東西南北ではなく、線路好きの線路の果てですよ。
稚内駅。
じゃなくて、稚内港駅と紹介したいところですけど・・・
じゃなくて、稚内港駅と紹介したいところですけど・・・
1980年8月3日。
夜行急行「利尻」で稚内駅に着くと。
さっそく旧稚内港駅を求めて捜し歩きます。
さっそく旧稚内港駅を求めて捜し歩きます。
稚内駅から先に、海に向けて線路がのびていきます。
まだ貨物取扱いも健在。
まだ貨物取扱いも健在。
すでに稚内港駅舎自体は取り壊してしまった後とのことでしたが(泣)
ドーム式の防波堤の手前まで線路が伸びており、
たぶん、ここではなかったのではないでしょうか?
ドーム式の防波堤の手前まで線路が伸びており、
たぶん、ここではなかったのではないでしょうか?
稚内駅、稚内港駅の美しい線路は、
私のノーミソにハッキリと焼きつきました。
私のノーミソにハッキリと焼きつきました。
だけど。
写真を撮っていないのです(泣)
この時はまだ、カメラを持って巡礼していなかったのです。
宮脇俊三のバカぁ!(当時、この人のカメラ持たない主義に気触れていました、泣)
この時はまだ、カメラを持って巡礼していなかったのです。
宮脇俊三のバカぁ!(当時、この人のカメラ持たない主義に気触れていました、泣)
仕方ないので、
おまけ。
おまけ。
当時の自分の稚拙な線路メモ。
さらに、おまけ。
「国鉄全線各駅停車(小学館)」から、線路図を抜粋です。
この本はあまりアテにならないのですが、
桟橋らしきものが書かれていますので、ちょっと気になりました。
両図とも、
桟橋=稚内港駅?跡らしき場所が一致しているので、
当時はこうだったんだと、勝手に推測しておきましょう(笑)
桟橋=稚内港駅?跡らしき場所が一致しているので、
当時はこうだったんだと、勝手に推測しておきましょう(笑)
あれから何度も稚内駅には行ってますけど。
駅ホームから先の貨物線は早々に撤去されてしまい、
あの美しい歴史的な線路を見ることは出来ませんでした(泣)
あの美しい歴史的な線路を見ることは出来ませんでした(泣)
おまけに、
無残に切られた稚内駅構内線路の終点の部分に、観光用の標識まで出来てしまいました。
もう、どシラケです(泣)
無残に切られた稚内駅構内線路の終点の部分に、観光用の標識まで出来てしまいました。
もう、どシラケです(泣)
稚内駅、
そして稚内港駅というのは、
その昔、樺太航路のフェリーに接続する歴史的な駅だったのですよ。
そして稚内港駅というのは、
その昔、樺太航路のフェリーに接続する歴史的な駅だったのですよ。
今の稚内駅には、何の旅情も感じません(泣)
北の海にのびる線路を、少しでもいいから残して欲しかったです。
立派な観光史跡になったと思うのですけどね。残念。
北の海にのびる線路を、少しでもいいから残して欲しかったです。
立派な観光史跡になったと思うのですけどね。残念。
おまけ。
稚内港駅と書いたけど、正式には桟橋駅と呼んだらしいです。
むしろ、稚内駅のことを稚内港駅と呼んだらしい(複雑~)
でも、
桟橋駅じゃどこの事だか分からないので
(高知県、土佐電気鉄道の終着駅名も同じ名前だったような気がする)
稚内港駅と書いたけど、正式には桟橋駅と呼んだらしいです。
むしろ、稚内駅のことを稚内港駅と呼んだらしい(複雑~)
でも、
桟橋駅じゃどこの事だか分からないので
(高知県、土佐電気鉄道の終着駅名も同じ名前だったような気がする)
やっぱり、私のなかでは、
いつまでも稚内港駅ですね!(笑)
いつまでも稚内港駅ですね!(笑)
追記(2014年8月)
稚内駅、稚内港駅の線路が分かる古地図です
フェリーターミナルまで移転しちゃいました