1989年、北京モスクワ国際列車4、中ソ国境通過編(台車変換ショーを堪能できました) | FC2に移転しました(線路巡礼)

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1987年5月1日。国際列車3日目の朝。
5時半に車掌に起こされました。

もう、国境の駅、満州里駅のすぐ手前でした。6時到着。

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中国最後の駅。満州里駅。
駅名標に、次の駅の表示がありません。次はソ連の駅です。
ちなみに私はずっと、この黄色い変なジャージを着ていました。
今見直してみると、ハズカシ(笑)

中国の税関職員が乗り込んできて、アレコレ申告書を書かさせられます。
まったく書き方分からず、ポーランド人のマタンさんに教わります。

7:30。
いよいよ、列車は緊迫の中ソ国境に向かって、ゆっくりと出発。
緊張の瞬間です。

北京モスクワ国際列車には、モンゴルのウランバートル経由の列車もあるのです。
でも、敢えて満州経由のこの列車を選んだのは、
この中ソ国境を見たかったから。

米ソ冷戦当時でも、同じ社会主義国家の中ソの方が仲が悪いと言われていました。

どんなに緊張状態にあるのかな・・・、
と少し期待しましたが(笑)、

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ゆっくりですが、意外とあっさり通過。
柵とか、堀とか、地雷原とか、そんなものなかったみたい。
どでかいソ連の看板だけが目立ちました。

7:50には、ソ連側の駅に到着。

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今度はソ連の税関が乗り込んできて厳しいチェック。
本当はこんな写真を撮っちゃ危ないよ?(笑)

無事、ソビエト社会主義共和国連邦に入国できました。

9:00、全員が車両から降ろされました。荷物はそのまま。

列車は、別の機関車に連れられて、すぐそばのヤードに入っていきました。

国境の駅、もうひとつのお楽しみ。
ここで、列車の台車を付け変えるのです。
中国とソ連では、線路の幅が違います。

ソ連の鉄道はヨーロッパとつながっていますが、
線路幅は違います。
一説では、防衛上の理由だとか。
ヨーロッパから物資を貨物輸送されると負けちゃうので、
あえて線路幅を変えたらしい。ホントかな?
それじゃ、台車の交換は重要な問題ですね。


国際列車は、
青空工場?のようなところで、さっそく作業開始。
台車を外して、列車を持ち上げて、別の台車を持ってきて、
実に分かりやすい作業です。

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この楽しい台車変換ショーが、身近で見放題。
客が寄ってきても、作業員は全く無視。
近づいても、何にも言われません。
なんだ、国家機密じゃないんだ(笑)
日本の方が、よっぽとウルサイですよね。
工場見学だって、こんなサービスはないぞ!

社会主義国家の鉄道施設って、秘密主義でとっても監視が厳しいと聞いていたのですが?(笑)

でも、この工場の先の線路まで、フラフラと見に行きたくなり、
ちょっと中国国境側に線路伝いに歩いてみたら、
兵隊さんが、こちらを見てニ・ヤ・リ。
はい、これ以上は止めておきます(汗)

国境の駅です。
両替所がありました。ばんざーい!。
日本円をソ連ルーブルに両替できます。
でもここの両替所。見本の日本円が一昔前のお札のです。
係員にジロジロ見られ焦りましたが、何とか両替成立。
この国境、あんまり日本人は通らないのね(ちなみに乗っている列車に日本人は私だけ)。

ルーブルで、駅売店でパンを大量に購入。
これでモスクワまで飢える心配はなくなりました。

台車を履き替えた国際列車がホームにもどってきました。
さっそく、旅の再開です。

ソ連に入ると、時間が変わります。
ソ連は、あんなに東西に長い国土なのに、
全てモスクワ時間なのです。
列車に乗ったまま、
中国の11時が、いきなりソ連の6時に逆戻りです。
ムチャクチャですね(笑)

だからこの日は長かったです。

車窓に白樺の樹が増えてきました。
いよいよシベリアに突入?

ここまで食事のお世話になった、マタンさんに夕食のお返し。
といっても、大したものはないのですが(笑)。

しばらくして、
ウラジオストックから来た、シベリア鉄道の本線と合流しました。
ここからがシベリア鉄道です。

反対側を走る貨物列車の数が急に増えます。
ひっきりなしに走ってきます。
戦車を運ぶ貨物列車も走ります。撮影OKみたい。

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大きな川沿いを走ります。
若気の至りで、こんな事しちゃいました。
車掌さん公認です。
社会主義国家って、意外と大らかなのね(笑)

次回はソ連シベリア編です。