1989年、北京モスクワ国際列車5、シベリア編(今度はロシア人科学者と親しくなりました) | FC2に移転しました(線路巡礼)

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5月2日、国際列車4日目の朝。日本を出て既に7日目。

朝3時ですけど、もう明るい。
ようするに、ずっと西の果てのモスクワ時間なのです。
すでに時間の観念がなくなりつつあります(笑)

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でも、バイカル湖が見えてきました。
飛び起きます。

マタンさんとの、最後の朝食を楽しみました。

今日もおごってもらっちゃいました。
中国製フランスパンに豚肉を乗せる。
ただそれだけなんですけど、どうしてこんなに美味しいのでしょう。

イルクーツク駅に到着。
たぶん、シベリア鉄道で一番有名な都市でしょう。

マタンさんを含め、ポーランド人行商集団はここで降りました。
せめてもの恩返し。
彼の荷物を降ろすのを手伝います。
部屋から、商品が入ったダンボールが出るは、出るは、
コンパートメントの中で溢れていた商品は、
不良行商集団のものではなくて、彼のものだったのですね(笑)

ところで、北京から一緒だった不良ポーランド行商団体。
サイテーでした。
だって、男女で入ってきて、いきなりコンパメントの上段でアレを始めたり(本当ですよ)、
商談を始めるから、部屋から出ていけとほざいたり。
マタンさんも顔をしかめていました。

マタンさんがいなかったら、ポーランドは間違いなく私の一番キライな国になっていたでしょう(笑)

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本当は何歳だったのでしょう?
商売の成功を祈ってます。
サヨウナラ。
おかげで、ここまで飢えることなく、美味しい食事を楽しめました。


イルクーツクからは、
私のコンパートメントには地元のロシア人が複数乗り込んできました。
今度は大人しい連中ですが、
こちらをじっと見て黙っているだけで、どうも調子狂います。

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一方、
同じ車内のオーストラリアのお姉ちゃんグループと親しくなりました。

この他、ドイツ人、スイス人のグループもいます。

日本人代表は私一人です。孤軍奮闘?

これといって取り柄はないのですが、
私が持ってきたシベリアの地図は大人気。
みなさん、借りにきます。
やっぱり日本製の地図は優秀なのね。

どこかの駅?に停車中。
線路脇で地元のおばちゃんが屋台を出して、地元の食料を売っています。
乗客がどっと群がります。
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外国人グループ(私も入ります、笑)は、買ってきた怪しい食材をお互いに取替えっこします。
資本主義国家の旅行客といえども、
社会主義国家では物々交換が基本でしょうか?


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途中の駅にて。
地元のみなさん、意外と気楽に写真を撮らせてくれます。


車内で親しくなったのは、外国人だけではありません。
地元のソ連人。
ロシア人科学者の青年2人(ヒゥーダーとアレックス)と仲良くなりました。
彼らは北京で何か研究した帰り?らしいです。

特にヒューダーは話好きで、
ヒマさえあれば二人で話し込んでいました。
(二人とも英語がたどたどしいので、かえって通じる、笑)

でも、
ヨーロッパ人が集まってくると、もう語学力はついていけません。
とっても疎外感(泣)
政治の話とか、第二次世界大戦の話とか、みんな大好きみたい。
車掌まで話に加わってきて、政治の話に興奮しています。仕事しなさい(笑)

車窓の方ですが、
イルクーツクを過ぎると風景は一変。
何もない平原のなかを、ひたすら走ります。

車掌の勧めで、部屋を変わることになりました。
全く話をしない地元ロシア人の部屋から、
ヨーロッパ人グループと同室となりました。
今度のベッドは上段。
けっこう、眺めがいいです。

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5月3日。国際列車5日目。

車窓は平原と白樺の樹の繰り返し。

途中、ぽつんぽつんと小さい街が点在します。
当時、ソ連政府は外国人が立ち寄れる都市を制限していました。
いわゆる秘密都市がシベリアにたくさんあったわけですね。

どこが秘密だか分からぬまま、列車は西へ。
雨が降ってきました。けっこう激しい。

14:40。ノボシビルスクに到着。
たぶん、シベリア最大の都市ではないでしょうか。

同室のヨーロッパ人(男女3人)にはどうも馴染めず、
同じ車両のロシア人科学者二人と行動を共にしていました。

彼らが入れてくれる、ロシアンティーが最高です。
ティーバックの紅茶に、イチゴジャムを混ぜるだけなのですけど。

逆に、私が持参した味噌汁パックは彼らに大好評。
ここでも物々交換が盛んでした(笑)

そろそろ、国際列車の旅も終盤ですね。