1989年、北京モスクワ国際列車の旅3、中国東北編(本物の汚い蒸気機関車に感動、食料がないけど・ | FC2に移転しました(線路巡礼)

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1989年4月29日。
旅に出てから3日目。
ついに夕刻の北京駅にやってきました。

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駅前も駅の中も大混雑。
昔の上野駅も真っ青です。

外国人専用待合所というのがあって、ここに避難。
いつもは外国人枠として扱われるのはイヤなのですが、今回は特別(笑)。

出発までの間、食料を調達せずに、なぜかコーラのペットボトルを買い込んでしまいました。
コカコーラは、当時の中国では贅沢品です。どうしてこんなもの買ったのだろう?
(これが後で悲劇を生みます。

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モスクワ行き国際列車は、1番線、つまり待合所に面したホームから出発。
とてもエライ列車の扱いみたいです。

いよいよ、列車は定時に出発。

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私が乗ったのは、安い4人コンパートメント。下段です。

ポーランド人の行商の団体と相部屋。
すでに、こいつらの荷物(大量の商品)が部屋に運ばれていて、足の踏み場もありません。
一時はどうなることかと・・・

でも、なんとか落ち着きました。

同室のポーランド人、マタンさん(40歳くらい?)と親しくなりました
この人は、非常識なポーランド行商団体と一緒に行動してはいても、仲間ではないみたい。
とてもまともな方でした。
話が弾みます。

ガタンゴトン。やっと国際列車の旅が始まったという実感です。
行商団体は煩いけど。

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4月30日。国際列車2日目。
この日は一日中、中国東北部を北上しました。
いわゆる、旧満州鉄道の線路ですね。

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早朝の停車駅でちょっとホームに降ります。
やっと、自分の乗っている列車を外から見学。
客車は13両編成、電気機関車です。
2人用個室もあるんだ。
食堂車もありますね。
中国人だけが乗っている客車もありました。
車掌は各車輌に1名いるみたい。全てソ連人(ロシア人)みたいです。

沈陽、長春、ハルピン、チチハルと
世界地理でお馴染みの名前の駅を過ぎていきます。

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ホームは実に大雑把。どうして土が盛ってあるのかな?
インドみたいに牛はいないけど。


途中、蒸気機関車の大群に出会いました。

当時、中国東北部はまだ蒸気機関車が現役。第一線で活躍中でした。
旅客駅まで石炭まみれ。

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本物の蒸気機関車は日本の観光用SLなんかと全く違うのです。
汚いのです。
たとえ機体はきれいでも、そのすみかは真っ黒なのです。
線路は石炭まみれなのです。
でも、これが実に自然なんですね。

私が日本の観光SLに興味がないのは、
このとき、本物を見てしまったからかなぁ?


列車は中国東北部の大平原を走ります。
これまた世界地理でお馴染みの大慶油田が見えてきました。
洪水の後のような巨大な湿原も登場。

一日中、何もかも大雑把な大地を走りましたが、夕闇の中に山が見えてきました。
今日の旅は、これで就寝かな。


ところで、楽しい国際列車ですが、
私の身には大変なことが起きていました。


お金がないのです。

と言っても、盗まれたわけではなくて、
現地通貨の「中国元」の持ち合わせがないのです。

列車に乗ってしまうと、両替は出来ないことをすっかり失念していました。

事前に食料を買っておくのも忘れていました。
(今では考えられないことです、泣)
なんで、北京駅でコーラなんか買ったのかなぁ?

食堂車の食事は10元。
私は6元しか持っておらず、
頼み込んで6元に負けてもらいました(笑)

でも、不味いの(泣)

こんな不味い食事で、文無しになりました。
これなら、パンでも買うんだった(泣)

途中の停車駅のホームには出店がたくさんあります。でも、お金がないの。
日本円は使えません。
まして、クレジットカードなんか見たことないでしょう(泣)

唯一の救いは、
同室のマタンさんが、毎回部屋メシに誘ってくれることですね。

彼のカバンからは、次々とパンと肉の缶詰が出てくるのです。
これの美味しいこと。
旅なれているなぁ。

というより、
今、思い起こしてみると、私の行動には全く遠慮がありませんね(笑)。

こんな感じで、国際列車は2日目の夜を迎えました。

翌朝は、もう国境です。


次回、緊張の中ソ国境編に続きます。
無事に通過できるのかな?
文無しのまま、モスクワまで旅をするの?(笑)