
「武蔵小杉」「武蔵中原」「武蔵新城」そして「武蔵溝ノ口」。
川越線、武蔵野線、中央線にも「武蔵」駅はありますけど、こんなに続きません。
五日市線は頑張っていますけど、3連続です。残念でした(笑)。
そのくらい、川崎市民は「武蔵」にこだわりがあるんです。いじらしいでしょ?。
今日は、その「武蔵」の話。
今、旧東海道を江戸日本橋から京都三条まで散歩しています(まだ、小田原ですけど)。
ある日、横浜市戸塚の山の中で、「武相国境之木」に出会ってしまいました。
ここが、武蔵国と相模国の境なんです。
こんなところに両国の境があったのですね、恥ずかしながらここに来るまで全く知りませんでした。
ビックリ。感動しました。
武蔵国と相模国の境界が多摩川ではないことは知っていましたが、この低い「山」が境なのですね。
でも、それなのにどうして、「多摩川」が東京と神奈川の境になってしまったのでしょう?
私の、歴史好き、地理好きに火がついてしまいました。
昔は武蔵の国だった川崎市は、どうして東京都になれなかったの?
すごい疑問です。
私は神奈川県川崎市生まれの川崎育ち、結婚後10年ほど東京都に浮気していましたが、今は立派な川崎市民に更正しました。最寄駅は南武線の「武蔵」の駅。
でも、今までそんなこと、全く気にしていませんでした(笑)。
だいたい、地元の小学校でも全く教えてくれませんでした。
郷土愛がありませんねぇ。
今の都道府県の範囲(領土?)は、だいたいが江戸時代までの国を再編することで成立しています。
ほとんどが、1国1県(山梨県=甲州、他)、または複数の国を合わせたもの(岐阜県=美濃+飛騨、他)です。
でも、神奈川県は違うんです。
何故か、相模と武蔵(一部)をあわせて出来ているんです。
何故なんだろう。
どうして武蔵と相模をひとつの県(都かな)にしなかったのでしょう(東京都=武蔵+相模とか)。
どうして川崎市は東京都(=武蔵の国)になれなかったのでしょう。
なんで、川崎市だけ、切り捨てられちゃったの?
(実際には、横浜市の一部も武蔵の国です。川崎市と同様、切り捨てられています)
気になって仕方ないので、今日の会社の帰り、中原図書館に寄って調べてきました。
さすが川崎市立図書館です。
神奈川県の本はたくさんあります。
でも、県内各地の歴史とか、ペリー上陸の話とかばかりです。
一番肝心の、今の神奈川県の版図が、いつ、どのように決められたのか?、についてはほとんど触れられていません。
いつの間にか、神奈川県は生まれているんです(泣)。
それでも、少し分かったのは・・・
もともと、今の都道府県の基は、明治維新の版籍奉還にさかのぼります。
この時、日本中の諸大名の名藩が、そのまま県になりました。
武蔵の国は武蔵県(?)になりました。
相模の国がちょっと他と違ったのは、横浜(神奈川)という貿易上重要な場所があったことです。
ムリヤリ、横浜の周辺10里四方(40キロ四方)が、神奈川府というものになってしまいました。
どうやら、この時に川崎市と横浜市の一部は、この神奈川府に編入されてしまったようなんです。
この時の神奈川県は、未だ4つに分かれていました。
1.六浦県(金沢八景のあたり?)
2.神奈川府
3.小田原県
4.萩野山中県(伊勢原のあたり?)
その後1と2が合併して神奈川県、3と4が合併して足柄県となりました。
さらにこのふたつも合併して、神奈川県が誕生しました。
でも、この後大波乱がありました。
この時の神奈川県には、三多摩(府中周辺、八王子周辺、奥多摩)が含まれていました。
これがムリヤリ東京都に割譲されてしまったのです。
なんでも、東京の水道水(多摩川上流)を確保するためだったとか?
神奈川県はたいそう反対したそうですが・・・。
こうして、神奈川県は作られました(笑)。
ちょっと想像してみてください。
ひょっとしたら、23区と川崎市・横浜市をあわせたものが東京都、相模の国と三多摩をあわせたものが神奈川県になっていたかもしれません。
(そしたら、神奈川県ではなくて足柄県とか相模県でしょうか?)
もちろん、県の境界としては戸塚の山よりも多摩川の方が適しているから、多摩川を境として今の神奈川県が出来たのだ、という考えもあります。
でも、だとするとどうして相模の国は初めから多摩川を境としていなかったのでしょう?
多摩川は、昔から大きな川だったわけですし・・・。
今日調べられたのはここまで。
気になるので、もっと調べてみようかと思います。
ここまで分かれば、後はインターネットでも調べられそうです。
社会科好きなんですね、私は(笑)。
また、趣味が増えちゃいそうです。
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追加のひとこと。
別に神奈川県民であることが、嫌なわけではありません(笑)。
知りたいのは、歴史的経緯を全く無視?して、なんでいきなり武蔵の国から切り離されちゃったのかな?ということです。
決して、住民税が高いからではありません。たぶん(笑)。
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さらに追加。
インターネットで調べたら、イロイロ分かっちゃいました。
明治維新の時、諸外国との条約で神奈川(横浜)には多数の外国人が居留していました。
当時の政府にとって厄介者の彼らが、国内で行き来を認められたのが、その4里(20キロ)四方でした。江戸(東京)との境に、ちょうどいい具合に多摩川がありました・・・。
外国人の管理を主要業務とする神奈川府の範囲は、そんな風に決められてしまったみたいです。
要するに、川崎市は不良?外国人のために東京都になれなかったのですね(あわれ)。
外国の圧力で県の範囲が決められたなんて、なんか香港やマカオみたいですね~。
こんな重要なこと、どうして学校で教えてくれないのでしょう?