「感謝の気持ちでいっぱい」とかひたすらポジティブワードをブログに書く輩が多い。
といってもブログという媒体でのこのセリフが戦略であった場合は、発信者を一概に愚鈍であると括れるものではないことは先に述べておこう(実際に発信者が本人であるかは謎)。

最近ではリアルの生活でこのセリフを言っている人間を多々見受けるようになってきた。
ポジティブワードの中でも、この「みんなに感謝している」は、相手を無差別化し、感謝する側を主役として相手を脇役としてしまう。
感謝する、と言った瞬間にその人は王様気分で周囲を虫けら同然に扱っているのと同じとする。
「みんなありがとう!」とステージ上で感極まるアイドルを思い浮かべてもらえるといい。
これは、みんな好き、が、みんな嫌い、と同じ効果をもたらすといってもいいだろう。

つまり、
「本当にありがとう、感謝してます」=「みんなしねばいいのに」

なのである。

感謝してるとか、ありがとうとかの連呼は、完全に個人を尊重しない傲慢のあらわれである、と結論したい。

1年間、ヌレネズミは姿をくらました。


ヌレネズミは1年という時間の中で、数えていた。


ずっと数えていた。


いらっとした瞬間を。


その数3488回。


つまり一日にほぼ10回いらっとした。




怒れるネズミはそれからヒップホッパーになった。



そしてヌレネズミは先進国の大統領を批判するようになった。



その後ヌレネズミは地球の環境問題に危機を感じた。



そして現在、ヌレネズミは怒れる企業戦士として社畜化されながら日々邁進している。




そろそろヌレネズミは自分の為に生きてみようと思う。



人間いつだって何をするにも初めてを通過して経験を重ねていくものである。


何かの広告で、「ママも1歳」なんていうキャッチコピーを見たことがあるが、

どんなに多様な経験のある人間でも、新しく何かを始めるときは、初体験を経て1年2年と経験を踏むものである。


しかし世の中には初々しいことが良いとされることと、一見さんお断りなどと、高級なイメージやサービスが維持できないというリスクのために煙たがられる場合がある。


今日、ヌレネズミが話題に上げるのは、もちろん後者である。


就職する直前、同級生の友人にこう言われた。



「社会人になったら輝きそうだね」


ヌレネズミはそのとき思った。

なんと悪意のある言葉だろうと。


「社会人になったら輝きそうだね」

「今ぱっとしないもんね」

「はいはい、社会人デビュー社会人デビュー」


高校デビューならまだしも、大学デビューならぎり、

しゃしゃしゃ社会人デビューとは。


いわゆる華やかな世界のイメージが社会人デビューしたやつらのせいで維持できないといわれていると同義である。


このときヌレネズミは社会人デビュー人として、お断りされたのだった。