夢の国 | 「Sound Therapy」 

「Sound Therapy」 

 〜 この瞬間に感謝をこめて 〜

すべての存在は『 愛 』そのものなのです

ものすごくたくさんではないけれど
ディズニーランドは幾度も行ったことがある
まさしく「夢の国」そのもの

いつ行っても笑顔になる
またいつでも行けるとそう思っていた


テレビでミッキーやその仲間たちが
ゲストとして某番組に出ていた
ダンスしたりミニショーをしたり
規制の多い番組内でも
見ているこちらのテンションを
あげる魔法は本当に素晴らしかった

今だからこそ
より心に響いてきた


そしてある瞬間
いきなりテレビの画面が遠くに行った
まるで俯瞰しているように
遠い日々を思い出すかのように
ポンと私から離れた

電飾に包まれて光り輝き
その中でのショーが
本当に夢の世界のように感じられた
テレビ用で実際のディズニーランドの
それとは全く違うのに
それでもあんなにきらきらして
とても眩しかった

目眩がしそうなほど
眩しかった

今までも何度もテレビで
ディズニーの華やかで輝くショーは
観たことがあるのに
それまでの「きれいだよね」という
感想とは違う種類の心の思いが
存在していることに嫌でも気づく

憧れに近い感覚だった


番組を終えて
「エレクトリカル パレード」を
見たいなぁ~~~
そんなことも今まで思ったこともないのに
無性に見たくて見たくて
たまらない気持ちになった

地震以来ずっと休園中のディズニーランドは
なんだかすごく遠くに感じられた

100万個のライトを使って
いくつもの光り輝くフロート(山車)が
次から次からやってくるさまは
夢の国としかいいようもない

夜光り輝き心躍る音楽とパレード
なんて幸せと笑顔に満ちた
時間と空間だったのだろうと
今初めて知るとは

その夢の国のある国
ここ日本も夢の国だったんだなと

そんなことを思いながら
テレビに映るミッキーたちを見ていた

ディズニーリゾートは
施設的にはもう開園できる状態に
近づいているらしいが
いずれ実際に行って楽しめても
笑顔になっていたとしても
きっと何かがもう違っているのだろうな

それはディズニーがどうのこうの
というのではもちろんなく
私たちの心の中の様子が
追いついていかないのだろうな

随分前10年近く前になるのだが
主人の店で働いてた中国の人たちと
社内旅行でディズニーランドに行った時
彼らがこう言っていたのを思い出す

「すごいよ
 日本にはこんな大きな遊園地がある
 大人もみんな遊んでるよ」

文字だけ追えば
ただそれだけのことだけれど
これがどれほど凄いことか
今は感じることができる

ディズニーランド

平和の象徴だったのかもしれない
自由で足りているという
代名詞だったのかもしれない

当時の中国から
まだ日本に来たばかりの彼には
本当に凄いと思えたのだろう

国家という存在を
感じていたのかもしれない


ディズニーランドの開園
これを今思う

現在の
この何もかもまるで動いていないように
感じられてくる抑制された時間の中で
ディズニーランドの開園は
一つの復興のしるしになるような
そんな気がしているのは
私だけではないのだろうな

物理的にも
こころ的にも
とても大きな気がする


100万個のライトの饗宴
また
この光たちと再会できる日が
くるだろうか

まばゆい光の溢れる中で
目の前を通り抜けていく夢のパレードは
またこの日本に
現れてくれるのだろうか