松本から参加してくれたKちゃんのお友達が写したお空
みなさま、こんにちは
考えてみたら、家族そろって夕飯を食べるっていうのをイックン受験中2年くらいほとんどできなかったので、受験が終って久々にみんなで食べたとき、ほんとに嬉しかった~
きのうの帰り道 えっちゃんと話してたけど、当たり前のことでもそれがかなわないという体験をしたら、再びできるようになったときもうそれは、当たり前ではなくて至福なのだ・・・
それって地球で生きてるからこそ味わえる体験なんだなぁと思います
さて、えっちゃん、きのうの会のブログあげたので、わたしもちょこっと書こうと思います
まずは今回、前代未聞な直前のタイミングで告知したにもかかわらず、すてきなみなさんがお集まりくださり、ほんとにありがとうございました
で、いつもの会にくらべたら、不思議度かなりおさえたつもりだったんだけどやっぱ刺激的だった
さて、えっちゃんのお話、ランチ会に参加させていただいたときも伺ったけど、なっるほどな~~~って思うわけです。
スピをやってて真理を学んでも、人生の改善がうまくいかない場合、ここに原因あり、というのが超腑に落ちる。
人生の改善って書いたけど、えっちゃんの図では『自己肯定』って書いてあって、でもね、自己肯定できて生きるって最高に幸せなことだと思う。
前も聞いたけど、やっぱりまた聞くとそっか~と思う
下の図みてね
どんなに正しい生き方を学んでインプットしても現実に現れてこない人は、この一番下の土台になってる部分『自己受容』ができていないから。
ここがぐらついていると、どんなに『わたしはずばらしい』(つまり自己肯定するようなポジティブな言葉や思い)を言ったり思おうとしても、心の底でそう思えてない(自分のことを受け入れてない)のでおかしなことになってしまうっぽい。
知らず知らずにそれは態度に出てしまうらしい(えっちゃんの言い方はこういう言い方じゃなかったんだけど、自分流でごめん)
そして、いつまでたっても自分軸で生きられないってことになってしまう。
もう少しわかりやすいお話が聞きたい場合は、えっちゃんのランチ会や、第2回お話会に来てねん
えっちゃんのたとえでわかりやすいのは、ガンダムみたいなモビルスーツでのたとえ。
自分っていうのをモビルススーツ風に考えてみて、本来は、操縦席には自分が座ってなきゃいけないのだが、自己受容できてない人は操縦席に他人や他者の意見や情報やそういう自分以外の存在が座ってるってことになってしまう。
結果、自分の本当に望む動きができない、つまり、そういう人はいつも心がぐらついてる
だし、第一に、そういう生き方だと絶対幸福感味わえないよね
ではでは、自己受容できるようになるには ということなんだけど、生れ落ちてすぐは、誰もが自己受容できているそうだ。
が、成長するにしたがって、どんどん自己否定するようになってしまう。
それには、親 という存在が大きくかかわっているそうだ。
親とのかかわりにおいて、自分と言う存在を受け入れてもらえなかった場合、自分で自己肯定感にフタをしてしまうようになるそうだ。
だから、そういう場合は、紙に書くといいらしい。
例えば、
『お母さんに 本当は〇〇してほしかった』みたいに、望んでいたのにしてもらえなかったことを全部書いて吐き出してみるといいそうだ。
親との関わり以外にも、『本当はあの時、こう思っていた』という日記のようなものもいいそうだ。
とにかく、自己受容感にフタをしてしまっている場合は、いくら『わたしは〇〇だ』とポジティブに書き換えようとしても変わらないのだそうだ。
ということで、理解したつもりのことも書こうとするとなかなか上手く書けないもんですが
でも、この部分ほんと大事だと思うのよね
ここからはちょいとわたしの思うことなんだけど、心の奥深くの意識と一致したことしか現実に現れてこないって思う。
だから、心の奥の意識で自分のことを受け入れられて、愛せてないと、『幸せである』っていう思いを感じることが難しいのではと思います。
さてそれで、このことはきのうの会でもみんなでシェアしたんだけど、自分が意識の奥深くで自己受容できて幸せに生きる人生を歩み始めたとき、何にもしていないのに周囲が変わるんですよね、とくに身近な人からこれ不思議
実際体験中の方何人かいらっしゃいましたよね
環境は自分で創っているってよく言われるけど、その深層はこういうことだったんだって思う
あ、それから、さっき、親とのかかわりってあったけど、現在自分が親をやってる場合、子どもの教育で1番大切なのはお母さんの笑顔なんじゃないかなぁって思う。
お母さんが自分軸でほんとに幸せそうに生きてること、その姿を見て育つ子供は、自然に自己肯定感をしっかり持ち続けられるんじゃないかな~ってすごく思う。
お母さんの仕事で1番大切なのは、笑顔
ある日の不思議雲
あ、そうだ、えっちゃんブログにあった内容で補足なんだけど、イックンの受験の話で、”最も難しいと思われる学校”って書いてあったけど、『当社比 難しい学校』ってことなんで
誤解のないように補足です
で、きのうお話したことで、初めて神頼みしたってお話させていただいたんだけど、わたし、お祈りはず~~っとしてきたんだけど、実は『神さま、助けてください』って本気の本気で助けを請うたことがない という事実に神頼みしてるとき気付いた
それはね、自分のことでなかったからだったんだと思う。
イックンまさかの受験直前の12月ごろから急にモチベーションが降下してしまって きのうイックンと男のデートしてきたパパから今朝聞いたのだが、原因は登校日が少なくなってリズムがくずれたらしい(イックンは学校大好き人間なのだ)。
それに輪をかけて、今年の入試はすごく厳しくなっており、最初の段階で滑り止め校1校しか受かっていなかったのでした。
イックンが、ものすごく自分を情けなく思っているのが手に取るようにわかってしまうのがほんときつかったっす(もともとイックンの思いはテレパシーみたいにわかるので正直生きる気力がゼロに近かった。これはやばい)
この時、変わってやれるものなら変わってやりたかったし(これが地球のママゴンの母性愛か~)とにかく彼の心に生きる気力が戻ってくれるよう毎晩祈りました。
(ちなみにスピ友Ⅰは、イックンの受験日を知ってから毎回 受験日当日イックンに祈ってくださいました)
最初はどこかに合格しますように(もう受験は全部終ってたけど)だったんだけど あとはもう天におまかせします、という祈りだった。
2月中旬松本しゅっちょ~に便乗させたときは、いくつか受けた学校の中で1番きびしげな学校の合格発表だったんだけど、それより難易度低いところがだめだったので発表も見ずに気分転換かねて松本に連れていったのでした。
帰宅してわたしだけ一人で見ようって思って夜中にサイトにアクセスしたら そこだけ合格してた
ありえへん~~~~
あわててパパ起こしたけど、間違いかもしれないから書類が届くまで信じられないとかいうし
そんなこんなな、地獄から天国へと振り巾が大きすぎたイックンの受験だったけど、これは本当に良い体験をさせていただいたと思った。
これを境に、なんだか自分軸が超ぶっとくなったように思える
と、イックン受験エピソードを書いてたら熱くなってしまったが、きのう、楽しすぎてやっぱり時間パツパツになっちゃって、2個やり忘れたことがある
レムリアの波動での瞑想とヒーリング、それから、ET度チェックテスト(バッチリ用紙を持ってってたのにぃ~)
またの機会にね
それでは、そろそろこの辺にて終わりにしたいと思います
きょうも、ご訪問ありがとうございました
ハワイ島アカカの滝
愛と感謝
世界平和