父は2024年4月10日に永眠しました。
ブログ公開はゆっくりですが、ブログ記事はなるべくリアルタイムで綴ってきました。
父の頑張りや思い出の記録とともに、
その時の素直な想いをここに書く事で自分の中の気持ちや考えをまとめ、心を落ち着けていました。
父が居なくなって少しの間は、書く気が起きずにいました。少し間が空いて気持ちも落ち着いたので、振り返っていきます。
このブログ記事は5月1日に書いています。
2023年5月15日に
食道胃接合部癌のステージ3と診断された
父(当時66歳)の闘病の様子を
娘目線で綴っていきます。
私の弟たち
弟(長男)→実家暮らし。標準治療反対派で、父の治療には一切関わらないと宣言。
弟(次男)→県外住み。父の選んだ治療に賛成というスタンス。
弟(末っ子)→県内住み。三男。歳の離れた弟。とても頼りになる。父の通院の付き添いなど全て請け負ってくれている。
まずは、父の体に持ってきた服を乗せました。
スタッフさんに、
「2着乗せてあげて大丈夫よ。じゃあ、作業着から先に乗せてあげようか?」
と言われ、まずは作業着。
私と長男で上着を、次男と末っ子でズボンを乗せました。
うん。これぞ父って感じ。やっぱり作業着姿は一番見慣れてるからしっくりくるなぁ
次は私服。
父は赤のチェックのシャツと青のチェックのシャツをよく着ていました。
私の中で父は赤を着る事が多かったイメージなのと、赤の方が似合ってるので、赤チェックを着て向こうに行ってもらう事にしました。
下はジーパンです。
うんうん、いつもの装い。バッチリ
「これは必須やろ!30年は着てるんちゃう?」と次男が引っ張り出してきた父のジャンパーは、素材が綿じゃないのでNG。そういえば綿素材にしてねって言われたの忘れてました。
結局、この日ずっと父の代わりに次男がジャンパーを着て過ごしました。
子供の頃から見てる紫のジャンパーが視界に入る度に、「あれ?父?」と思わず次男を目で追ってしまったのは内緒です(笑)
ちなみに、私は持ってきていた黒地総柄のワンピースに、父が秋頃に購入してから入院前までほぼ毎日着ていたフリースパーカーを羽織ってきました。
田舎なので4月といえど普通に寒くて。
勿論、眠る父に「貸りてるよ」と声はかけました。決して無断ではありません
長男と末っ子は全体的に黒っぽい私服姿でした。
自分たちの服装もだし、お部屋の装飾も花籠しかない状態で過ごしたので、お葬式感がなくて不思議な感じでした