父は2024年4月10日に永眠しました。
ブログ公開はゆっくりですが、ブログ記事はなるべくリアルタイムで綴ってきました。
父の頑張りや思い出の記録とともに、
その時の素直な想いをここに書く事で自分の中の気持ちや考えをまとめ、心を落ち着けていました。
父が居なくなって少しの間は、書く気が起きずにいました。少し間が空いて気持ちも落ち着いたので、振り返っていきます。
このブログ記事は4月27日に書いています。
2023年5月15日に
食道胃接合部癌のステージ3と診断された
父(当時66歳)の闘病の様子を
娘目線で綴っていきます。
私の弟たち
弟(長男)→実家暮らし。標準治療反対派で、父の治療には一切関わらないと宣言。
弟(次男)→県外住み。父の選んだ治療に賛成というスタンス。
弟(末っ子)→県内住み。三男。歳の離れた弟。とても頼りになる。父の通院の付き添いなど全て請け負ってくれている。
父は、15時頃まで会館に安置され、15時32分に火葬されるという説明を受け、
スタッフさんが役所に行ってくれてる間、夫に連絡しました。
夫は急ぎでこちらに来ようとしてくれましたが、断りました。
何故なら、
夫は片手が骨折したばかりだったんです。
無理してほしくなかった。
勿論、息子が、「最後におじいちゃんに会いたい」と言うなら、朝イチで来てもらおうと考えていました。
息子は、
「4月1日のおじいちゃんの姿を最後にしたい」
と言いました。
生きている姿だけを覚えていたい気持ちも解ります。それで良いと思いました。
父は生前、なるべく迷惑掛けたくないと、
「わしの葬式はお前ら4人。もしお前らの家族も来たかったら来てもかまん。それ以外は呼ばんでええ。」
と言っていましたし、
長男にも
「(姉ちゃんと次男の家族は)呼ばんでいい。4人でいいやん。」
と言われたし、
葬儀会社のスタッフさんも、
「集まるんは子供らだけと言いよった。あとは仲の良かったYさんが来たかったら来てもらってもええとは言いよったよ。」
と言ってました。
父と私の家族は4月1日に今生の別れは済ませたという認識をみんな持っていました。
だから、葬儀をしないなら無理して来なくていい。父も無理せんでかまんって思ってるよね。
夫もそれで納得してくれました。