2023年5月15日に
食道胃接合部癌のステージ3と診断された
父(当時66歳)の闘病の様子を
娘目線で綴っていきます。
私の弟たち
弟(長男)→実家暮らし。標準治療反対派で、父の治療には一切関わらないと宣言。
弟(次男)→県外住み。父の選んだ治療に賛成というスタンス。
弟(末っ子)→県内住み。三男。歳の離れた弟。とても頼りになる。父の通院の付き添いなど全て請け負ってくれている。
遊覧飛行の前に電話した時の話。
父の声がだいぶ調子よさそうで、飛行機の話で盛り上がっていたのですが、
父は自分の人生を振り返って、
「全部とはいかんかったけど、やりたい事は大体出来た人生だった」
と話していました。
仕事もやりたい事をしたと言ってましたし、
父はとてもアウトドア派で多趣味な人です。
父は社交的で交友関係が広かったので、
若い頃はゴルフをしてみたり(これはハマらなかった)、テニスしたり。
釣りが長い事大好きで、遂には船(ボート)まで買ったり!父が故郷に引っ越して釣りをやめるまで10年以上所有していたと思います。
父「ボートはお前ら一回しか乗らんかったなぁ。みんな船酔いしてしまって。」
私「私とお母さんは特に乗り物酔いする人だから仕方ないよー。でも、今思えば勿体なかったね。船乗り放題って贅沢だし。まぁ、何回乗っても酔ってそうだけど」
父「末っ子だけやな、何回も船乗ったんわ。無理矢理連れてったしな(笑)朝早くから船乗せて、うつらうつら寝こけて、可愛かったなぁ」
父が語る幼児だった頃の末っ子の可愛いエピソードは、大体、釣りとセットで出てくる気がします
末っ子の一番古い記憶も、船の上でクーラーボックスにしがみついて寝ぼけてた事らしい。
当時は毎週のように釣りに行ってたらしいからねー
あとは、バドミントン。
テニスを辞めた後に始めました。隔週くらいで父の友人家族2組と体育館に集まって
私が小学高学年か中学くらいの頃。楽しかったので私と長男、次男も数年ほど父にくっついて続けてました。
末っ子と一緒に無線の資格とったり、パラグライダーを始めたり
キャンプも末っ子を連れて、仲の良い人達と行っていました。
私の息子がまだ2歳くらいの時期に、
仕事を畳んで父の故郷で農家に転身!!
約10年間、農家という新しい仕事もとても楽しんでいました。
そういえば、ド田舎は騒音問題と無縁だからと、金管楽器を買ってきた事もあったっけ。音がロクに鳴らせなくて、オカリナに乗り換えて(笑)半年くらいは続いてたような?
私が知ってるだけでも、本当に色んな事にチャレンジしてるなぁ。エネルギッシュ過ぎるインドア引きこもりの私には真似出来ない(笑)
他にもやりたい事は色々言っていました。
ゆくゆくは、
キャンピングカーで日本一周とか、
家の周りの空き地をキャンプ地にして、来てくれた人に農業体験や手作りのピザ窯でピザ作り体験を提供したいとか。
でも、本人がやり残したと言った事は
今住んでいる家の改装。
1人でやるには壮大なリフォーム計画を立てていて、10年かけてのんびりやる予定でいました。
癌の手術前に一部屋の改装が済んで術後に家具を揃えたばかり
次はお風呂場に着手する予定にしてて、夏の帰省の時はカタログを見ていました
手術が終わって体調良くなったら、お風呂場を作り替える、とその時は言ってました。
私も楽しみにしてて、一緒にカタログを眺めてました。
父「出来んかったんは家の改装だけやな。
あとは大体好きにやったけん、悔いはない!
お前ももう若くないんやけん、体が動くうちにやりたい事はやっとけよ!」
と言っていました。