LUNATIC★BANQUET -4ページ目

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 小池駅に降り立つなり駆け出した青年に、ホームにいたサラリーマンたちは遠慮なく好奇の視線を投げかけた。

 
 アスファルトも溶け出しそうな盛夏の午後、ゆらゆら立ち昇る陽炎を尻目に、息せき切って走る様子は凄まじいものがあるが、さらに拍車をかけているのは彼の格好だ。黒ずくめ、それも革パンにブーツ。
 長い黒髪を背になびかせ、暑苦しい変なニーチャンはまちなかを疾走していく。


 時間に遅れそうだから走っているわけではない。そもそも約束も何もないのだから、走る必要もない。だが稜は、一分でも一秒でも早く目的地へたどり着きたかったのだ。


 工場脇の並木道を抜け、あの路地へ。稜はそこで走るのをやめた。額に湧いた汗を手の甲で拭いながら、呼吸を整える。


 ゆっくりと、わざとゆっくりと歩みを進める。


 ポケットの中には出来上がったばかりのデモテープ。新生APTEMIΣのヴォーカルとなって、初めてカタチになったものだ。

 ほんのスタート地点に立っただけ。だが、スタートはしたのだ。やっと、彼に胸を張れる。このテープを一番最初に聴いてもらいたかった人に。


 鉄錆の浮いた階段を上がり、塗料の剥げたドアの前へ。ポケットからデモテープを取り出した稜は一呼吸し、テープを握り締めながら呼び鈴を押した。



 鼓動が高鳴る。それを宥めるかのように目を閉じる。



 ・・・・

 応答はない。



 稜はもう一度、呼び鈴を押してみた。


 ギ・・


 建て付けの良くない音をさせて開いたのは、隣家のドアだった。
 気だるそうに顔を覗かせた水商売風の中年女は、訝しげに稜を見ながら一言だけ言った。


 「そこ、空き家だけど?」


 蝉の声が急に止んだ。



 饐えた匂いのする盛夏の午後、ゆらゆらと視界が揺れる。稜は言葉もなく立ち尽くした―――




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 「APTEMIΣ」は稜に消え去ることのない衝撃を残した。

 耳の奥に留められた彼らの音、それをもっと知りたくて、稜はAPTEMIΣのライブに足を運ぶようになった。


 まさに足しげくという言葉通り、稜はほとんど常連のように、APTEMIΣのライブに通い詰めた。
 

 だから感じられたのだろうか、何度目かのライブを境に、彼らの音に生じた異変を。
 後日、噂という頼りない情報源からではあったものの、稜はその違和感の正体を知ることになる。どうやら『彼ら』も、稜と同じ壁にぶち当たっていたのだ。
 半分解散したも同然のDEADLINEが重なる。APTEMIΣにも、自分たちのような終わりがやって来たのだろうか。


 ところが、稜はいい意味でAPTEMIΣに裏切られた。彼らは決して諦めていなかったのだ。
 
 メンバーチェンジという再生方法でもって、さらに跳ばす。

 稜を驚かせたのはそれだけではない。新たにAPTEMIΣに加わったのはギターとドラムスの二人だったが、彼らは地元ではちょっとした有名人であった。


 元PIG―MARIONの[紗那]と[勇太郎]。
 
 しかも紗那というギタリストは、APTEMIΣとの対バンで会った、あの綺麗で凶悪なガン飛ばし野郎であった。


 しかし。再構築を果たしたばかりのAPTEMIΣには、次の山がもう立ちはだかっていたらしい。
 ヴォーカルの突然の脱退が発表されたのは、そのすぐ後のことだった。





 求める光は、春の日差しとともに差し込んできたのだろうか。




 たった二人だけ残ったオリジナルメンバーのゼブラと摩謳、加入間もないがすでにバンドの音を牽引している紗那、そして勇太郎。

 ライブ終了後、楽屋に現れた珍客に、APTEMIΣの4人の口はあんぐりと開いたままだった。

 全く知らない顔ではない。いや、彼もまた事情通の間では有名人のはしくれだろう。

 DEADLINEのヴォーカルだ。APTEMIΣのライブにかなりの頻度で通ってきていることも知っている。その男がいきなりやってきたと思ったら。


 
 手にはドーナツチェーン店の袋。4人への土産のはずが、中身はたった2個。

 それは月の女神のめぐり合わせだったか。音楽への奔る熱を両手に抱えた少年たちが外海へと漕ぎ出したのは、天空に大きな満月の照る皐月の夜だった。



 そして時代が動き出す。




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 噂には聞いていた。
 演奏は荒削りだがダイナミック、しかし楽曲は月の女神の名の通りの優美さを漂わせ、それが合わさったステージでは、月の裏性を示す狂気のパフォーマンスが繰り広げられるのだと。


 外気の冷たさなど、このハコの中には無縁だ。


 ライブ当日、客席の最後尾からステージを見ていた稜は、激しい衝撃を受けていた。


 ・・・これが。


 ドラムに負けない力強いベースがぐいぐいと迫ってくる。拙さも激しさに呑み込まれて、それすら心地よいほどの疾走感。


 稜は身震いを覚えた。
 これが『APTEMIΣ』。


 客席が完全に引き込まれている。身体が自然とノリを刻んでいる。


 ふと視線を感じた。
 やはりどこかのバンド関係者なのだろう、やや下手側にいる二人連れの男、その背の高いほうと目が合った。

 細身の体に長い髪がよく似合っている。そのうえ、男の相貌の造作たるや素晴らしく秀麗だった。
 艶かしささえ感じられる容貌に目を奪われたのも束の間、目が合うなりその男はたちまち表情を険しくし、剣呑に瞳を尖らせてきた。

 稜も負けじと眉根を寄せ、彼らは互いに睨み合った。そこへスタッフが本番のスタンバイを告げにやってきたため、ガンの飛ばしあいは終了となったのだが、その数秒間は稜のテンションを一気に加速させた。



 客席に染み込む熱の余韻。
 APTEMIΣという大きな熱の塊が、DEADLINEを突き動かした。

 この熱を自分たちのものに。
 
 今夜のDEADLINEには、いつもよりも強く激しいオーラがみなぎっている。

 熱さが下りてくる。稜は濃密な空気が動くのを感じていた。会場のうねりが変わった。いまだかつて感じたことのない一体感と盛り上がりが、ステージと客席を呑み込んでいく。

 全てが弾ける。エンドルフィンの放出を、誰も惜しまない。

 照明が、ひとりひとりの顔を稜の網膜に焼き付けていく。
 ・・つと、光彩は静止した一点も映し出した。腕を組み、斜めに首を傾げながら、まるで値踏みするかのようにステージを見つめる瞳。
 さっきガンを飛ばし合った男だ。
 
 稜の胸はさらに燃え上がった。歌いながら、稜は終始挑戦的な眼差しで男に応えた。薄笑いを浮かべ、男もずっと稜を凝視している。火花を散らすごとき気迫は、そのままハコを揺さぶり続けた。


 ライブが終わった瞬間、稜は本当に脱力した。こんな達成感を味わうのは、どれぐらいぶりだったろう。モヤモヤと胸に渦巻いていた焦燥感、それすら霧消していくようだ。


 稜を呼び覚ましたもの、その名は。


 ――――APTEMIΣ。




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