LUNATIC★BANQUET -2ページ目

R -86-




 さっきレンと一緒に抜けてきた路地を、女がひとり下りてくる。顔まではよく見えないが、慌てている様子だ。何かを探しているのか、きょろきょろと辺りを見回している。

 その女を視界の隅に捉えたことで意識を引き戻したのか、稜はジーンズのポケットから明日のライブのチケットを取り出した。


 「そうだ、これ渡そうと思ってたんだけど」


 「レン!」


 女は小さく叫び、こちらに向かって駆けてきた。



 「ごめん、店に行ったら外にいるって聞いたから。
 さっきあいつらが・・・」


 キレイだが少し疲れた顔の、多分年上の女。どこか不自然な歩き方だと思ったら、それもそのはず、肩で息をする彼女が手をやった腹部はずいぶんと膨らんでいた。



 「あ・・・」


 思考が停止した稜は、間の抜けた声を発した。


 必死でともそうとした笑みは、きっと引きつっていたのだろう。稜を見返したレンの相貌には、なんともいえない表情が浮かんだ。


 「あはっ、おめでとう
 っていうのかな?こういう時って・・・」


 ドクドクと鼓動の音がこめかみで響く。灯りが遠くなり、闇がにじんでいく。憧憬と焦燥のうちに過ぎ去った時間が、今まさに稜の手から零れ落ちる―――・・


 レンは稜の手元に視線を落とした。それを幸いと稜はチケットをレンのほうへ差し出した。


 「これ、明日なんだけどさ」


 震えているのが自分でも分かったのだろう、それでも稜は声を押し殺し、動揺を悟られまいとした。


 「よかったら観に・・」


 そこで言葉に詰まり、稜はゆっくりとレンの顔を見上げた。非難の色が混じった双眸に見つめられ、レンは一瞬、今まで見たこともないような苦しい表情を浮かべた。



 チケットにレンの指が触れた瞬間、稜はその場から駆け出した。


 ひらりと紙片が舞い落ちる。

 
 走り去る稜の後姿を見送ってから、レンは足元の紙片を拾い上げた。
 それはかすれたワープロ文字が載った色上質紙ではなく、凝った装丁の施された立派なチケットだった。





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R -85-




 薄い刃。

 彼を初めて見たとき、そう思った。

 

 薄い薄い刃。

 彼の旋律が蘇る。尖った彼の全てが、指先から世界へと向かっていく、その音が―――





 二人の間に人波が行き交う中、彼らはしばし互いの顔を見合ったままだった。
 記憶の確認作業だったのだろう、わずかに眉をひそめてから、レンはふっと表情を和らげた。

 雑踏が耳から遠ざかる。今まで堪えていたものが溢れ出してくるような感覚に、稜は震えるばかりだった。


 レンは稜に視線を向けたまま掃除の用具を持って店に入ったが、すぐに外へ出てきた。

 目配せを送られ、稜はレンの後をついていった。




 だらだらと坂を下りながら路地を数本折れると、駅前に通じる通りにぶつかった。駅からは少し遠回りになるが、混雑を避けて角山町へと往復するには格好の抜け道だ。
 今まで彼らがいた場所と背中合わせなのが嘘のように、辺りは暗く静まりかえっている。


 ネオンの途切れる角には、まるで辻の境界標のように自動販売機が立っていた。そこで缶コーヒーを買ったレンは、一本を稜に投げ渡しガードレールに腰を下ろした。

 そこから少し離れて同じようにガードレールに腰かけた稜は、胸ポケットから煙草を取り出したレンが、物慣れた様子で口に咥えるのを見やった。



 巡り合わせの妙に感激したものの、稜はさっきから違和感を覚えていた。それがここにきて、にわかに強くなる。


 切れ長の涼やかな目許、シャープな頤のライン、しなやかな細身の体つき、彼を形成しているそれらのパーツにあの頃と変化は無い。


 だが・・
 やたらと彼の顔の陰影が濃く見えるのだ。
 街灯のせいだけだろうか。
 いや・・


 つとレンから一瞥され、稜は慌てて口を開いた。


 「スタジオの帰りでさ、偶然通りかかって・・」


 稜の言葉に、レンはわずかに小首を傾げた。


 「・・バイト?」


 「髪伸びたね」


 紫煙を吐き出す唇には、謎めいた笑みがうっすらと浮かんでいる。
 
 
 「あ・・うん」

 
 レンからの思いもかけない言葉に、稜は照れ臭そうに髪に手をやった。


 ――話したいことはたくさんあったはずだったのに。
 
 稜はそれ以上言葉を紡ぎ出せず、会話は途切れた。


 喧騒から遠い暗闇に沈黙が流れる。
 稜がひとの気配を感じたのはその時だった。



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R -84-




 駅から雪崩出てくる人波と、駅へと向かおうとする人波がスクランブル交差点を埋め尽くす。

 半円状に伸びる坂のひとつひとつに、きらめくネオンとひしめく人影。裏手に広がる瀟洒なお屋敷街がまるで異界のごとく、雑多な一帯は妖しく息づいている。


 複数の路地が迷路のように入り混じる坂のひとつに掲げられた看板。
 角山町。



 稜自身、どうやってここまでやってきたのか覚えていない。ひたすら荒い息も、長い髪を頬に貼り付けさせるほどの汗も気にせず、稜は看板の先へ足を踏み入れた。



 本当に彼がいるというのだろうか。


 ただただ動揺して飛び出したものの、何もあてがあるわけではなかった。

 
 凍てつくような静けさを纏った容貌が、稜の脳裏をよぎる。思えばあれきり彼に会っていない。



 男であれば何でもいい客引きの連中が、早速行く手を遮ってきた。
 ここもまた不夜城だ。新宿に比べれば若干年齢層の低い連中が、身体中から有り余るほどのエネルギーを放出して、世間を挑発している。


 コワモテの黒い一団に見向きもせず、袖を振り払った稜は、引き寄せられたかのようにある場所で目を留めた。


 
 中年男を捕獲した客引きのひとりが、細い路地へと入っていく。路地の角には細いビル、1Fは店名の周りに電飾を瞬かせたスナックらしき小さな店。その半開きのドアから、顔を覗かせたひとりの青年。



 ――それは出来すぎの偶然か。それとも運命の必然だったのか。



 白いシャツに蝶ネクタイ、バーテンかクラブの従業員と思しき格好で、ドアの外に出てきたのは。
 ネオンライトの陰影の下、稜の鼓動は一瞬止まった。


 「オハヨー、レン」
 

 モップ入りのバケツを手にしている青年に、通りを下ってきた派手目の女が手を振った。


 ふっと口元を歪め、青年は軽く会釈を返した。すると、いかにも玄人然とした女は、しなだれかかるように青年の腕に手を絡めた。
 青年は嫌がる様子ひとつない。何事か会話を交わしながら、女が首をすくめて大笑いすると、彼の口元も笑みの形に吊上がった。


 女は青年の『同僚』だったのだろう。少しの談笑の後、青年が出てきたドアの内側に滑り込んで行った。
 それを目送りし、青年は店の看板を拭き始めたのだが、視線に気づいたのか、つと顔を上げて稜のほうを見た。

 



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