今日も、
私のブログを見に来てくださり、
ありがとうございます。
48時間の間で
主人の両親を亡くしました。
(1/31朝義母、2/1夜義父)
今日は、
義父の介護チーム解散について
お話します。
在宅介護を受けていた義父は、1/23に呼吸困難を起こし、本人の意思と訪問看護さんの判断で「救急搬送」されました。
いつも診てくださる在宅室と同じ系列の総合病院の救急外来に運ばれました。
入院4日目、医師からの病状説明があり、自宅に戻ることは難しいことを宣告されました。
私は覚悟を決めました。
家に連れ戻っても、急変があったりしたら、四六時中私がついていられるわけじゃないし、その間に絶命があったら困る。
病院にいれば、誰かしらの目があり、対応してもらえる。
だから、病院にいられないなら、施設に連れて行こう。
ただ、それは体調が安定してからのことだ。
そんな時です。義母の急変の知らせがあったのは。
義父も義母もデットヒートを繰り返していました。
で、思いついたのが、「(自宅に戻れないのなら)お義父さんの借りている福祉用具を返さなきゃ」でした。
ケアマネさんは、1月いっぱいで交代になるはずでした。
でも、1月中はまだ担当なのだから、頼って連絡を取りました。
すると帰ってきた返事はこうです。
「施設に移られるんですか?」「病院に入院した時点で居宅介護の契約は終了になります」「病院のケースワーカーさんを頼ってください」と。
ずいぶんあっけないもんですね。
思わず言ってしまいました。
「義両親ともに看取りの時期に入り、そう長くないと言われています」と。
その言葉にケアマネさんはハッとされたようですが、1/31義母が亡くなった時点で、遺骨を戻す場所がちらかっていてはいけないと思い、福祉用具屋さんから連絡をいただき、急ぎで介護用品のレンタルを解除してもらいました。
福祉用具屋さんも義父の急変に絶句していました。
義父が亡くなったのは、それから10時間後でした。
私ももうヘロヘロだったので、義兄からケアマネさんに契約終了の電話をかけてもらいました。
義父は居宅介護を1/31に契約終了して、亡くなったのは2/1。
義父はどこにも所属?していない状態で、死去しました。
義父が亡くなったことを知らせると、皆さんがビックリされます。
それだけ突然だったということ。
1/23の入院の朝「ルナさんに手紙書くから読んでね」と言われましたが、手紙を書くことも、読むこともできなかったです。
何を書こうとしていたんだろうか。
朝は、大好きなコンビニのミニあんぱんを1つだけ食べた形跡がありました。
最期の食事は、あんぱんだったか。
お義父さんらしいな。
お義母さんの最期の食事はなんだったんだろうな。
落ち着いたら、チームルナ義父の皆様には必ずご挨拶にうかがいます。願わくば、自宅に戻ってきている二人に会いにきてほしいです。
あまりに突然の別れになってしまったから、49日までは自宅で二人並んで祀ってあげようと思います。
「生きて二人を同じ屋根の下にもう一度」が私の望みだったけど、今は帰りたかった家に二人が戻ってくることを楽しみにしています。
環境整備をどうしようと思案している自分がなんとも好きというか、ガランとなった部屋を見ながら、2/12が来るのを心待ちにしています。
二人がこの世にいないことがまだ信じられないでいます。
義父も義母と同じ施設に入って、私に少しの余裕ができた、そんな感じでしか受け止められていません。
それでも、時は流れていくんですよね。
ごはんも食べなきゃいけない。眠らなきゃいけない。動かなきゃいけない。
それが「生きる」ってことなんだと実感しています。
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