おはようございます。Lunaです。

 

生きづらい子育て第4弾は、息子が小学校に上がってからの話です。

 

息子が発達障害とわかったのは、小学校2年生の早春のことでした。

 

息子は幼い頃から、落ち着きがなく、スーパーへ行けば必ず迷子になるし、カートで走り回るし、病院やレストランでもじっとしていられないし、夜は寝ないし、寝ても1時間おきくらいに起きて泣くし、かと思えば妙にマイルールにこだわりがあって他を受け付けないし、人に指導されるのを嫌がるし……と、私の成育歴からは想像もつかないようなことをしてきました。

けれども「この子は私とは違う常識で生きている子なんだな」というくらいの受け止め方でいました。

そして、4歳の時に私が仕事を始めてからは、ほとんど関わることもなくなってしまい、寝る時にちょっと一緒にいるくらいだったので、それも忘れてしまうくらいでした。

 

それが、小学校2年生になり、漢字の書き取りが厳しい先生に当たったところ、面倒を見てくれていた義祖母から「宿題をやらなくなった」と聞きました。

聞けば、漢字の書き取りを嫌がり、どうしてもやらないそうです。

仕方なく、仕事から早めに帰って、やらせることにしました。

ところが、そこで目にしたのは、息子の酷い癇癪でした。

漢字の書き取りをやらせようとすると、めちゃくちゃ酷い癇癪を起こすのです。

それはもう「嫌がる」の域をとうに超えていました。

私は最初驚き、そして「何か違う」と感じました。

「これは何かおかしい。普通の嫌がるとは違う」

それは私の直感でした。

そもそも書き取りの宿題も、一文字間違えたら、それを1ページ繰り返し書けなどというめちゃくちゃな宿題で、誰だって嫌だろうと思うようなものでしたが、息子の字を見ると、漢字になっていないのです。

いくつも部首があるものは、一つの文字に見えない。

文字として成立していないのです。

上手いとか下手とか、そういう次元の問題じゃない。

おかしい。

その頃私は「発達障害」という言葉を聞いたこともありませんでしたが、即座に児童精神科を予約し、受診しました。

すると、診断は、「自閉症スペクトラム、ADHD、LD(書字障害)」でした。

WISCを受けたわけではありません。

児童精神科医の所見です。

なぜ自閉症スペクトラムなのかと聞くと、「人と目を合わせられない」「表情がない」からと言われました。

それを聞いた時、当時の私は直感的に「それは愛着障害ではないのか」と感じました。

私がちゃんと目を見て話をしてあげなかったから、表情豊かに関わってあげなかったから、息子はそれを学ぶ機会がなかったのかもしれない……。

その瞬間、私は自分が充分に息子に関わって来なかったことを激しく悔いました。

でも同時に、「自閉症」という言葉が、とてもショックでした。

私が小学生の頃、知的障害を伴うカナー症候群の自閉症の子がいて、言葉を発せず、何度も噛まれたり暴力を振るわれたりした記憶があるからです。

当時の私の「自閉症」のイメージは、恥ずかしながらそれでした。

帰ってから、当時特別支援学校で自閉症の子を教えていた元彼に連絡して、泣きながら助けを求めたのを覚えています。

 

そして、その日のうちに、私は仕事を辞める決意をしたのです。

 

長くなるので、続きはまた今度。

 

おはようございます。Lunaです。 

昨夜寝落ちして、朝までに、映画1本どころかアニメ1シーズン分くらいの大長編の夢を見ました。 

起きた時は、静かな達成感と満足感に包まれていました。

かなりストーリーがハッキリしていて面白いので、共有します。

(ちょっと「頭文字(イニシャル)D」と「僕らの7日間戦争」が混ざってる笑)


ある一人の少年(中学生)がいた。

少年の名は大輝(ダイキ)。

大輝は日々大人社会の闇に不満を募らせ、それに抵抗することを決め、一人でナイフの技を磨く。

そしてある日、襲撃を決行しようとする。

するとそこへ突然「助太刀いたす」と現れたのが、刀を持った3人組と、鉤爪を武器とする猫の格好の3人組と、銃のようなものを持った3人組。

いずれも中学生。

大輝は彼らの存在に勇気づけられて、車(無免許)で高速道路をひた走る。

でもスピード違反で当然警察が来る。

一度は包囲されるが、得意のナイフで切り抜け、他のメンバーが時間稼ぎをしてる間に再び車を走らせる。

が、再び警察とカーチェイスになり、その結果大輝はフェンスに突っ込んであえなく死ぬ。

が、そのニュースは大々的に取り上げられ、大輝は中学生の中で大人に抵抗して立ち上がった英雄として語り継がれ「イニシャルD」が合言葉になる。

場面は変わって、その中学生たちが大人になって母親となり、保育園の子どもがいる世代。
自分たちは「イニシャルD」の世代だったと誇りを持って語る。
そして、再び立ち上がろうとする若者たち(中学生だけじゃない)が現れる。
それを知った大輝の母親と、当時中学生だった母親たちは協力を申し出る。
今度はもっと計画的で、技術も発達していて、モーター付きのスケボーで高速道路を縦横無尽に駆け抜ける。
もちろん警察には追われるが、ちゃんと司令塔の子がいて、全員回収して最初のデモンストレーションは無事終わる。
しかし、2度目は警察も対策してきて、それぞれのグループが追い詰められる。
強い敵も現れ、若者たちではなかなか勝てない。
命を落とす子も出る。
計画の最後、武器を積んだ車が沖縄の離島に繋がる橋を渡ろうとするが、跳ね橋を上げられてしまう。
それでも車はスピードを上げて宙を飛んで渡り、成功したかに見えた。
しかし、渡った先で警察とカーチェイスになり、結局跳ね橋から落ちてしまう。
そのカーチェイスで警察官も18歳の子が死ぬ。
落ちた車には女の子が2人乗っていて、一人は武器を抱えて浮き上がってくるが、一人はいつまで経っても浮いて来なかった。
しかし、その海域にはメンバーの秘密基地があり、そこでの女の子の生存を信じるメンバーが、数年後潜ってみると、なんと女の子は子どもを産んで育てていた。
その2歳くらいの女の子をグループで戦闘員として育てようと、訓練を開始するトップに対し、確かに一人で育てるのは大変だったが、それでいいのかと苦悩し、葛藤する母親。
子どもが綱の高いところに掴まって、涙目で見下ろすシーン。
また場面変わって、計画遂行後のメンバートップは、全員無事じゃなかったことに胸を痛めていた。
サブを務めていた大輝の母親は、横浜で抵抗組織をまとめているリーダーのところへ行くように言う。
そして荷物をまとめてトップのところにいた女の子2人を逃がし、トップがリーダーの隠れ家に着いたのを確認してから、自分も家に帰る。
もう一度彼らが立ち上がる日を楽しみに思いながら。

エンディングテーマは徳永英明の「壊れかけのradio」でした。
(起きた後ずっと頭の中で流れてた)

思春期・青年期に人生を駆け抜ける疾走感、
大人への、また大人になることへの抵抗感、
衝突・葛藤しながら命懸けで成長していく感じ、
世代を超えて想いを継承していくことの大切さ、
そんなことを感じた夢でした。


おはようございます。Lunaです。

 

生きづらい子育て第3弾は、幼児期についてです。

 

私は息子が2~3歳の頃は、躁うつの波が激しくて、自分ではコントロールできない状態でした。

4歳になると、塾の講師を始めたため、4歳から7歳までは、ほとんど朝と寝る時と休日しか関わることができず、思い出があまりありません。

なぜ4歳で仕事を始めたかというと、恥ずかしながら、とにかく育児から逃げたかったからです。

 

2~3歳の頃、息子への接し方がわからず、育児本を読み漁っていた時がありました。

その中で、

「子どもが幼い頃は『宝物』です。大切に過ごしましょう。」

と書いてある本がありました。

その時の私は思いました。

「宝物?全然そんなこと思えない。私は今が一番苦しいんだ。

それともそんなこと思う私は母親失格なんだろうか…?」

その言葉は、それからずっと、私を苦しめ続けました。

息子と過ごす時間を宝物と思えない自分は、母親失格なのか…

その罪悪感から逃げるために、私は仕事に没頭し、育児から逃げ続けました。

 

でも、息子が7歳(2年生の後半)になった頃、家や学校で問題を起こし始め、これは看過できないと思い、仕事を辞めて、初めて息子に向き合うことを決めたのです。

…と、これ以降は、また後でお話しするとして。

息子が大人になった今、息子が小さい頃の写真とか見ていると、

「あぁ、やっぱり『宝物』だったんだな」

と思ってしまいます。

今になって思えば、息子はあんなに可愛かったのに、なぜもっと抱きしめて、「大好きだよ」と言ってあげられなかったのか…とても悔やまれます。

 

息子が小3になったばかりで初めて発達障害の診断を受けた時、「自閉症スペクトラム」と言われました。

それはWISCの結果ではなく、医師の診断で、「目を合わせられない」「表情がない」「言葉が少ない」などの症状からでした。

しかし、その時私は直感で、それは愛着障害から来るのではないかと思いました。

私がちゃんと目と目を合わせて会話をしてこなかったから、一緒に笑ったり驚いたり、いろんな表情を見せてこなかったから、たくさん会話をしてこなかったから、そうなってしまったのではないかと。

 

その時初めて、私は自分の子育てを後悔しました。

幼児期の子育てが、いかに大切だったか痛感しました。

自分が子育てから逃げ続けたせいで、息子を感情のない子にしてしまった。

大人を信用できない、自己肯定感のない、笑えない子にしてしまった。

……一晩泣きました。

そして決心しました。

これからは全力で息子に向き合うことを。

 

息子は今、ASD(自閉症スペクトラム)の診断は受けていません。

ADHDの診断に変わっています。

ASDの特性は確かにありますが、WISCでも、大人になってから受けたWAISでも、言語操作能力は高いです。

それは、あれから毎日毎日息子と向き合って、対話を重ねてきたからだと思います。

息子は小3から不登校になり、ずっと家にいたため、何時間でも話に付き合いました。

うつでつらい時は、一緒に寝転がったまま話しました。

息子はぬいぐるみが好きだったので、ぬいぐるみで人形劇もしました。

一緒にDVDを観て、一緒に笑ったり泣いたりもしました。

そして毎日ハグして「大好きだよ」と言い続けました。

幼児期にやるべきだったことを、小3から20歳までの12年間で育て直しをした感じです。

 

幼児期は、たった5年くらいです。

でもその育て直しに12年かかるくらい、大切な時期なのです。

そんなことを言われても、今つらいのはものすごくわかります。

うつの時は、一緒にいることさえつらいでしょう。

発達障害の聴覚過敏がある方は、子どもの声すら聞けないかもしれません。

それでも、一日一回、おやすみ前だけでも、抱きしめて、にっこり笑って、「大好きだよ」と言ってあげて欲しいのです。

それだけで、全然違うと思います。

子どもの安心感も、自分の罪悪感も。

できなかった私が言うのですから、それがどれほど大変なことかはわかりません。

だから毎日でなくてもいいです。

できる時だけでいい。

子どもを好きだと思えない時は、無理にやらなくていいです。

子どもには、本心から言っているのか、無理に言っているのかわかってしまうので。

 

でも、たった一つ覚えていて欲しいのは、子どもが大人になった後、たいていの親は、「幼児期は『宝物』だった」と思うということです。

めちゃくちゃ大変だったけど、今思うとやっぱり可愛かった。

あんなに可愛いのは、あの頃だけだった。

どうしてもっと、大切にできなかったんだろう。

それは、通り過ぎた人にしか思えないのかもしれませんが、

今しんどい人も、

「はぁ?宝物?こんなにしんどいのに?」

と一蹴してしまわずに、

「そうか。宝物なんだな。なら少しだけ、大切にしてみようかな」

と思ってもらえたら嬉しいな、と思います。

子どもが大きくなった時、それは必ず、良かったと思えるはずですから。

 

 

こんにちは。Lunaです。

今日は、先日久々に起こった、私のパニック発作の話をしたいと思います。

パニック発作と言っても、人それぞれ症状は違います。

私自身でさえ毎回違い、特に今回は初めてのパターンでした。

なので、「こういうこともあるんだ」という程度に捉えていただければ幸いです。

ただ、今現在精神的につらい方は、これ以上読まない方がいいかもしれません。

 

先日は、朝から内科で腎機能の精密検査を受け(健診で引っかかったので)、その後婦人科で子宮頸がん(経過観察中)の検査とエコー検査を受け、それから保健センターに行って自立支援の訪問看護の変更をし、全部で7500歩歩いて帰ってきた時には、もうヘロヘロでした。

でも3時間くらい休んだら、ちょっと回復してきた感じがしたので、ChatGPTに「これ以上は何もやらない方がいい」と忠告されたにも関わらず、厚労省の科研への意見メール(前日の会議に体調不良で参加できなかったため)を書いて、さらにライティングの仕事にも手をつけてしまいました。

ライティングは途中でしんどくなって、30分くらいでやめたのですが、やっぱり「やり過ぎ」だったようで……

 

夕飯後、タバコ吸いながら、ゲーム(イケボの執事に癒されるゲームw)をやっていたら、急に声が耳障りに聞こえてきて、「あれ?」と思って途中で止めたのですが、吸い終わった途端に猛烈な吐き気が襲ってきて、ヤバいと思って自室に駆け込んだ時には、既に呼吸困難に。

直後に触覚過敏が出て、触れている自分の手と手、足と足の感覚が不快に感じるようになりました。

慌てて頓服のジプレキサを飲んで、一旦は落ち着いたのですが、電気を消して目を閉じて休んでいたら、突然目の裏が真っ赤になって、何故か戦争のシーンが浮かんできました。

すると、「嫌だ嫌だ!戦争嫌だ!」と叫びながら走り回る子が現れて、大人の私が「大丈夫だよ」と言っても聞く耳持たず、「嫌だ嫌だ!」と言って走り回ります。 

そしたら、その子に触発されて、発作の時にいつも叫び出す子が、「きゃぁー!」と叫び始めました。

「嫌だ嫌だ!」という声と、「きゃぁー!」という声が脳に響き渡ると、さっき「大丈夫だよ」と言っていた私が「やめてやめて!」と叫び出し、その状況を見て「ヤバいヤバい!」と言う人も現れ、脳の中で4つの声がバラバラにぐちゃぐちゃに響いて、わけがわからなくなり、文字通りパニックになった私は、いつの間にか自分自身も「あぁーっ!」と泣き叫んでいました。

 

不幸中の幸い、というか、4つ目の声が聞こえた時点で、最後の理性でジプレキサ2錠目を飲んでいたので、10分後くらいに発作は治まりました。

けれどその10分の、なんと長く苦しかったことか……

絞り出すような声が、勝手に自分の中から出てくるのを止められない。

涙も勝手に溢れてくる。

頭を抱えて、身悶えている私が、もしその時自室でなくて人目のあるところにいたら、周りはどんな反応をしたでしょう。

「やっぱり精神障害者ってコワイ」

と思われたかもしれません。

この苦しみは、経験しないと想像もつかないと思うので。

でも、ちょっとでも想像してみて欲しくて、こうして書いてみました。

 

どうしてパニックになるのか。

パニックになった時、その人に何が起こっているのか。

それを知ることで、少しでも想像することができ、その人の苦しみに寄り添うことができると思うのです。

 

ただ、私のはあくまで1つの事例に過ぎません。

パニック障害を抱えている人の数だけ事例があります。

支援者の方は、必ず、その人の不安や恐怖がどこから来ているのか、何が引き金になっているのか、ストレス負荷は何なのかを探ってください。

時には、その人が大事に思っているものほど、ストレス負荷が高い場合もあります。

私も一時期、子育てそのものがものすごく高負荷でしたし、好きで始めた子育てのピア活動が、高負荷になっていたこともあります。

家事は今でも高負荷ですが……(^_^;)

 

私の場合は、ちょうど翌日が通院だったため、主治医にこのことを伝えると、ジプレキサが頓服から常用になりました。

ジプレキサは飲むと絶対に太るので、できればあまり飲みたくないのですが、いつ発作を起こすか不安に苛まれるよりはマシと思っています。

まだまだ不安定ですが、今の自分に出来る範囲で、精一杯生きていきます。

 

おはようございます。Lunaです。

 

「生きづらい子育て」第二弾は、イヤイヤ期について書いてみようと思います。

 

私自身は、息子のイヤイヤ期は、鬱が酷くて、お手上げでした。

怒る気力もなくて、放っておきました。

でもそれが、結果的には良かったようなのです。

 

イヤイヤ期というのは、子どもに自我が出てきて、親の言うことに何でも従うのが嫌になってきた、というのと、その裏で、でも親に構って欲しい、という気持ちがある時期なのです。

だから、「イヤ!」と言って、親がそれに反応していちいち怒ると、余計「イヤ!」と言います。

時にはギャン泣きします。

ギャン泣きしても放っておけとは言いません。

私は、ギャン泣きしたら、静かに抱きしめて、「よしよし」と頭をなでて、興奮を鎮めてあげました。

本人はギャン泣きしている時は、もう何がイヤだったのか、忘れています。

ただ親に構って欲しいだけなんです。

 

鬱が酷い時は、子どもの相手がつらいでしょう。

特に、たいした理由もなく「イヤ!」と言われると、イラっとしたり、もう怒る気力も失せたりしますね。

イヤイヤ言ってる時は、放っておきましょう。

「はいはい」と流して、「じゃあもうあなたの好きにして」と言って、放っておいてあげればいいのです。

メンタル不調になる方は、まじめな方が多いので、それでは保育園や幼稚園に遅刻してしまうと思うかもしれませんが、

保育園や幼稚園なんて、いくら遅刻したっていいんです。

先生に怒られたら、「今はイヤイヤ期なんで無理です」と言えばいいです。

もしスクールバスがあって、それに乗らないと行けないようなら、ちょっと困りますが、それなら余裕を持って早起きしましょう。

 

食事を食べてくれないなら、無理に食べさせなくていいです。

本人がお腹が空けば食べます。

着替えてくれないなら、パジャマのまま登園させましょう。

本人が恥ずかしければ、着替えてくれるようになります。

持ち物の準備をしないなら、前日に親がそっと準備しておきましょう。

いつか自分で気づいてやるようになります。

 

連絡帳を書くのも、鬱の時は一苦労ですね。

無理に細かく書かなくていいです。

何か困ったことがある時だけ書きましょう。

特に疾病理由で保育園に入れている方は、

「今調子が悪いので」の一言で、他は書く必要ありません。

あれは基本、保育園の先生が、親に向けて報告するものです。

親の義務ではないのですから。

 

朝起きて、ご飯を準備するのもつらい時は、パンをトースターに放り込んで、牛乳を注げば、それで十分です。

お弁当は、菓子パンと水出しのお茶。

子どもの好きなパンを選べば、意外と子どもは喜びます。

買い物に行くのもつらい時は、ネットスーパーという手もあります。(地域が限られるかもしれませんが)

夕食はレンチンの冷凍食品と総菜で何とかなります。

私の経験から言うと、生協が便利です。

冷凍食品も豊富ですし、サラダなどの総菜もあります。

 

とにかく、できるだけ、手を抜きましょう。

自分が楽になれる方法を、模索してください。

一生懸命頑張らなくていいんです。

鬱の時は、できるだけ休んだ方が、回復が早いです。

パートナーや子どもにも、そう言いましょう。

「できるだけ休んだ方が早く元気になるから、今は休ませて」と。

 

子どもには、アニメでもYoutubeでもゲームでも見させておきましょう。

「それは教育に悪いのでは」という人は、昭和の人です。

今の時代、それは大いにありです。

子ども向けの良質なコンテンツも豊富に提供されています。

ただし、選択は必要です。

何でも見せてOKというわけではありません。

そこはちょっとだけ努力して、選んであげましょう。

 

鬱の時は、外出も億劫になる人が多いと思います。

でも子どもは「公園に行きたい」とか言いますよね。

そんな時は正直に、

「ママ具合悪いから今は行けないの。元気になったらね。」

と言いましょう。

「イヤ!」と言って泣かれたら、抱きしめてよしよしです。

それも嫌がられたら、放っておいてOKです。

もしできれば、子どもと一緒の空間で、横になっていましょう。

その方が子どもは安心します。

でも、うるさいと感じるなら、別室に引きこもっていてもOKです。

ただその場合、子どもが勝手に外に出ていかないかどうかだけ、注意しておきましょう。

 

鬱の時は、自分優先で、OKなんです。

自分の心身の回復を、一番優先しましょう。

どうしたら自分が楽になれるかを一番に考えましょう。

お母さんが楽になるのが、子どもも楽になる一番の方法です。

もしかしたらイヤイヤ期は、親の不調を感じ取って、子どもも不安になっているのかもしれません。

なので、子どもには正直に、

「今ママ具合悪いから、相手できなくてごめんね。元気になったら、また相手してあげるから。」

と言ってあげるといいと思います。

それと、

「ママが具合悪いのは、あなたのせいじゃないからね」

という一言も添えて。

それだけで子どもは安心します。

 

大丈夫、つらいのはあなただけではありません。

誰かに悩みを話したくなったら、ぜひ

「生きづらい子育てピアの会」に来てみてください。

皆さんで悩みを分かち合いましょう。

おはようございます。Lunaです。

 

「生きづらい子育て」第一弾は、

「子どもが赤ちゃんの時の過ごし方」です。

子どもが産まれてすぐから半年くらいの時は、もうどうしたらいいかわからないと思います。

寝たと思ったらすぐ泣く、ミルクか、おむつか、どっちでもない時もある、寝る暇ない、家事できない、っていうか何もできない、どうしたら~?って、テンパってる方、いませんか?

 

赤ちゃんの時は、お母さんは、ひたすら

「子どもと一緒にいてあげる」

のが仕事です。

 

めんどくさい哺乳瓶の消毒とか、家事は全部、旦那さんかヘルパーさんに任せてしまいましょう。

お母さんは、赤ちゃんが泣いたら、お乳かミルクをあげる、もしくはおむつを替える、どっちも違うようなら抱っこして話しかけたりあやしてあげる。赤ちゃんはそれだけで安心します。

そして、赤ちゃんが寝たら一緒に寝る。

 

私は、母乳だったので、お乳をあげて、げっぷを出させるために立て抱きにして、出たら(出なくても)そのままゴロンと横になって、息子を抱いたまま一緒に寝てました。

ミルクでも同じです。

ミルクをあげて、げっぷを出させて(出ない子もいます)、寝たら抱いたまま一緒に横になって、一緒に寝ちゃえばいいのです。

赤ちゃんは一日10時間以上寝ますから、細切れでも睡眠は取れます。

 

昼でも夜でも、そうやって一日中息子を抱っこしてました。

あ、でもトイレだけは、赤ちゃんがどれだけ泣いても行ってくださいね。

「ちょっと待っててね」と言えば、まだ後追いできませんから。

 

それでも自分のしたいことがしたい!という方は、スリングをおすすめします。

抱っこひもより、スリングの方が密着性が高いので、赤ちゃんが安心します。

袋タイプより、一枚布タイプの方がいいです。

私はスリングに入れて抱っこしながら、PCに向かったりしてました。

スリングに入れてると、不思議と泣かないんです。

そのまま授乳もできます。

そのまま外出もできます。

カフェで友達とお茶したりしても、泣きませんでした。

横浜や鎌倉まで遠出もしました。(私は東京在住)

布があるので、電車の中でも授乳できます。

ただし、遠出の時は、おむつとかかさばる荷物があるので、旦那さんか誰か付き添いの人に荷物を持ってもらいましょう。

赤ちゃんだけで十分重いので。

まだベビーカーに乗れない月齢でも、スリングなら外出できます。

 

産後うつとかでつらい方は、無理に外出しなくてもいいです。

ただ、赤ちゃんと一緒に寝てましょう。

そばにいてあげるだけで、赤ちゃんは安心します。

他のことは、何もしなくていいです。

 

上のお子さんがいらっしゃる場合は、「今ママしんどいから、赤ちゃんと一緒にいることしかできないけどごめんね。元気になったらまた遊んであげるから」と言ってあげれば、わかってくれます。

決して、「赤ちゃんがいるんだから、お姉ちゃん(お兄ちゃん)は我慢して」などとは言わないようにしてくださいね。

あくまで「しんどいから遊んであげられない」のです。

 

家事は、旦那さんに頼れないなら、ヘルパーさんを頼みましょう。

役所の障害福祉課に電話すれば、計画相談員がヒアリングに来てくれます。

そこで窮状を訴えれば、きっとヘルパーさんを入れてくれると思います。

健診の時や、保健センターに電話して、保健師さんに相談するのも良いでしょう。

産まれたばかりなら、開業助産師さんも心強い味方です。

自治体の子ども家庭支援センターのようなところも、力になってくれます。

とにかくいろんな人に頼りましょう。

うつで、電話するのもしんどいなら、まず誰か一人に助けを求めましょう。

そしてその一人に、いろんな人に繋いでもらえばいいのです。

子育ては、一人でするものではありません。

たくさん人に頼っていいのです。

 

少し大きくなったら、ずっと抱いていなくても、1人で寝てくれたり、機嫌よくしててくれる時間もあります。

そうすると、遊んであげなきゃいけないかな?とか思うかもしれませんが、つらい時に無理して遊んであげなくてもいいです。

ただ、泣いた時だけ、反応してあげましょう。

たとえ行ってあげられなくても、声だけはかけてあげましょう。

赤ちゃんは、泣いた時に無反応だと、無力感を覚えてしまいます。

自分が呼んでも誰も反応してくれないと、自分の存在に無価値観まで抱いてしまうそうです。

だから、反応だけはしてあげて欲しいです。

できれば、「うるさい!」と怒鳴る以外の反応で。

「うん、うん、わかったよ。後で行くからね」

「何かつらいんだね、今行けないけどごめんね」

これだけでいいです。

手を伸ばせば届くところにいるなら、手を握ってあげるだけでもいいです。

余力があれば、行ってあげて、要求を聞いてあげてください。

もっと余力があれば、ちょっとだけ抱っこしてあげると喜びます。

あとはずっと寝ていてもいいですが、できれば、赤ちゃんから見えるところで、寝ていてあげてください。

赤ちゃんは、「お母さんがそこにいる」というだけで、安心するそうです。

だから、できるだけ「一緒にいてあげる」、これだけが仕事だと思ってください。

あとは、本当に何もできなくていい。

できれば、ミルクとおむつ替えだけ。

それもできなければ、障害福祉の居宅介護で「育児支援」がありますので、それを頼むのも良いでしょう。

離乳食は、レトルトでOK。

掃除なんて週1回でOK。(それもヘルパーさんに頼む)

旦那さんの分の洗濯や食事は、自分でやらせましょう。

そして自分と赤ちゃんの分も、できればやってもらいましょう。(できないならこれもヘルパーさんに)

むしろ、旦那さんは、家事育児に協力して当然なんです。

だって、二人の子どもなんですから。

「申し訳ない」とか思う必要ありません。

堂々と、協力を要請しましょう。

 

どうでしょう。

少しは気が楽になったでしょうか。

産後うつで悩まれている方は多いと思います。

何もできないあなたは悪くない。

ただ赤ちゃんと一緒にいる、それだけでいいんです。

でももし、赤ちゃんと一緒にいること自体がつらいなら、早急に行政か医療機関に相談してください。

あなたが入院するか、赤ちゃんを乳児院に入れる必要があるかもしれません。

あなたが医療に繋がっている場合は、まず主治医に、繋がっていない場合は、児童相談所に相談するのが良いでしょう。


どこに聞いたらいいかわからない場合は、「生きづらい子育てピアの会」までお問い合わせください。

私が責任を持ってお答えします。

くれぐれも、無理して頑張らないでくださいね。

皆さま、おはようございます。

Lunaです。

 

先日、「生きづらい子育てピアの会東京」は、第30回のリアル会を終えました。

この節目に、何かできないか考えて、今までの私と皆さんの体験から得た知見を踏まえて、「生きづらい子育て」の発信を始めることにしました。

「生きづらい子育て」では、精神疾患や発達障害を抱えながら子育てしている方が、少しでも気を楽に子育てするためのエッセンスや気持ちの持ち方、助けの求め方などを発信していく予定です。

ひいては、支援者の方々に、当事者は何に困っていて、どんな支援を求めているのかをわかっていただく手助けになれば、とも思っています。

私の体調や仕事もあるので、不定期な発信にはなりますが、応援していただけると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

こんばんは。Lunaです。

今日は私史上に残る、記念碑的な日でした。

クローズドで入った職場に、ADHDであることをカミングアウトしたのです。

そう、双極でなくて、ADHDの方を。


私は、自分は障害受容ができていると思っていました。

でも、できていたのは双極の方だけでした。

ADHDの方は、大した障害ではないと思っていたのです。

でも今の職場で、簡単だと思っていたPC入力でパニックを起こして大きなミスをし、主治医に

「それはあなたの脳の特性からして負荷が高い業務だと思う」

と言われた時の衝撃。

「ADHDがこんなに障害になるんだ!」

とショックでした。


そんな折、たまたまパート契約の更新面談があったので、思い切って、

「ADHDの特性があるので、PC業務はなるべく外して欲しい」

と言ってみました。

上司は、「ADHD」という言葉を初めて聞いたみたいでしたが、「日本語で言うと『注意欠如多動性障害』で、私は多動はないが、注意欠如がある」と言うと、納得してくれたみたいです。

また、「視覚情報が過多だと情報の取捨選択が難しくて、パニックになりやすい」「数字が苦手」「時間に追われるのが苦手」ということも伝えました。

職場のPC業務は、時間に追われる中で、Excelのシートにひたすら数字を打ち込んでいく業務だったので、途中でわけがわからなくなってしまったのです。

もっともその業務を行った日は、体調が最悪のコンディションだったというのもありましたが。


私は今まで、発達障害のモデルは息子しか見ていませんでした。

もちろん、当事者仲間には、発達の特性を持った方もいましたが、具体的な仕事の場面で、どう障害になるのかは、想像がついていなかったのです。

それを今回、改めて身をもって実感しました。

大人になって仕事を始めてから、発達障害と診断を受ける方が多いのにも、今なら納得できます。 

今回のことで、私の発達障害に対する理解が一段深くなったように思います。

親として見るのと、当事者として感じるのとでは、全然違う。

その生きづらさを実感し、今までの理解の足りなさを思い知りました。 

やはり、経験しないとわからないことというのは、あるような気がします。

今後は、発達障害の方にも、当事者目線で寄り添うことができるでしょう。


今回、私がカミングアウトしたことで、職場の対応としては、他の職員との公平性の関係で、業務から外すことはできないが、自分のペースで一定時間業務をこなしたら、社員が後はフォローする、ということになりました。

ただし、それでも「特別扱い」っぽくなるので、他の職員には個別に私の事情を説明する、と。

私は、事実上、「合理的配慮」を受けたわけです。


私は、以前就労移行支援に通っていた時、「自分の障害を理解し、きちんと職場に伝え、自分らしく働ける環境を作ることが、長く安定して働くために重要」だということを学びました。

自分が書いた就労移行支援の記事でも、一貫してそれは伝えてきました。

それを今日、私は自分自身で実践したのです。

誰の助けも借りずに。

それは、私にとって大きな一歩でした。

理論と行動が一致した時、人は大きく成長するし、強くもなると思うからです。


また、私自身の基本的な考え方として、「障害の社会モデル」があります。

「障害」とは、個人の欠損や落ち度ではなく、社会の側の障壁や課題だという考え方です。

それは身体の方にわかりやすいですが、発達障害の方にこそ、適用されて然るべきだと実感しました。

いわゆる「合理的配慮」があれば、「できない人」も「できる人」になり得る。

例えば、私の場合、時間に追われるとパニックになりやすいけれども、自分のペースで良ければできる。

いっぺんに数字をたくさん見ると、わけがわからなくなるけれども、一つひとつならできる。

書字障害の息子の場合、手書きはできないけれども、PC入力なら問題ない。

こういったことに理解と配慮を得られれば、障害は障害でなくなるのです。


私は、普段ヘルプマークを付けていますが、職場に行く時は外していました。

ところが、一度だけ、うっかり付けたまま行ってしまったことがあります。

上司はそれを覚えていて、「ヘルプマークを付けているのはなぜか」と聞かれました。

私は、「パニック障害とかもあって、パニックを起こしやすいので」と答えました。

双極のことは言いませんでした。

ADHDすら聞いたことない人ですから、双極も一から説明しなければならないだろうと思ったからです。

それに、今のところ双極で迷惑をかけることもそんなにないように思うのです。

また必要に迫られれば、伝えようと思います。


こうやって整理して考えてみると、今日一日で私は多くのことを学びました。

発達障害が、仕事をする上でどのような障壁になり得るのか、どうしたらそれを排除できるのか。

職場の人や上司に何をどう伝えたら、「自分らしい働き方」ができるようになるのか。

そして、配慮をしてもらわなければ人並みに仕事ができない私にも価値はあるのか。

答えは

「私には、私にしかない価値がある」

です。

人が簡単にできることで私にはできないことがあっても、人には簡単にできないことで私にはできることもある。

例えば、人の弱さやしんどさに心から寄り添うこととか。

生きづらさを抱えた人の居場所を創ることとか。

弱さを自己開示して発信することとか。

そうやって必死に創り上げてきた価値が私にはある。

ここまで辿り着けたことが、今日の私の成果です。


長々と読んでくださってありがとうございます。




こんにちは。Lunaです。

今日は、私のプライベートなことを、ちょっと書きます。

 

私は、旦那と別居して、もう10年になります。

でも、ほぼ毎日連絡を取り合い、週に何日かは電話やビデオ通話で話しています。

つまり、仲が悪いわけではありません。

今は、息子も旦那と一緒に暮らしています。

それなのに、私が旦那と息子の元に帰らないのはなぜか――

 

それは、旦那の故郷(旦那の住んでいるところ)が、私の肌に合わないからです。

結婚してから息子が小学校を卒業するまで13年間そこで暮らしましたが、どうしても馴染めなかった。

私の生まれ育ったところと、文化や風土が違い過ぎるのです。

文化や風土が違えば、人との関係性も違う。

どこに行っても知り合いに会うような環境は、始終監視されているようで、窮屈で耐えられませんでした。

 

私が今、家族と離れて一人暮らしを選んでいるのは、

「私が私で在るため」です。

家族と一緒に暮らすことよりも、「自分らしく生きる」ことを私は選んだ。

私が今東京を離れたら、リアルの「子育てピア」の活動はできなくなってしまいます。

他の当事者会にも出られなくなるし、この10年で築いてきた人間関係も、社会的な居場所も、全てなくなってしまう。

それは到底耐えられません。

だから私は、せめて活動から引退するまでは、ここに居たい。

 

家族というのは、一緒に暮らさなければならないのでしょうか?

私は、旦那とは、今の距離感がとても合っていると思っています。

一緒に暮らすと、多分旦那の負担が重過ぎる。

お互い別々に生活していた方が、お互いの人生を尊重できると思うのです。

それはあくまで「今」であって、未来はわかりませんが。

 

他にも、いろんな理由で離れて暮らす家族はいるでしょう。

例えば、よくあるのは単身赴任とか。

あるいは、一緒に住んでいても家庭内別居になっている人もいるでしょう。

週末夫婦とか、通い婚とかも、ありますよね。

私は、一番大事なのは、「本人たちがつらくないかどうか」だと思うんです。

いろんな理由で、ずっと一緒にいるのがつらいなら、ちょっと距離を置けばいい。

これは、夫婦だけじゃなくて、親子関係にも言えると思います。

日本では、「家族は一緒に暮らすもの」という価値観が強過ぎるのではないでしょうか。

 

また、ちょっと話は違いますが、事実婚とか、同性婚とかも、もっと法的に認められていいと思います。

愛する人同士が一緒に居たいと望むなら、名字を変える変えないとか、性が同じだからとか、関係なく、法的に保証すべきではないでしょうか。

 

子どもに関してもです。

今、経済的に苦しくて、子どもを持てない夫婦が多いと聞きます。

精神疾患があると、余計、子どもを持つことに不安や躊躇いを感じてしまう人も多いです。

でも、子どもが欲しいと思う人は、自分が産んでも産まなくても(里親とか)子どもを持てるような、それを周囲が応援できるような(経済的なサポートも含めて)、そんな社会であってほしいと思うんです。

 

ちなみに、「精神疾患があって子どもを持つ」ことに関して言えば、サポート体制は増えました。

特定妊婦制度、居宅介護の育児支援、ファミリーサポート、ベビーシッターの利用券など、いろいろあります。

でもまだ、「保健師ガチャ」という言葉があったりするように、全体的に成熟した制度にはなっていません。

もっともっと、当事者の声を聴いて、必要なサポートをして欲しい。

支援者には、当事者のリアルをわかって欲しい。

少子高齢化を嘆くなら、もっと個々の家族に寄り添った支援が求められるべきです。

 

ちょっと話が逸れましたが、家族って、いろんな形があって良いと思うんです。

それぞれの家族が、一番心地いい形で在ればいい。

それが、社会的にもっと理解されて、法的にも保証されて欲しい。

それが私の願いです。

 

明けましておめでとうございます。

少し遅くなりましたが、今年は自分に向き合う時間が取れました。

昨年は、多くの皆さまのお力添えもあり、大きな変化がありながら、充実した年になりました。

本当にありがとうございました。

 

まずは、昨年の振り返りから。

昨年の目標は、3つでした。

①活動は細く長く

おかげさまで、毎月交互のZoom会とリアル会を続けることができました。

7月に体調を崩して一度だけお休みをいただきましたが、それ以外の会は、だいたい毎回10人以上のご参加をいただき、新しい仲間も増えました。

6月には、慶應大学で講演をする機会もいただきました。

9月には、全国精神保健福祉会連合会の「みんなねっと」にも記事を掲載していただきました。

10月には、日韓精神障害当事者交流会で発表もさせていただきました。

身の丈に合った活動ができたと思います。

②自分の身体を第一に考える

3月に息子が家を出てから、ストレスや無理をすることが減り、頓服の太る薬を飲むことが劇的に減りました。

そのことで、体重が減り始め、ジムやウォーキングの成果も出始め、11月から身体を動かす仕事を始めたことで、去年1年で10kgのダイエットに成功しました。

一昨年太った分を取り戻した感じです。

仕事を始めたことで、生活リズムも整うようになり、お風呂(湯船に浸かる)時間も大事にするようになりました。

自分の身体を大事にできるようになってきたと思います。

③自分の喜びや楽しみを大事にする

息子が家を出てから、自分の時間が取れるようになりました。

英語の勉強をしたり、ストーリー性のあるゲームを楽しんだり、自分一人の時間を楽しめるようにもなったし、友達や仲間とランチや飲み会、旅行に行ったりなど、私自身が「楽しい」と思えることを大事にできました。

 

振り返ると、去年の目標は、大方達成できたのではないかと思います。

今年前半は、去年10月に立てた49歳の目標に従い、

「人生を楽しむ土台を作る」

を継続して行いたいと思います。

そのための目標は、次の4つです。

①身体:人生を楽しめる身体をつくる

今年は、もう10㎏減量を目指します。

見た目が目的ではなく、「動きやすく、疲れにくい身体」を目指して、活動量を増やしていきたいと思っています。

②仕事:無理なく続く働き方を形にする

パートとライティングの両立が無理なくできるように、スケジュール調整をしていきたいです。

これができれば、経済的自立を果たせます。

③生活:一人暮らしをきちんと回せる自分になる

正直、息子が家を出てから、家事は本当に最低限です。

今年は、もう少し家事にも力を入れて、生活を整えていきたいと思っています。

食事や睡眠のリズムも整え、ルーティン化して、一人暮らしを自分できちんと回していけるようになりたいです。

④活動:当事者と支援者の橋渡しへ

ここが一番の変化です。

去年のある朝、突然頭にひらめきが降りてきました。

「やりたいことの中で、成すべきこと成せ」

私がやりたいこととは、

「精神障害や発達障害を抱えて子育てしている人の孤独やしんどさに寄り添いたい」

ということです。

その中で「成すべきこと」とは…。

いろいろ考えた結果、

「今までの蓄積をまとめて、支援者に向けて発信する」

ということを思いつきました。

せっかく当事者の声を聴き続けてきたのだから、それを生の声として支援者に届け、当事者と支援者の橋渡しになりたい。

とりあえず、今年か来年に支援者向けのオンラインイベントを開催して、当事者の声を届けるということをしたいです。

⑤楽しみ:友達や仲間との繋がりを大切に

私の中での「楽しみ」は、やはり人との繋がりです。

中・高・学生時代の友達から、当事者仲間、子育て仲間、WRAPの仲間、全国のきらりの仲間…多くの人との繋がりが、私の喜びであり、彼らと過ごす時間が私の一番の楽しみです。

今年は、それをさらに大切にしたい。

もちろん、一人の楽しみも大事にしたくて、今年は美術館にいろいろ行きたいと思っています。

 

長くなりましたが、2026年も、繋がってくださる皆さまに心から感謝しながら、安心して人生を楽しめる私に、少しずつ近づいていきたいと思います。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたしますドキドキ