おはようございます。Lunaです。
生きづらい子育て第4弾は、息子が小学校に上がってからの話です。
息子が発達障害とわかったのは、小学校2年生の早春のことでした。
息子は幼い頃から、落ち着きがなく、スーパーへ行けば必ず迷子になるし、カートで走り回るし、病院やレストランでもじっとしていられないし、夜は寝ないし、寝ても1時間おきくらいに起きて泣くし、かと思えば妙にマイルールにこだわりがあって他を受け付けないし、人に指導されるのを嫌がるし……と、私の成育歴からは想像もつかないようなことをしてきました。
けれども「この子は私とは違う常識で生きている子なんだな」というくらいの受け止め方でいました。
そして、4歳の時に私が仕事を始めてからは、ほとんど関わることもなくなってしまい、寝る時にちょっと一緒にいるくらいだったので、それも忘れてしまうくらいでした。
それが、小学校2年生になり、漢字の書き取りが厳しい先生に当たったところ、面倒を見てくれていた義祖母から「宿題をやらなくなった」と聞きました。
聞けば、漢字の書き取りを嫌がり、どうしてもやらないそうです。
仕方なく、仕事から早めに帰って、やらせることにしました。
ところが、そこで目にしたのは、息子の酷い癇癪でした。
漢字の書き取りをやらせようとすると、めちゃくちゃ酷い癇癪を起こすのです。
それはもう「嫌がる」の域をとうに超えていました。
私は最初驚き、そして「何か違う」と感じました。
「これは何かおかしい。普通の嫌がるとは違う」
それは私の直感でした。
そもそも書き取りの宿題も、一文字間違えたら、それを1ページ繰り返し書けなどというめちゃくちゃな宿題で、誰だって嫌だろうと思うようなものでしたが、息子の字を見ると、漢字になっていないのです。
いくつも部首があるものは、一つの文字に見えない。
文字として成立していないのです。
上手いとか下手とか、そういう次元の問題じゃない。
おかしい。
その頃私は「発達障害」という言葉を聞いたこともありませんでしたが、即座に児童精神科を予約し、受診しました。
すると、診断は、「自閉症スペクトラム、ADHD、LD(書字障害)」でした。
WISCを受けたわけではありません。
児童精神科医の所見です。
なぜ自閉症スペクトラムなのかと聞くと、「人と目を合わせられない」「表情がない」からと言われました。
それを聞いた時、当時の私は直感的に「それは愛着障害ではないのか」と感じました。
私がちゃんと目を見て話をしてあげなかったから、表情豊かに関わってあげなかったから、息子はそれを学ぶ機会がなかったのかもしれない……。
その瞬間、私は自分が充分に息子に関わって来なかったことを激しく悔いました。
でも同時に、「自閉症」という言葉が、とてもショックでした。
私が小学生の頃、知的障害を伴うカナー症候群の自閉症の子がいて、言葉を発せず、何度も噛まれたり暴力を振るわれたりした記憶があるからです。
当時の私の「自閉症」のイメージは、恥ずかしながらそれでした。
帰ってから、当時特別支援学校で自閉症の子を教えていた元彼に連絡して、泣きながら助けを求めたのを覚えています。
そして、その日のうちに、私は仕事を辞める決意をしたのです。
長くなるので、続きはまた今度。

