蒼い月夜に玉響に・・・(詩と日記を散りばめて)

蒼い月夜に玉響に・・・(詩と日記を散りばめて)

こよなく月と音楽を愛しています!
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幕末の勤王志士 古高俊太郎さまの研究・遺徳顕彰に努めております。

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2024年7月21日(日)、滋賀県守山市古高町の福寿院にて、古髙 俊太郎さまの160周忌を迎えるにあたり、第160回俊太郎祭 『古髙俊太郎先生 没後160年祭』が神式にて執り行われましたことをご報告申し上げます。



5年に1度執り行われる俊太郎さまの慰霊祭ですが、今年も快晴で(過去、私が参加してきた回は毎回晴天に恵まれており)俊太郎さまのご加護とご人徳とを感じ、より一層強い思いで、俊太郎さまを偲んでおりました。




近年の異常気象で、本当に……本当に暑くて……駅から徒歩で向かったのですが、辿り着く前に死にそうな……そんな危険な暑さでした。

意識が飛びそうになると、励ますように涼しい風が吹き……

「嗚呼……俊太郎さまが労ってくださっている……」

と朦朧としつつ足を進め……

人がほとんど居ない熱射の降り注ぐ道をゆくことに疲れると、慶事を示すような真っ白な鳥が道々で何度も視界に入り……

応援されている……
ご神仏のご加護を感じる……
俊太郎さまが共に歩んでくださっている……

と思いつつ、頑張って歩きました!!

頑張った!!!

でも迷子になり(笑)
どうしようかと……

乗り換えアプリの地図とにらめっこしつつ、住宅街のなかで方位も見失い……

ここはどこ?状態

けれども、俊太郎さまと、京都の大将軍八神社ならびに古高町の大将軍神社の方位神の皆々様のご加護とお導きで、古高町にある「大将軍神社」にたどり着き、古高町自治会会館?が隣の敷地にあり、そこにおられた方に道をお尋ねしたら、わざわざ福寿院まで案内してくださって!!!

お優しい!
暑い中、本当に本当にありがたかったです!

案内していただいたのに、趣あるお家の並びが似た雰囲気で、さっぱり覚えられませんでした。

5年後も迷う自信があります!!

どうしよう!!(笑)

しかも、ご案内くださる道を確認し、神社と地元の方に導いていただけなければ、私、ひたすら福寿院とは逆方向に、道を突っ切るところでした……

危なかった……
どんどん福寿院から遠ざかっておりました……

おかげさまで、送り届けてくださったおかげで、無事に間に合いました!!!

ありがたい!!
本当にありがとうございました!!

芳名帳に記入し、そこで、5年前に出会い、共に古髙俊太郎 遺徳顕彰会(全国版)を立ち上げていただいた同志と再会し、喜びをともにし……心は華やぎときめき、高鳴って……

その後、お世話になっている京都歴史研究會の皆様と再会し、ご挨拶もそこそこに、歴史を愛し、学び、調べ、先人と歴史とを知りたいと研究する皆様の貴重なお話を拝聴できて、とっても有意義に開始までの時間を過ごせました。

神事の開始の雰囲気が生まれるギリギリのギリギリまで歴史のお話を聴かせていただきました。




晴天酷暑の中、神事が執り行われたのですが、神事の最中は、終始、涼やかな風が吹き続け、俊太郎さまが参拝者を優しく気遣い、いたわってくださっているような、そんな思いでした。 


俊太郎さまは、烏丸卿に和歌を師事し、舞踊にも通じておられたとの説がございますが、神事の奉納舞(?)の時には、巫女さまの周りにさやさやと風が吹き……

俊太郎さまが、その場、その時を愉しまれているような、お喜びになっておられるような風情があり、私も感無量、立ち会えたことの喜びをかみしめておりました。 



しかも、神事の途中、招魂の儀の際などにおいては、アゲハ蝶がひらりひらりと会場に舞い来たり、俊太郎さまの魂がお越しになっているのだと感動いたしました。

 玉串奉納は、ご子孫様と来賓の方々だけでしたが、参列できなかった皆様の思いも共にという心で、俊太郎さまをお迎えし、そのご遺徳を偲び、神事に参列させていただきました。 




来賓の方々が、慰霊祭という趣旨をいまいちご理解されていないのか、ご挨拶時に「おめでとうございます」と繰り返しおっしゃっていたことが非常に残念でしたが……

私の認識といたしましては、慰霊祭なので……慶事ではなく、無念の死を迎えた俊太郎さまの魂をお慰めし……そのご遺徳を讃え顕彰、後世までも継承していく場だと思うのですが……

古高町の人々も、もともと古くからお住まいの方々の高齢化が進み、語り部であった長老と呼ばれる方々をも見送ることとなり、新しく移り住んでこられた方々も増えているとのことでしたから、この機会に、是非古高町に生まれた偉大な人物である俊太郎さまのことを知ってもらえるような……そういう慰霊祭になれば(今後、そのような趣旨を色濃くした内容にしていければ)と思うのですが……

古高町の古髙俊太郎先生遺徳顕彰会は、古高町自治会の皆様が兼任されておられるので、いわゆる町内会と同じですから、町民が会員で、そこから会長や副会長など会の運営メンバーが選ばれる現状、定期的に運営体制が変わってしまうので……

例えば自治会運営が、町内会のように持ち回りの当番制だと、俊太郎さまのことをまったく知らない方が担当する年もある可能性もあり……

なかなか、神事仏事として慰霊祭を開催する、以上の内容を求めるのは難しいのかもしれません。

参列者には来賓として守山市長をはじめ、地元の議員の方々、小学校や幼稚園の校長先生など、気を遣う相手をお迎えされるので……

それを自治会の年間行事のイレギュラーとして取り扱うというスタンスでは、一般のご家庭の、歴史に興味もない、仕事や家事で忙しい、そういった方々が無理をしてなんとかこなす、という域を出ず、俊太郎さまを知る、或いは知ってもらう、というステージには、なかなか進めないのかもしれません。

もどかしく、悩ましい課題です。

そういう意味では、古高家のご子孫様が、「古髙 俊太郎先生のことを子どもにも語り継いでいきたい」とおっしゃったことは、とても印象的で喜ばしく、未来に希望を抱く思いでした。


できれば、守山市が主導して、今一度、古髙 俊太郎という勤王志士について、認知を広げるような、文化的な活動が起こればありがたいのですが……。

本格的に勤王志士としての活動をしていたのが京都であったことを差し引いても、お父様の周蔵氏は大津代官に仕えておられて、俊太郎さまも古高町で育ったわけですから……

滋賀県にしかない、守山市だからある古い史料などが、探せばあると思うのですが……

粟田郡誌とか、近年よりなので……

一次資料を……誰か……何処か……
一次資料を見つけていただけないかと……

研究し書籍にしてください……。

可能なら、私に史料や資料をお分けいただけないでしょうか?

後世へ遺すべく、いつか資料館やアーカイブ的な情報集積&交流の場を創りたいという野望を持っております。

古髙 俊太郎さまに関わる一次資料を切望しております。

まぁ、現状では、全然、全然なにもできていないのですが……

地道にコツコツ……小さな一歩を……
人生かけて重ねてゆく所存です。

仲間も増やしたいです。

間口を広く、敷居は低く、そうして俊太郎さまを知りたいと思う方、学びたい、調べたい、語りたいという方を集めて、みんなで和やかに楽しく、遺徳顕彰していきたいです。

古高町民誌をご購入された方と、慰霊祭でお会いできたことは、本当に本当に嬉しい出来事でした!!!

発信しても、なかなか反応がないことが多く、むしろデフォルトなので……

あの感動のひと時……

幸せいっぱいでした。
お声がけくださり、ありがとうございました!!


なお、古高町にある古高家代々の墓も、一部手入れがされて、美しくなっておりました。


他にも、長い長い一族の歴史を伝えるお墓が沢山ございまして、一部は砂岩で作られているため、風により劣化し浮き上がっているものもありましたが……

なかには、戦国時代の方のお墓もあるとのお話……見つけきれませんでした!!




慰霊祭のあとは、顕彰会仲間と、そのお友達の新選組を愛する方と共に、久しぶりに毘沙門堂へお詣りしてきました!!

本当に本当に久しぶりに足を運んだので。

塗りたてだった改修後のお堂もいい感じに落ち着いた風情になっていて、けれども鮮やかな飾り彫刻は、まだ美しく……

近年の強すぎる日光の影響か、今は襖をしめきり、参拝客が出入りの際だけ開けるというスタイルになっておりました。

襖絵を守る意味では大切ですよね。
昔より退色したように思いました。

相変わらず唐獅子さんや龍は愛嬌のあるお顔立ちで、特に私は唐獅子さんがお気に入りです。

可愛い。
とても可愛い。

あのデザインのご朱印帳とか欲しい。

御朱印も特別御朱印が沢山あって、色とりどり、季節にちなんだデザインで可愛かった!!

欲しかった!!

でも我慢した!!
お金がないので!!(泣)

お線香だけ買いました。
以前にいただいたものが残量僅かなので。



夏の緑鮮やかな晩翠園

緑に囲まれると心が和み落ち着き癒されますよね。

本堂も霊殿も奥ゆかしい趣のあるお線香の香りに包まれていて、心が落ち着きました。

運良く、人も少なくて、静かな時間をいただけて、心静かにお詣りできました。

新たにご縁得た友と志を同じくして支えてくれる友と過ごす時間……とてもありがたく、嬉しい時間でした。



そういえば、境内には、まだ紫陽花が美しく咲いておりました。まさに満開。暑さにも負けず健気な姿に胸打たれると共に、あの大きくて見事な枝垂れ桜は、この酷暑で弱っていて、葉っぱがしなしなと元気がなく、心配になりました。

ともに、この夏を乗り越えようね!

と、胸のうちで激励しておりました。

あと、辨財天さまの池には、どデカいオタマジャクシがいっぱいで……ちょっと怖かったです。

とってもとっても大きかったので(笑)

見事ともいえるサイズでした。
インパクト!!


本堂で拝見する毘沙門天さまのお姿、ただいま戻りましたと言いたくなる懐かしさと安心感。

随分と無沙汰をしてしまったので。

申し訳なく思いつつ、いつも見守ってくださっている、そのことを強く感じました。


本当に暑くて……
それはもう暑すぎて……

なかなかに厳しい暑さてしたが(笑)

前日には滋賀県に竜巻注意報も出ていたことを思えば、本当にお天気にも恵まれて……

無事に良き日を過ごせて幸せでした。

俊太郎さまのお導き、ご加護に心より感謝するとともに、俊太郎さまを近く感じられる時間を過ごせて本当にありがたく、幸せでした。

5年に1度、この貴重な慰霊祭に立ち会えた喜びを胸に、けれども日程が決まったのが1ヶ月前ということで、参拝したくともできなかった皆様のことを想い、胸が痛むのでした。

ちゃんと、皆様の思いも、愛もご一緒に、参拝いたしましたからね。

きっと、俊太郎さまを想われた人のもとへは、誠実さを、真心を大切にされていた優しい俊太郎さまのことですから、「おおきになぁ」とお礼を伝えに訪れておられたのではないかと思います。

俊太郎さまは、いつも、私たちに寄り添い見守っていてくださると、私は思っているので。

もし、今も悲しみのなかにおられる方がおられましたら、その御心に俊太郎さまの慰めと癒やしが訪れますように。


【ご報告とお知らせ】


古高町自治会が運営されている古髙俊太郎先生遺徳顕彰会(会員は古高町自治会員のみ)とは別に、全国版の【古髙俊太郎 遺徳顕彰会】を設立することにいたしました。


古髙俊太郎先生遺徳顕彰会 会長様よりご許可をいただいております。


まだまだ俊太郎さまについて勉強中の身ではありますが、私が会長として進めていく予定です。


広く全国の俊太郎さまをお慕いする方と繋がり、また、まだ俊太郎さまを知らない方々に、後世に俊太郎さまの存在を伝えたい、その御遺徳を顕彰していきたいという思いでおります。


とはいえ……まだちゃんとした組織化はできておりません。


それぞれに得た情報や資料を持ち寄ったり、歴史研究会の皆様から教わったり……勉強中です。


新型コロナウイルスという想定外のこともあり、また私が闘病中でもあり、思うように進んでおりませんが、生涯をかけて、遺徳顕彰に努めていきたいと思っております。


ゲームが入口でも、漫画やアニメ、そういった創作が入口でも、そこから史実を、歴史を、その人を知りたいと思ったなら大歓迎です。


これから共に、俊太郎さまのことを学び、知り、広め、後世に遺す、そんな夢と目標を応援してくださる方を募集いたしております。


それぞれがそれぞれのペースで遺徳顕彰する、俊太郎さまを慕う方が気軽に集えて、情報や知識、学びの資料やデータをみんなで集めていきたい。


可能なら未来でも研究者が困らないように、一般の人が知りたいと思ったときにすぐに調べられるように、資料や史料を集めた資料館を作ったり、データベースのサイトを作りたいです。(夢は大きくと思いまして!)


でも、まずは地道に勉強したり、交流したりを目指しております。


少しずつでも古高町の遺徳顕彰会を支え、或いは歴史と先人への遺徳顕彰活動を盛り立てていけたらと思っております。


今のメンバーは、ただ俊太郎さまを慕うファンのみの構成で、まだ組織化していないので会規や会費などもありません。


これから考えていく所存です。


『古髙俊太郎先生 没後160年祭』

滋賀県守山市古高町「福寿院」

開催日時:2024年7月21日(日)午前10時~

(今年は神式にて執り行われます)


主催:古髙俊太郎先生遺徳顕彰会(古高町自治会)


●一般も参拝可能です。


●服装について:例年通り、私服(カジュアル)でOKです。

※ 主催者の一部は略礼服にしますがネクタイの色は黒の人も白の人もいます。


●玉串料、献花、供物について:例年通り、ご無用です。


______________________



大正3年、古髙家の菩提寺である福寿院の境内に顕彰碑が建てられ、没後百年となる昭和39年には『古髙俊太郎先生遺徳顕彰会』が結成され百年祭が行われました。


現在は5年ごとに仏式と神式の交互に慰霊祭が執り行われており、今年は神式で執り行われるとのことです。


昔から、古高町自治会が古髙俊太郎先生遺徳顕彰会として活動されているのですが、昔からの住人の高齢化や引っ越しによる住民の入れ替わりもあり、俊太郎様のことを知らない方が増えて、慰霊祭の維持も難しくなってきたとのことで、盛り立ててゆけたらと思っております。


1ヶ月後と日も差し迫っておりますが、もしもご都合があうようでしたら、お声がけの上、ご参列いただければ幸いです。


お越しになることが難しい方も、是非、俊太郎さまの御遺徳を偲んでいただければ幸いです。



なお、ご参列くださる皆様におかれましては、慰霊祭であることを胸に留め、節度ある行動をしていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。


と、申しますのも、某ゲーム、某キャラクターのお墓や慰霊祭で、ゲームのネタを持ち込んだり、その場の厳かな場を乱す行動をされて、お墓参りや慰霊祭の一般公開が禁止になった例もございます。


悪しき例を増やさぬようにと、念の為、触れさせていただきました。


(もちろん、大好きな艶が〜るユーザーの皆さまをはじめとする、俊太郎さまを敬愛されている皆さまを信じておりますけれども、念の為です)


また、今回の慰霊祭に限らず、お墓は親族以外は触れてはいけない特別なものであること、墓石保存の意味でも、ご親族さまへの配慮の意味でも、墓参りのマナーとして、共有し周知していただければ幸いです。


※特に福勝寺の俊太郎さまのお墓は、当時作られたもので、とても貴重な石で作られております。過日の修繕においても、特別な方法を用いられた貴重なものです。永く後世に伝え遺すためにも、お墓には触れないように、お酒をかけたりなどされませんように、よろしくお願い申し上げます。


クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー


【ご報告】


古高町自治会が運営されている古髙俊太郎先生遺徳顕彰会(会員は古高町自治会員のみ)とは別に、全国版の【古髙俊太郎 遺徳顕彰会】を創立することにいたしました。


現古髙俊太郎先生遺徳顕彰会 会長様よりご許可をいただいております。


まだまだ俊太郎さまについて勉強中の身ではありますが、私が会長として進めていく予定です。


広く全国の俊太郎さまをお慕いする方と繋がり、また、まだ俊太郎さまを知らない方々に、後世に俊太郎さまの存在を伝えたい、遺徳顕彰していきたいという思いでおります。


とはいえ……まだちゃんとした組織化はできておりません。


それぞれに得た情報や資料を持ち寄ったり、歴史研究会の皆様から教わったり……勉強中です。


新型コロナウイルスという想定外のこともあり、また私が闘病中でもあり、思うように進んでおりませんが、生涯をかけて、遺徳顕彰に努めていきたいと思っております。


ゲームが入口でも、漫画やアニメ、そういった創作が入口でも、そこから史実を、歴史を、その人を知りたいと思ったなら大歓迎です。


これから共に、俊太郎さまのことを学び、知り、広め、後世に遺す、そんな夢と目標を応援してくださる方を募集いたしております。


それぞれがそれぞれのペースで遺徳顕彰する、俊太郎さまを慕う方が気軽に集えて、情報や知識、学びの資料やデータをみんなで集めていきたい。


可能なら未来でも研究者が困らないように、一般の人が知りたいと思ったときに調べられるように、資料や史料を集めた資料館を作ったり、データベースのサイトを作りたいです。(夢は大きくと思いまして!)


でも、まずは地道に勉強したり、交流したりを目指しております。


少しずつでも古高町の遺徳顕彰会を支え、或いは歴史と先人への遺徳顕彰を盛り立てていけたらと思っております。


ちゃんとした記事として改めて掲載したいのですが、まずは慰霊祭のご案内をしたくて、文末にてお知らせです。


今のメンバーは、ただ俊太郎さまを慕うファンのみの構成で、まだ組織化していないので会規や会費などもありません。


これから考えていく所存です。


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古髙 俊太郎


文政十二年四月六日

~ 元治元年七月十九日

(福勝寺の墓石裏に記された命日)


諱:正順(まさより)

変名:湯浅喜右衛門

戒名:凉岳院綺音正順居士(こじ)


江戸時代末期(幕末)の攘夷派の志士


※ お墓は、生家のあった滋賀県守山市の福寿院(敷地内に顕彰慰霊碑あり)、京都市上京区出水通千本西入ル七番町にある福勝寺(俊太郎さまの妹である智恵様が当時弔われていたお墓)、京都東山区の霊山墓地(墓碑)にあります。


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古髙俊太郎さまは近江国栗太郡古高村(現古高町)出身の勤王の志士です。


門跡寺院に仕える父の影響で尊王攘夷思想を持ち、公家と長州藩とを結ぶ役割を果たした俊太郎さま。


枡屋に養子入りし、枡屋喜右衛門として、京の町で商人を装いながら情報活動と武器調達を行っていましたが、新撰組に捕縛され、厳しい拷問の後1864年7月19日(福勝寺の墓石に刻まれている日付)、36歳の若さで斬首されました。


幕末の京都を揺るがした池田屋事件勃発のきっかけとなった人物です。


(文面の一部に京都歴史研究會様の慰霊祭開催お知らせの文章を引用にて使わせていただいております)



#古高俊太郎 

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#俊太郎様 

#俊太郎さま 

#枡屋喜右衛門 

#枡屋さん 

#艶が〜る 

#艶が 

#歴史 

#幕末 


キラキラ  先月、2月28日艶の日に、

  Otome Stories 様が「艶が~る」をついにリリース🌟

  再配信実現してくださいましたッ!! キラキラ



爆笑おめでとうございますッ!!

爆笑ありがとうございますッ!!


照れキラキラ素晴らしいッ!!

こんな…夢のようなことが起こるのか……ラブラブ


爆笑ありがたいッ!!

おねがい本当に感動しましたッ!!



新たなかたちで幕を開けたOtome Stories 様の「艶が~る」を盛り上げたいッ!!


楽しみたいッ!!


ハムスターでも、ゲームに不慣れなうえに、Otome Stories 様のアプリを今まで触れずに来た不安もある……


インストールはしたものの、ログインはしているものの、進め方に不安があって進められずにいた、そんな私が(笑)


ウインク運営さまにお問い合わせして教えていただいたことを、艶ともさん、艶がユーザーの皆様にも共有したいなと、久しぶりにblogを書いた次第です。


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【朗報】

エンド解放条件は愛情ptの累積(読了後も繰り越し)のみ!!

追加アイテム(「お守り」等)の購入無し!!

会話選択肢の影響もなし!!


つまりは会話の選択肢で敢えて見当外れな台詞を選ばずとも鏡が読める!


レンタルorボーナスストーリーを購入することで様々なエンドを読むことが可能です!



【エンド解放について】

愛情ptの獲得により各エンドのロックが解放されます。


つまりは、愛情ptを貯めることで様々なエンド(現在の予想:鏡・花・水・月)をレンタルして読むことが可能になるということです。


過去の艶が~るの仕様とは異なり、会話の選択肢によって愛情ptが増減することはないそうです。


鏡エンドを読むために、わざわざ空気の読めないアホの子にならずともすむのです!素晴らしいです(感涙)


ルート分岐という仕様ではなく、物語をレンタルして読み進めていく仕様とのこと。


「お守り」や「懐中時計」のような、特別アイテムのガチャなども存在しない=必要ないとのことです。


初代Ameba 艶が~るで、運に左右され被りまくるガチャをしたこと、プレミアムでストーリー分岐に必要なアイテムをやたらと課金しなければいけなかったことを想うと……


再配信してくださっただけではなく、あの頃苦痛だったこと、ハードルが高かった問題・課題を解消してブラッシュアップまでしてくださったことを思うと……


キラキラOtome Stories 様は神!!キラキラ


爆笑本当にありがとうございますッ!!


なお、ボーナスストーリー購入で愛情ptの加算が可能であり、ボーナスストーリーごとにあてがわれたポイントには幅があるそうです。



【愛情ptについて】

ストーリーをレンタル或いは購入することで貯まります。


愛情ptは、ストーリーを読み終えてもリセットされず累積(繰り越し)されます。


愛情ptは各旦那様(キャラクター)ごとに設定されており、旦那様(キャラクター)を変更しても愛情ptがリセットされることはなく、そのまま保持され、再度読み進めると引き続き累積されるそうです。


愛情ptが貯まるとエンドのロックが解放されていく仕様です。


愛情ptが貯まるとレンタルできるものが増える仕様のようです。


愛情ptが貯まっても制約が外れるだけでルート分岐する仕様ではないため、ポイントを沢山貯めたあとからでも鏡エンドを読むことは可能とのことです。


無課金派は、何度も同じ旦那さまを読むことで愛情ptを貯めることができますし、少しでも早く旦那様の色んなお姿、色んな物語を読みたい方は課金(ボーナスストーリーを購入)することも可能です。


自分のペースで楽しめる素敵な仕様になっていました💕


ボーナスストーリーの購入で得られるポイントは、ストーリーごとに異なるとのこと。


また、ハートを消費して1度レンタルしたストーリーも、3日間経過した後、再度レンタル可能になり、再レンタル時に1ポイント得ることができるとのことです。



オーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメント


《 獲得できる愛情pt内訳 》
ノーマルストーリーのレンタル … 獲得愛情pt:1
ボーナスストーリーの購入   … 獲得愛情pt:10~

※ボーナスストーリーの購入で得られるポイントは、ストーリーによって異なる。


オーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメントオーナメント




【キャラクター変更について】

物語を読み進めるなか、途中で旦那様(キャラクター)を変更しても、愛情ptならびに物語の進行は保持されます


再度読み進める際には、以前の続きからレンタルすることで読むことが可能です。


物語の時間軸を合わせて、慶喜はんを読みながら、並行して秋斉はんを読むことも可能です。沖田はんを読みながら、歳さまを読むことも可能なわけです。


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以上、私は、まだ序盤も序盤にいるため、エンドの選択画面などは確認しておりませんので、文字情報でしか知らないことばかりなのですが、皆様のご参考になれば幸いです。


爆笑それぞれのペースで、それぞれのスタイルで楽しめる新しい仕様の艶が~るが、1人でも多くの方に届き、愛されますようにラブラブ





月祈 慧泉(つきぎ けい)



#艶が~る

#OtomeStories




この度、禁門の変で亡くなった、 
キラキラ入江九一・那須俊平らの事実墓キラキラ
  (遺骨が実際に埋葬されているお墓のこと)
が確認されましたのでご報告申し上げます!!


照れもしかしたら、専門で研究されていた方なら、既にたどり着かれていたのかもしれませんが…

キラキラ爆笑音符私は存じ上げなかったので、この情報を教えていただいた時、とてもビックリいたしましたし、興奮と感動の嵐でした!!


ウインク此方については、私がお世話になっている京都歴史研究會より共有していただいた情報です。


是非、彼等を慕う方々に、歴史を愛する皆様に、そして縁のあるご子孫様方にも、この情報が伝わるように、広くこの事を世間に伝えたいという京都歴史研究會のご意向もあり、研究會より許可を得て、皆様に共有いたしたく、ご報告申し上げます。


記事の内容は、先方よりいただいたメールと研究會のブログの記事の一部を抜粋し、まとめたものです。

なお、詳細な情報が記された京都歴史研究會のブログのリンクを掲載いたします。


▼京都歴史研究會ブログ
http://rekikenkiroku.blog.fc2.com/


▼入江九一・那須俊平らの知られざる事実墓がありました
http://rekikenkiroku.blog.fc2.com/blog-entry-189.html?sp


是非、他にもさまざまな記事がございますので、合わせてご覧いただければ幸いです。




 入江九一・那須俊平らの事実墓の場所について



入江九一・那須俊平らの事実墓、それは、長く招魂碑・慰霊碑だと思われていた京都霊山護國神社最上段近くの合葬の場所です。


京都霊山護國神社の霊山墓地にたくさん並ぶ志士らの墓は、ほぼ招魂墓、詣り墓なのですが…

※入江九一と那須俊平の墓(墓碑)もありますが、身体は埋葬されていないと思われます。

この度、京都歴史研究會の会員さまが独自に調べられた結果、最上段近くの合葬の場所に胴体遺骨の埋葬がなされていることが判明し、この墓こそが事実墓であるということが確認されたとのことですッ!!



 遺骨の所在に関する経緯について



入江九一は、高杉晋作が奇兵隊創設時、その参謀として参加、下関戦争や禁門の変では久坂玄瑞の副将として活動しています。

しかし禁門の変で28歳という若さで戦死しました。


最初は五条坂鳥辺野の南無地蔵に埋葬されたそうです。


※南無地蔵とは、 梅田雲浜の墓がある安祥院の西側辺り、昔の地図だと池があり、そこに南無地蔵尊と墓地があったそうです。

※一帯は「鶴林(ツルノハヤシ)」と呼ばれ、焼死、伝染病死、行路病死者、1788年の天明の大火、1864年の蛤御門の変(禁門の変)の犠牲者も葬られた場所でした。

※人々が地蔵尊の前を通り過ぎる際に、「南無阿弥陀仏」と唱え回向したことから南無地蔵と呼ばれたとのことです。

※東山区遊行前町。

………………………………………………………

▼南無地蔵の歴史と位置について
http://rekikenkiroku.blog.fc2.com/blog-entry-190.html?sp

………………………………………………………


元治元年(1864)七月、京都で戦死した長州藩兵の死骸を、幕吏の命を受けた一般人の吉川永三郎が処理し届出ました。

手記の写しが残っています。

【甲子殉難死骸発見一件】
 管理番号:B002004972
 収蔵施設:山口県文書館
 目録名:毛利家文庫
 目録整理番号:64
 京師変動一件-数量 1

死骸発見の場所、死骸の形状、着衣や武装の有無、氏名識別などが記されています。
(現文書未見)


・・・その後に発見された死骸は67体、氏名の識別されるもの13名でした。

名前が判明した遺体13名の中に、有名な入江九一那須俊平(那須信吾の義父)も含まれていて、二人とも首は討ち取られ胴体の姿でした。


そして、入江九一と那須俊平の首は、他の志士らと共に、北区鞍馬口の上善寺の首塚に葬られました。


※首塚とは…元治元年7月19日禁門の変において、鷹司邸附近で戦死した長州藩士 入江九一・原道太・半田門吉・那須俊平・田村育蔵・緒方弥左衛門・小橋友之輔と無名の1人計8名の首級を、当時堺町御門警衛隊長であった越前藩の桑山十蔵が、主君の松平春嶽(1828~90)の許しを得て、越前藩菩提寺の上善寺に葬りました。

※明治38年(1905)年、旧長州藩主の毛利家により整備されたのが長州人首塚です。
 


そして、首以外、つまり胴体は南無地蔵に埋葬されたようなのです!!


南無地蔵にて発見時の死体見分書
 ( 毛利家文庫と小林万兵衛家文書「御築地内外擾乱人之次第」歴彩館所蔵より )

入江九一、遺体の状態や傷、持ち物について。


胴骸
1 白木綿筒襦袢
1 ●高袴
1 紺脚絆 同足袋 両足トモ長州合印有之
1 袖印 入江九一源弘毅
(他の遺体にも、両足トモ長州合印と記。)

↑↑↑

[補足]
袖印には長藩や所属の隊名を記した遺体もあり、緋羅紗陣羽織や花色縅(オドシ)具足を着ていた見事な鎧姿の亡骸もありました。

また「死骸胴体合…両脚首之処二白木綿括り有之、目印と相見へ候事」…と両足首に白い木綿の生地がくくられて長州藩兵の目印としていたことが解りました。

………………………………………………………


現在、山口県萩市の長寿寺入江九一の墓があり、両親や妻の墓と並んでいるそうなのですが、そちらは詣り墓とのこと。

そして、靖国神社でも「英霊」として祀られていますが、上善寺以外は全て招魂墓とのことです。



明治26年7月京都養正社・河田景福および野村靖(入江九一の弟)らによって霊山に遺体は改葬されました。


そうなのです、この改葬先こそが!!
事実墓になりますッ!!


現在、木戸孝允墓所の南側に石碑があるのですが…

※ 「霊山歴史館 志士墳墓全図」では「戦死者埋骨碑」として絵図の中で示されています。しかし各人の名前はありません。


此方は招魂碑・慰霊碑ではなく!

キラキラ実際に遺体(骨)が眠る墓だと、この度判明いたしました!!キラキラ



▼京都霊山護國神社のホームページ
http://www.gokoku.or.jp/index.html

▼ご参拝案内
http://www.gokoku.or.jp/07/0101.html


▼霊山墳墓 拝観料
 大人:    300円
 小・中学生:200円
(京都霊山護國神社の墓参は有料です)



 埋葬者について



埋骨碑である『元治元年戦後没長兵遺骨改葬碑』のサイドに刻まれた河田景福の碑文より、判別出来た13名の名前は以下の通り。


以達右其姓名著者如左

入江九一(弘毅)
緒方弥左衛門(真澄)
小橋友之助(輔・以義)
那須俊平(重任)
三嶋全鎚(三島屋金槌) 
緒方真濟
岩本勝次郎(具之)
松田清左衛門(久之)
兵千代
蔵重源三郎
勝山辨(辨朝)
三好采女(清明)
高橋岩蔵(岩之充・重郷) 



内、上善寺に首が埋葬された人物は、

入江九一
緒方弥左衛門(集義隊の伍長)
小橋友之助(高松藩士)
那須俊平(土州藩士)

以上4名。




 碑文について



元治元年戦後没長兵遺骨改葬碑
側面(東)


元治元年甲子七月輦下兵起長州藩士久阪義助入江九一等死之者二百有餘名矣京都市民吉川永

三郎者依幕吏之命埋其屍于南無地蔵塋域六拾七名而知其姓名者拾三名也永三郎恐後世失其所

告諸下京區長辻信次郎景福聞之謀野村靖松本鼎等乞官改葬遺骨于東山以建右其姓名著者如左

入江九一  緒方弥左衛門   小橋友之助 那須俊平  三嶋全鎚 緒方真濟 岩本勝次郎

松田清左衛門  兵千代  蔵重源三郎 勝山辨  三好采女 高橋岩蔵


明治二十六年七月四日

養正社副社長 河田景福誌


………………………………………………………


なお、この埋骨碑の場所から金網越しに、品川弥二郎墓が見えるそうなのですが、この品川弥二郎が河田景福の拓本を取ったそうです。


山口県文書や京都大学貴重資料デジタルアーカイブなど、インターネットでも拓本を見ることが出来るそうなので、教えていただいたリンクを貼っておきます。


▼京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
元治元年戦後没長兵遺骨改葬碑
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013793#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=432%2C1016%2C1712%2C1460


京都歴史研究會の方は、上記資料から碑文を見付けられたそうで、この埋骨碑は入江九一の本墓と言っても過言ではないと感じたそうです。


なお、その後、京都歴史研究會の方が、入江九一の身体が禁門の変より約30年も経過してから(明治26年)、霊山に埋葬(改葬)された経緯をご子孫様がご存知だったのかを調べるべく、「入江九一資料集」を確認されたそうなのですが…。


※「入江九一資料集」
入江九一のご子孫である入江遠さんの1994年著作


本の記述では、河田景福と入江九一の弟・野村靖が南無地蔵から改葬された件は、ご子孫さまはご存知ないようです。






さて、首塚や慰霊碑・供養墓・塔、様々な顕彰が方々で成されていますが、首塚以外に骨があるのはこの場所だけのようです。


照れ埋骨墓ということは、まさしく霊魂が休まれている場所、そして、故人の霊魂がおわす場所として、もっとも心近づける場所のようにも思います。(←あくまでも私の思いですが)


彼等を慕う方はもちろん、先人に敬意を抱く方がお墓参りをなさるなら、是非とも此方にこそ足を運んでいただきたい!!

と言うか、

故人、先人を偲べる場所としては、慰霊碑・供養墓・塔、等々、何処も等しく全て貴重であり、尊く、敬意を抱ける場所なわけですが…


ハート笑い泣きラブラブやはり、私も古髙 俊太郎さまの遺髪が在るという逸話のある福勝寺のお墓の存在を知ったときの深い感動は…言葉にできないものがありましたッ!!


キラキラおねがいキラキラきっと、入江様たちのご子孫様、彼等を敬愛する方、歴史を愛する方にとっても、遺骨がある、縁のものが埋葬されているお墓は特別なものだと思うのです!!



正直、私なら…

びっくり『知ってるなら教えてほしい!』ラブ

と、叫びます(笑)



もちろん、事実墓でなくとも、何処でお参りする際にも、それはもう真剣に参拝いたします。

いたしますが!

やはり先人の一部が眠っておられると想うと…こみ上げるものがありますし…

参拝するたびに慰められたり、励まされたり、誓いを新たにしたり…より、心動かされるものです。(私の場合は)

より御傍近くで想えるということは、大きな意味がございますしね!!


特別ですよね☆


という事で、是非、より多くの方に、この事実を知っていただきたいという歴史研究會のご意向のもと、許可を得て情報共有させていただきました。


ウインクえぇ、もう是非ともキラキラ皆様もたくさんの方に、ご友人に共有していただければ幸いです♪キラキラ


現状、新型コロナウィルスの猛威もあり、なかなか外出することが難しいわけですが…

状況が落ち着きましたら、是非、そこに眠っておられるのだと心に留めて、お墓に参拝していただければ幸いです。


クローバー末筆になりましたが、コロナ禍に加えての連日の猛暑、酷暑の日々…くれぐれも皆様におかれましては、引き続き、ご自愛ください。


今の時期に死を迎えるということ。


母方の祖母の容態がよくなくて、明日入院する。

新型コロナウィルスの影響で、入院すれば面会禁止、もう最期にも立ち会えない可能性が大きいそうだ。

5月に伯父が亡くなった時も、癌での入院だったが、緊急事態宣言を抜けるまでは面会禁止で、亡くなる数日前、緊急事態宣言の解除を受けて、伯母は、僅かな時なりとも一緒に過ごせたそうだ。

伯父は、面会禁止の時期、容態が一気に悪化したそうだが、伯母と過ごせた最期の数日は、穏やかだったそうだ。

その伯母も、癌なのに、コロナで通院に規制があり、抗がん治療が延期されている。


そんなふうに、コロナの影響は、本当に、あちこちにあって、コロナのせいで治療を受けられないために悪化した人、面会禁止で生活に刺激がなくなり気持ち等が弱ったために症状が悪化する高齢者というケースもある。

伯母が前者にならないことを祈りつつ、後者は祖母が、そうである。

祖母は、前回の入院が、新型コロナウィルスが猛威を広げる前で、新型コロナウィルス感染範囲の拡大とともに面会禁止になり、食事も看護士さんたちの業務となり、日々の生活に変化がなくなった。

自分で食べられた食事も段々自ら動かなくなり、それが作業的に食べさせて貰う時間になり、自分から動くことがなくなったという。

病室で誰かに会うこともできず、テレビも観ない。

刺激もない。

受容的な日々。

祖母は一気に痴呆等が進んだ。

コロナのせいで看護士さんたちの業務が増したことも理解できる。

一人一人に、ゆっくり付き合えないのも無理はない。

なんせ、抗がん治療中の伯母も、祖母と暮らしている伯母も、従姉妹も看護士で、みんな元、或いは現役医療従事者だ。

みんな、その、事情を知っている。

むしろ、2人は現在も最前線で闘っている。

毎日恐怖を感じ、毎日危機にさらされ、それでも、できることをする、と、頑張っている。

従姉妹は、幼い娘もいる。

ちなみに、彼女は、私にとって理想の女性であり、敬愛してやまない女神な存在である。

年下だけれど気遣いが細やかで、明るく朗らかで優しくて元気いっぱいで…

褒めるところは、山ほど在る。

その優しさに救われた思い出は、私の人生にとって、とても大きな支えになっている。

そんな彼女が、春に1度だけ口にした不安は、今も胸に突き刺さっている。

それでも、彼女は、また病院へ出社した。

家に帰れば、子供とお菓子を作ったり、マスクを手作りしたり…

凄いな!と言うか、ちゃんと寝て休むんだよ?

と、思ってしまうほど、本当に、バイタリティー溢れる女性なのだ。

そんな、彼女の姿を、現場で大変なめにあいながら、家族を守り支え、また、現場へと戻る姿を知っているから。

それが、仕方のないことだとも解っている。

それでも…

それでもと、本来であれば、新型コロナウィルスの発生がなければ、祖母の痴呆の悪化や容態の悪化は先伸ばせたことなのでは、と、思ってしまう。

祖母は、年のわりに、お肌も綺麗で、お手入れも欠かさない、しっかりした自立した人だった。

まぁ、昨年くらいから、一気に痴呆は進んでいたけれど。

それでも、とは、思ってしまう。


何より、親を喪う未来を間近に、看取ることも、会うことも許されない母の悲しみが…見るのもつらい。

かける言葉が見つからない。


治療方針も、既に話しあったことみたいで。

会話の端々から察するに、特に延命治療とか、積極的な治療はしないようだ。

つらい現実にうちのめされ、状況から、近い未来を想い、涙をこらえる母の姿を前に、私から治療に関する突っ込んだ話は、聞けなかった。


だからこそ、祖母の意向なのか、親族内での意向なのか、その方針がある以上は、この入院で祖母の症状が進むであろうこと、これが最期になるであろうことは、ほぼ確定なのだろう。

死を迎えるであろう未来が、セットになっていることを、受け入れるようにと、覚悟を求められている。

奇跡的に回復する未来が訪れればと願わないわけがない。

それでも、状況的に、厳しいのだろうな、と思う。

明日、介護施設から、病院へ祖母は移動する。

遠巻きで姿を見るのなら、という条件付きで許された、明日の面会の機会が、最期になるのかもしれない。

面会とも呼べないような面会。

そのことを告げながら、母の瞳が潤む。

看取れないかもしれぬい。
最期の時を独りで迎えさせるかもしれない。

その悔しさ。
悲しみ。

想像できるはずもない。


かける言葉が見つからない。


コロナのせいで死ぬ人は、ニュースの報道で伝えられる程度の数じゃない。

直接的な死者は、もちろんのこと、間接的な死者をも、私たちは、意識しなければならない。


受けられるはずの治療を受けられず、本来得られるはずの、最期の別れの時すら許されず。


私は別にいい。

母だけでも、親子にあたる人間だけでも、会うことは、一緒に過ごすことは、許されないのか。


きっと、そんなふうに思う家族は、あちこちに居るだろう。


この新型コロナウィルスという、まだまだ未知の部分が多い、そして未だに終息も見えない、感染拡大の危機に対して、私たちは、手探りで出口を探すしかない。

そんなことは、解っている。

慎重に、対応策を探し、1つずつ試していくしかない。

決定的な解決法はなく、正解なんて、誰にも判らない。

だからこそ、一人一人の高い意識、良心と理性、冷静な判断が求められている。


だが、それとは、別に、それを理解している、ということとは別に、だ。

この不条理に。
この理不尽に。

この悲しみに。

簡単に納得など、できるはずもない。


この新型コロナウィルスというパンデミックの脅威の一端の重い苦い現実。

なす術もないということ。


求める人に与えられない最期の安らぎ、受け取れるはずの人に許されない最期のひと時。


こんな不本意な…死に方、死なせ方。


敢えて、きつい言い方にしたけれど。

まさに、死なせ方。


死は、等しく全ての人に訪れるものだし、死に方は選べないこともある、ということは、もちろん分かっている。


それでも、本当なら、病室で、最期の日々を家族親族に見守られ、その人生をまっとうするはずの祖母が、孤独に、一人その時を迎えるのかと思うと、残酷すぎる。


また新型コロナウィルスの感染者は増えている。

治療法は、未だに見つからない。

目の前の現実に、その場その場をひたむきに立ち向かうしかない。

それでも、それでもと、思ってしまう。


それでも、それでもと、願ってしまう。


その悲しみを持てあまし、

母にかける言葉も見つからず、

明日という時を前にして、

どうしようもなくて。


ここに書くことにしました。


こんな悲しみ。

知りたくはなかったよね。

きっと、全国、世界中に、在るんだよ。

今なお現在進行形で。

コロナ罹患者だけでなく、従来の病気で通院していた人たちの中にも、治療を受けられない人もいる。

それだけじゃない。

この世界で生きていく、ということは、全てと繋がっている、ということ。

無関係ではいられない世界だからこそ、その影響を受けない人は、いない。


家族や友人、大切な人を喪い見送った人。

職を失った人。

自ら起こした大切な会社や店を失った人。

いろんな人がいる。


加えて、今は、連日の豪雨で、どんどん被災地が増えている。

まだ、雨は止みそうにない。

明るい先行きが、見えないね。


でも、だからこそ、と、

投げ出してはいけない。

だからこそ、

現実に誠実に向き合う時。


生きることに。


どう生きたいか。
どう在りたいか。

どう在るべきか。
どう生きていくべきか。


人類は問われている。


一人一人に、問われている。


あなたは、どんな存在なのか?

何を選ぶのか?

あなたは、どうなりたいのか?

どんなふうに生きるのか?



これまでに後回しにしてきたこと。

生きることだけに必死で、横に置いてきたもの。

今一度、改めて、自分という存在に、向き合う時。

世界に関心を持つ時。


違いを認め、その上で、理解しようと努める時。

違いを認め、その上で、自分はどう在りたいか、考える時。


価値観を見直し、人生を見直し、これまで生きてきた軌跡を振り返り、未来を見つめる時。

そして、その上で、今に向き合う、そういう時なように思う。


できることは、限られていて。

わからないことのほうが、時に多くて。

正解もなくて。


だからこそ、自分という存在と、自分の人生と、自分が生きているこの世界への責任と義務を、強く意識して、愛をもって、大切にする時なのだと、思う。

慈しみ、労り、思いやり、そういう優しさを常に引き寄せ傍に置いて、他者への敬意と尊重を忘れることなく意識して、尚且つ、他ならぬ自分という存在を知る努力を、積極的に生きるという意志でもって、自身の人生と心をより豊かにするために選ぶことが大切な時なように思う。


幸せのカタチは人それぞれで。

だからこそ、誰かの、ではなく、自分にとっての幸せを見つける時期。


豊かさの意味を深く模索する時期。


この苦境だからこそ、おろそかにできない。


この記事を機に、あなたが、自身の人生を大切にしようと、自分に向き合ってみようと、他者に歩み寄れる優しさを少しでもたぐり寄せようと、そう思ってくれたなら、とても嬉しいです。



皆様の御健康と御無事を、そして、健やかで穏やかな優しい時が日々に寄り添いますようにと願い、祈っております。

………………………………………………………
【追記】

理不尽と書いたのは、病院の対応や医療従事者に対してではなく、新型コロナウィルスが発生したことについてであり、どうしようもないことは起きるという人生についての表現です。

今も頑張ってくださる医療従事者へ向けた言葉ではありませんので、万一にも誤解なきよう、お願い致します。


約一時間ほどと前回記載したのですが、二時間ほどになりました。

当日は、俊太郎様の師であった梅田雲浜先生の玄孫の方もご参列なさいます。

歴史研究会を通して出会い、何度かお話ししたこともありますが、とても優しく、歴史を学び伝えることにも熱心な方です。

155年を経て、それぞれのご血縁の方が時を共にする、雲浜先生の玄孫様が、俊太郎祭の生地にお越しになるッッ!!

胸が、ふるえます!!


俊太郎祭を明日に控え、ドキドキ。
お天気が晴れますように。
※誤字があったため修正致しました。

【俊太郎祭についてのご案内】

勤王志士 古高俊太郎さまの没後155年祭が、2019年7月28日(日)に、俊太郎さまの生地がある滋賀県守山市古高町にて開催されます。

俊太郎祭とは、古高家の菩提寺である福寿院、その境内にある「勤王志士古高俊太郎碑」の前で、5年に1度執り行われる式典になります。(慰霊祭)

俊太郎祭は、仏式と神式、交互に執り行われ、今年は仏式となっております。

ありがたいことに、古高俊太郎遺徳顕彰会の元副会長さまから今年も俊太郎祭開催のご連絡を賜りました!

そして、「参加に制限はありませんので、ネット仲間の方にもお声がけいただいても大丈夫ですよ。」との温かいお言葉も賜りました。

是非、この案内をご覧になられた皆様、俊太郎さまご生誕の地、そして古高家の菩提寺である福寿院で、俊太郎さまの遺徳を偲ぶ式典に参加し、心静かに俊太郎さまに思いを馳せて過ごしませんか?



※ 此方は、あくまでも式典です。ご参加の際には、そのことを強く意識し、常に敬意と礼節を忘れることのないよう、宜しくお願い致します。

→近年、墓地や歴史を伝える石碑等において、マナーをわきまえない悲しいニュースを耳にするため、あえて、書かせていただきます。

______________________

【開催日時】
2019年7月28日(日)
11時開始(式典終了は12時過ぎを予定)

滋賀県守山市古高町
 福寿院境内 勤王志士 古高俊太郎碑 前にて


◎参加費不要、平服での参加で大丈夫です。

※詳細は下記参照ください。

______________________

以下、私が問い合わせた内容に対する先方からの回答をまとめたものになります。

参加を御検討中の方は、ご参考にどうぞ。



▼式典について

*午前11時開始、約1時間の内容で、12時過ぎ
 終了を予定しています。

*仏式なので、参加者の皆様に、途中御焼香を
 していただける流れとなっています。
 (参加人数により、終了時間は前後します。)

*ご参加くださる方に、別のご予定がある場合、
 式典を途中で退席していただいても構いませ
 ん。


▼服装について

 *夏の暑い時なので、半袖等の平服で大丈夫
です。(熱中症にお気をつけください)

 *仏式だからと、喪服や略式等の服装になさ
る必要はございません。


▼参加費について

 *不要です。
 (お金を集めることが目的ではありません。)

 若い方、遠方の方など、一人でも多くの方に、
 古高俊太郎という人物を知っていただき、思
 いを馳せて頂ければと思っております。

 古高俊太郎という人物が、その遺徳が、歴史
 に埋もれてしまうことのないように、努めて
 ゆきたいと思っております。


▼受付

*氏名に加え、住所をご記入いただけると、次
 回からも俊太郎祭の開催案内冊子をお送りす
 ることが可能です。

 是非、次回からも案内を希望される場合は、
 発送先となるご住所の記入をお願い致します。


▼御仏前(御香典)について

*古高町内の人間や古高家縁者は、受付にて、
 「志納金(しのうきん)」として千円を渡して
 おります。

*志納金は、あくまでも、お志のため、希望す
 る者が渡すという形になります。

*志納金を渡したい場合、俊太郎祭は式典であ
 るため、香典袋ではなく、お祝いごとの紅白
 の袋にお納めください。

*志納金を納めた袋には、氏名と住所の記入を
 お願い致します。


▼献花について

*式典開始前にお渡しくだされば、お預かり致
 します。

*式典中に、ご自身の手で献花することはでき
 ませんので、ご了承ください。


______________________
______________________

◆過去の参加者について
古高家縁者の皆さま(古高町の古高家のご親族)に加えて、俊太郎さまの養子となった章さんの御子孫の方、幕末志士の御子孫さま達もお越しになられており、歴史を研究或いは勉強されている皆様もお越しになられております。


これを機に、是非、俊太郎さまを慕う皆様と共に、俊太郎さまの御生誕地、古高町にて、俊太郎さまの遺徳を偲びませんか?

お一人でも、お友達など、お誘いあわせの上でも大丈夫ですので、是非、俊太郎祭にご参加頂ければ幸いです。

今回迷われてる方や、ご都合の合わなかった方も、今後も5年ごとに開催される予定ですので、次回のご案内で是非ご参加いただければ、とても嬉しく思います。


どうぞ、ご検討くださいますよう、宜しくお願い致します。

………………………………………………………

★これまでに『古高町民誌』をご購入いただいた皆様へ★

古高俊太郎遺徳顕彰会 兼 古高町自治会関係者の方より、俊太郎祭についてご案内しても良いものか、ご迷惑にならないか悩んでいるとのお言葉を賜っております。

とても有りがたいお気遣いであり、また、一過性になってしまうこともあるという切ない現実とも受け止めております。

もし、今年の俊太郎祭に参加なさる場合、今後も案内の希望をされる場合は、受付にて、氏名と住所のご記入をお願い致します。

また、参加はできずとも、今後も、5年ごとに開催される俊太郎祭の案内を希望される場合は、お手数をお掛け致しますが、先方に、氏名と住所のご連絡をお願いできれば幸いです。

私を通してでも良いですし、直接連絡していただいても構いません。

以上、お手数をお掛け致しますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
【速報・俊太郎祭についてのご案内】

勤王志士 古高俊太郎さまの没後155年祭が、2019年7月28日(日)に、俊太郎さまの生地がある滋賀県守山市古高町にて開催されます。

俊太郎祭とは、古高家の菩提寺である福寿院、その境内にある「勤王志士古高俊太郎碑」の前で、5年に1度執り行われる慰霊祭(法要)になります。

俊太郎祭は、仏式と神式、交互に執り行われ、今年は仏式となっております。

ありがたいことに、古高俊太郎遺徳顕彰会の元副会長さまから今年も俊太郎祭開催のご連絡を賜り、「参加に制限はありませんので、お仲間の方にもお声がけいただいても大丈夫ですよ。」との温かいお言葉も賜りましたので、ご案内させていただきます。


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【開催日時】
2019年7月28日(日)11時開始
滋賀県守山市古高町
 福寿院境内 勤王志士 古高俊太郎碑 前にて

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現時点で、開催日1か月前というタイミングですので、参加をご希望される場合、ご予定の調整もあるかと思い、詳細は確認中ですが、日時のみ先にご案内させていただきます。


▼御仏前や献花について
希望者は持参しても良いのか等確認中です。

▼服装について
今年も平服で良いのか、法要であることを意識した平服のほうが良いのか等も確認中です。


▼過去の参加者について
古高家縁者の皆さま(古高町の古高家のご親族)に加えて、俊太郎さまの養子となった章さんの御子孫の方、幕末志士の御子孫さま達もお越しになられており、歴史を研究或いは勉強されている皆様もお越しになられております。


これを機に、是非、俊太郎さまを慕う皆様と共に、俊太郎さまの御生誕地、古高町にて、俊太郎さまの遺徳を偲びませんか?

お一人でも、お友達など、お誘いあわせの上でも大丈夫ですので、是非、俊太郎祭にご参加頂ければ幸いです。

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国立国会図書館デジタルコレクション

タイトル
「日本史蹟大系. 第16巻」

著者
熊田葦城 著

出版者
平凡社

出版年月日
1935-1936

51コマより:
「三四九 暗殺の陰謀」

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1162165/51

※ 52コマから俊太郎さまの名前が登場

※ 捕縛されたという事実、俊太郎さまのざっくりとした経歴記述あり。

※山科毘沙門堂門跡 輪王寺宮の近習でありながら、筑前御用達の店の跡を継いだ商人として、古高と桝屋、二つ名を使い分ける俊太郎さまの元に、公卿へのコネクションをあてにした者たちが集った、というような説明。

※ 75コマに六角獄舎で処刑された者に関する記述があるが、俊太郎さまの名前は出てこない。平野國臣さんの名前と石碑写真あり。

※75コマでは、容保公が、禁門の変の際、六角獄舎で、現場の判断で獄舎の罪人を処刑したという報告を受けて、問い質し、叱り、諭すようなシーンが描かれている。

↓ニュアンスで

容保公
彼らの罪跡、行ったことは悪しきことだとしても、それは憂国の思いからであって、その心を想えば、寧ろ憐れむべきものではないか。まだ罪も明らかになっておらず、これから糾明していかなければいけない者もいたというのに、勝手に処刑するとは不法のふるまいである。


それに対して、町奉行瀧川播磨守具知は、脱獄を企てた輩が居たから斬り捨てたのですと説明するも…


容保公
彼らが、脱獄を企てなかったとは言わない。しかし、捕らえられていた約30人、彼らが全員、必ずしも脱獄を企てていたとは、信じることができない。ならば、全員を斬首したというのは、とても正常なこととは言えない。


↑↑↑

高潔な容保公らしい見事な説。
素晴らしい‼

泣きそうになりました。