『古髙俊太郎先生 没後160年祭』開催のお知らせ | 蒼い月夜に玉響に・・・(詩と日記を散りばめて)

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幕末の勤王志士 古高俊太郎さまの研究・遺徳顕彰に努めております。

『古髙俊太郎先生 没後160年祭』

滋賀県守山市古高町「福寿院」

開催日時:2024年7月21日(日)午前10時~

(今年は神式にて執り行われます)


主催:古髙俊太郎先生遺徳顕彰会(古高町自治会)


●一般も参拝可能です。


●服装について:例年通り、私服(カジュアル)でOKです。

※ 主催者の一部は略礼服にしますがネクタイの色は黒の人も白の人もいます。


●玉串料、献花、供物について:例年通り、ご無用です。


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大正3年、古髙家の菩提寺である福寿院の境内に顕彰碑が建てられ、没後百年となる昭和39年には『古髙俊太郎先生遺徳顕彰会』が結成され百年祭が行われました。


現在は5年ごとに仏式と神式の交互に慰霊祭が執り行われており、今年は神式で執り行われるとのことです。


昔から、古高町自治会が古髙俊太郎先生遺徳顕彰会として活動されているのですが、昔からの住人の高齢化や引っ越しによる住民の入れ替わりもあり、俊太郎様のことを知らない方が増えて、慰霊祭の維持も難しくなってきたとのことで、盛り立ててゆけたらと思っております。


1ヶ月後と日も差し迫っておりますが、もしもご都合があうようでしたら、お声がけの上、ご参列いただければ幸いです。


お越しになることが難しい方も、是非、俊太郎さまの御遺徳を偲んでいただければ幸いです。



なお、ご参列くださる皆様におかれましては、慰霊祭であることを胸に留め、節度ある行動をしていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。


と、申しますのも、某ゲーム、某キャラクターのお墓や慰霊祭で、ゲームのネタを持ち込んだり、その場の厳かな場を乱す行動をされて、お墓参りや慰霊祭の一般公開が禁止になった例もございます。


悪しき例を増やさぬようにと、念の為、触れさせていただきました。


(もちろん、大好きな艶が〜るユーザーの皆さまをはじめとする、俊太郎さまを敬愛されている皆さまを信じておりますけれども、念の為です)


また、今回の慰霊祭に限らず、お墓は親族以外は触れてはいけない特別なものであること、墓石保存の意味でも、ご親族さまへの配慮の意味でも、墓参りのマナーとして、共有し周知していただければ幸いです。


※特に福勝寺の俊太郎さまのお墓は、当時作られたもので、とても貴重な石で作られております。過日の修繕においても、特別な方法を用いられた貴重なものです。永く後世に伝え遺すためにも、お墓には触れないように、お酒をかけたりなどされませんように、よろしくお願い申し上げます。


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【ご報告】


古高町自治会が運営されている古髙俊太郎先生遺徳顕彰会(会員は古高町自治会員のみ)とは別に、全国版の【古髙俊太郎 遺徳顕彰会】を創立することにいたしました。


現古髙俊太郎先生遺徳顕彰会 会長様よりご許可をいただいております。


まだまだ俊太郎さまについて勉強中の身ではありますが、私が会長として進めていく予定です。


広く全国の俊太郎さまをお慕いする方と繋がり、また、まだ俊太郎さまを知らない方々に、後世に俊太郎さまの存在を伝えたい、遺徳顕彰していきたいという思いでおります。


とはいえ……まだちゃんとした組織化はできておりません。


それぞれに得た情報や資料を持ち寄ったり、歴史研究会の皆様から教わったり……勉強中です。


新型コロナウイルスという想定外のこともあり、また私が闘病中でもあり、思うように進んでおりませんが、生涯をかけて、遺徳顕彰に努めていきたいと思っております。


ゲームが入口でも、漫画やアニメ、そういった創作が入口でも、そこから史実を、歴史を、その人を知りたいと思ったなら大歓迎です。


これから共に、俊太郎さまのことを学び、知り、広め、後世に遺す、そんな夢と目標を応援してくださる方を募集いたしております。


それぞれがそれぞれのペースで遺徳顕彰する、俊太郎さまを慕う方が気軽に集えて、情報や知識、学びの資料やデータをみんなで集めていきたい。


可能なら未来でも研究者が困らないように、一般の人が知りたいと思ったときに調べられるように、資料や史料を集めた資料館を作ったり、データベースのサイトを作りたいです。(夢は大きくと思いまして!)


でも、まずは地道に勉強したり、交流したりを目指しております。


少しずつでも古高町の遺徳顕彰会を支え、或いは歴史と先人への遺徳顕彰を盛り立てていけたらと思っております。


ちゃんとした記事として改めて掲載したいのですが、まずは慰霊祭のご案内をしたくて、文末にてお知らせです。


今のメンバーは、ただ俊太郎さまを慕うファンのみの構成で、まだ組織化していないので会規や会費などもありません。


これから考えていく所存です。


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古髙 俊太郎


文政十二年四月六日

~ 元治元年七月十九日

(福勝寺の墓石裏に記された命日)


諱:正順(まさより)

変名:湯浅喜右衛門

戒名:凉岳院綺音正順居士(こじ)


江戸時代末期(幕末)の攘夷派の志士


※ お墓は、生家のあった滋賀県守山市の福寿院(敷地内に顕彰慰霊碑あり)、京都市上京区出水通千本西入ル七番町にある福勝寺(俊太郎さまの妹である智恵様が当時弔われていたお墓)、京都東山区の霊山墓地(墓碑)にあります。


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古髙俊太郎さまは近江国栗太郡古高村(現古高町)出身の勤王の志士です。


門跡寺院に仕える父の影響で尊王攘夷思想を持ち、公家と長州藩とを結ぶ役割を果たした俊太郎さま。


枡屋に養子入りし、枡屋喜右衛門として、京の町で商人を装いながら情報活動と武器調達を行っていましたが、新撰組に捕縛され、厳しい拷問の後1864年7月19日(福勝寺の墓石に刻まれている日付)、36歳の若さで斬首されました。


幕末の京都を揺るがした池田屋事件勃発のきっかけとなった人物です。


(文面の一部に京都歴史研究會様の慰霊祭開催お知らせの文章を引用にて使わせていただいております)



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