知らないことを知る… | lummoxの長い1日

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駄文、散文、写真、絵日記…何を書くかわかりませんが、その日の気分で…

自分もじじいになったと言っているけれど、まだじじいの端緒についたばかり。

 

腹も出たし、頭も薄くなったし、あちこちガタガタになってきているし…老化の兆候は色々なんだけれど、自分の親、義理の親を見ていると老化にはまだまだ上があると思い知らされる。

 

病院のトイレに行くと、普段は手が届かないと言うより「なんでそこに?」と思うような床スレスレに非常呼び出しボタンがついている。

初めて見た時は「なんで?」と思ったけれど、倒れて動けなくなった人には、そこにあって初めて役に立つんだと理解してものすごく納得した。

 

老化とは関係ないけれど、ある工場のシステムを作ることになって現地に行った時、作業着を着た人のベルトが変なことに気がついた。

よく見るとベルトのバックルが真横にある。

もしかしてズレたのか?と「ベルトズレてますよ?」と言ってみたら、苦笑いしながら「製品を持って運ぶ時、バックルで傷をつけないようにわざとずらしているんですよ」と教えてくれた。

目から鱗。

普通に暮らしていたら多分そんなところに行きつかないと思う。でも、それが日常のことになれば、そこまで気が回るのねと思った。

 

そんな感じで、自分の常識から外れた事に対してはなかなか考えが及ばない。

システムエンジニアとしてできる限り使いやすいよう、間違いのないようシステムを構築しているつもりでも、全く知らない業界の『常識』は思いもよらないエラーを呼び込む。

 

思ってもいない使い方をされエラーとなって、「こんな使い方は想定外でした(仕様書にも書いてないじゃない?)」と言うと「そんなの常識でしょ?」と言われることも多い。

当然、こちらにとっては『常識』の範囲外なので、そんなことは思いつきもしなかったのだけれど、心の中で『常識』ってなんだよ!と悪態をつきながら「お叱りは後で。まずは対策を」ととりなして対応を考えるようにしていた。

 

困るのはその『常識』のせいで大幅な仕様変更となり、金が絡むようになる時。

金さえかからない程度なら多少のサービス残業で笑って収まるのだけれど、金が絡む事になると「仕様書に書いていないでしょ」「常識と思っていることでも、仕様に落とし込んでいなければ分かりませんよ」と言うことを理解してもらわなければならない。

 

大きな会社ならそんなことは営業に押し付けて仕舞えば良いのだけれど、その時は技術屋の苦労を知らないアホ営業が安請け合いをして、技術屋が泣きをみると言うのがフラグ回収のようだ(逆の見方をすると「金勘定ができない社会的常識のない奴らがわがままばかり言って困る」と言う事になるのだけれど)。そして小さな会社では営業専門職がいなくて技術屋がそのまま相手と話をする事になり、相手にねじ込まれて泣く泣く徹夜を繰り返す羽目に…

よほど力の強い会社でなければ、常に技術屋さんは泣いているのだ(そして営業も泣いている)。

 

今回も盛大に話が逸れて本題が見えなくなってきた。

 

話を戻す。

閑話ぁ休題ぃぃぃぃ。

 

  • 要は色々なものにエラーを知らせる機能がついている。
  • 老いると若い頃のようには体の機能が発揮できない。
  • 自分の常識の範囲外のことには考えは及ばない。

この3点が今回の話。

 

改めてそう思ったのは、うちの本来の台所での事。

 

シンク下の収納、扉1枚分が小さな冷蔵庫になっている。

食料品用ではなく調味料や米を保存するための物だ。

 

その冷蔵庫も蓋が十分に閉まっていないと「ピーッ」と警告音を出す。

よくあるちょっと甲高い音なのですぐ気がつく良い機能だと思う…思っていた。

 

でもさ、最近夜中に下から何か音が聞こえてくる時がある。何かと思って下に行ってみると、その冷蔵庫の警告音が鳴り続けていた。

 

「蓋を閉めたら普通に鳴り止むのになんで?」

 

もう10数年使い続けていて、古くなって密閉性が落ちていることもあるのだろうけれど、義母に聞くと「鳴っているのが聞こえない」のだそうだ。

 

モスキート何ちゃらってあったね。蚊の飛ぶ音は歳をとると聞こえなくなるってヤツ。

あれが更に歳をとるともっと聞こえない範囲が広がって、警告音でさえ聞こえなくなるんだって。

 

多分、会社に勤めている年齢層の多くの人は、そんなことを考えもしないのではなかろうか。

「こんなはっきり聞こえる警告音が鳴っているのだから十分でしょう」と思うのだろう。

でも、老人だけの世帯では全く役に立たない。そんなことを想像できているのかな。

 

これから老人だけの世帯はどんどん増える(かも知れない)。そんな所では音だけでは不十分で、光による警告も兼ね備えなければ十分ではなかろう。さらに言えば目も耳も不十分な人もいる。ならば触覚でも警告も必要か。

考え始めると際限なくなるけれど、せめて音だけではなく光の警告も欲しい所だね。

 

自分の常識の外のことを如何に理解するか、如何に想像するか…とても大切なことだと思ったよ。

ただ、先にも書いたように自分の常識の外の事は想像のしようもない。だから、広い雑学、広い人脈は大切なのかも知れない。「世の中無駄な事は何もない」ってのが真理なのかな。

 

自分の知らないことを知る…知らない知識を吸収すると言う意味でも、自分が無知であると謙虚であれと言う意味でも大事な言葉だね。そしてそれをきちんと意識できないものは長続きできないのかもしれないな。