カタカナ言葉 | lummoxの長い1日

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駄文、散文、写真、絵日記…何を書くかわかりませんが、その日の気分で…

今日のメインは先に書いた次の2つだから。

これは息抜きだからね。

 

 

ちょっと息抜きの(小)毒…

息を抜くように毒を吐く…いいじゃないww

 

まぁ私もジジイの部類なので新しいものは苦手…と思われるかもしれない。けれど、一応技術的な物とか興味のある者のところでは新し物好きでいるよう心掛けてはいるんだよ。

 

で、一応何十年かコンピュータソフトウェア開発に携わり、物流コンサルティングなどもやってきたので、色々なところで横文字は関わってきた。日本語訳されたマニュアルを読んで「はにはに?」と悩むなら、英語版のマニュアルを読み解く方が楽なんて現場もいろいろあったし、まぁ英(単)語が理解できないと、変数に名前も付けられないような世界だったから、ある程度はそういう場面も馴染んではいるのだけれど、最近の阿呆なカタカナ英語の氾濫には本当頭が痛くなる。

 

いちいち細かい例を挙げる事もないだろうけれど、別に日本語で言えば「誰にでも」「間違いなく」「簡単に」意図が伝わる事を、わざわざカタカナ英語に置き換えて分かり難くすることを良しとする頭の中にひよ子を抱えた阿呆が闊歩する時代になってしまった。

世の中は英語を理解することが当たり前の時代に向かおうと努力はされているし、中には公用語を英語とする日本企業もあるようだけれど、それでも「日本国」の公用語は日本語だし、「多くの企業」で通じる言葉は日本語だ。そこにカタカナ言葉をわざわざ多用しなければならない理由はどこにもない。

 

プレゼンの資料は、余計な情報を省き、売りたいものの情報をわかりやすく訴求する物が求められている。

如何に良い商品か、どれくらい売り上げが見込めるか、どんな需要があるか…訴えたいことは多々あるけれど、その中で何に絞るのか、与えられた時間など条件を基に絞り込む。

そんな中でわざわざ訳の分からない言葉を多用することが有利に働くと考える阿呆はどれくらいいるだろう。

 

私は事ある毎に書いているけれど、「機能美っていうのは、無駄を省いた先に自然と現れる物」なのだ。一般的でない言葉を偉そうに並べ立ててマウントをとる(←カタカナ英語を~と書いている傍からわざわざ書く奴ww)…お山の大将気分に浸る奴っていうのはなんなんだろうね。いわゆるDQNネームを子につける親の「私以外だれにも読めない満足感」的意味のない行為だと思うのだけれどね。

 

さすてぃなぶる…いろいろなところで最近目につくのだけれど、何度聞いても頭に入ってこない。が、「ピアノのサスティンペダル(SustainePedal)を思い出すと良いよ」と妻に言われ、漸く先ほど納得した。カタカナで襲ってこられると意味が全く分からなくて戸惑うけれど、きちんと英単語でやってきてくれたら、調べる事も簡単だし、理解もしやすいんだよね。

しかし、わざわざこんなカタカナを使うより「持続可能な」と言った方が又は書いた方が何倍も伝わりやすいだろうに…カタカナかぶれも本当に大概にして欲しいものだ。

 

うん、世の中の趨勢がそういう阿呆な方向に剥くのだとしたら仕方ないとあきらめるしかないのかもしれない。あくまでも個人的な毒吐く(独白)ですから…