そもそも、時間が4次元とされている場合があるのは、その様に「決めた」人がいるから。
空間を表す3次元の次は、4次元目の空間(?)的なものである方が腑に落ちる。
では、時間は何次元なのか。
それは、3,2,1と遡った更に前、0次元とでも言うべき所が相当するのではないかと思った。
ただ、これまで3次元は立体、2次元は平面、1次元は点と覚えていたが、今は0次元は点、1次元は直線、2次元は平面、3次元は空間という設定になっているらしい。
この場合の次元は縦横高さの広がりの認識の話で、3次元は縦横高さがあるのでその中にある物体もそれに準じ、2次元は線と奥行きを記述出来る。
1次元は直線ということだがそこに線以外の何者も入り込む余地がない、つまりは幅(面積)の無い線なのだが、それは見えないだろう。
同様に0次元とされる点も面積は2次元での話なのでこちらも見える訳もない。
あくまで思考実験的な話だが、点は1次元で良くないか?
まあそれはそれとして、時間はそれらの延長線上には無い。
あえて言うなら、1次元の存在の傍らに全く異なるベクトルで既に並んで存在しているのではないだろうか。
ということを考えていると、面白い説を見つけた。
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/180175
極限状態でのアインシュタインの「一般相対性理論」と「量子力学」の矛盾を解決することになるかもしれない話。
また、時間は「川」の様に流れるのではなく、「海」の様なものかもしれないという。
時間の認識は、空間内の物質の挙動から間接的に得ているのだと考えているが、その空間(まさに全く何も無いキャンバス)が時間の流れによって作り出されているのだとすれば、何がそれを生み出し、またそれを動かし続ける原動力は何なのだろう。
時間が流れるという当たり前のことについての謎を再認識。
次元を認識出来るのは、少なくともその一つ上の次元から。
平面(2次元)を認識出来るのは立体的な空間(3次元)を認識できる場所から。
では、立体的な空間(3次元)を認識しているその当人は本当は何次元に存在しているのか?
そもそも、縦横高さを3次元と認識するのは本当に正しいことなのか?
2次元という「長さ」のみの存在を認識することは不可能。
1次元も同様。
世界の捉え方そのものが誤っている可能性がある。