オオサンショウモとカイミジンコをボトルアクアリウムに投入中。

 

カイミジンコは底の方にいるのが多いけれど、オオサンショウモの根にずっとくっついているものもある程度いる。

 

オオサンショウモは(と言うよりも植物は)、光合成によって生成された栄養分の多くを根から放出して微生物を育てているという話があるので、そういった事が関係しているのかもしれない。

 

ボトルアクアリウムに電球形蛍光灯で光を当ててやると、カイミジンコの動きが全体的に活発化すると共に根にくっつくカイミジンコの数も増えるので。

 

 

 

 

 

以下、閲覧注意かな。

 

 

 

 

 

 

カイミジンコに限らずミジンコ類は、増えすぎると全滅するらしいが、それは共食いが影響しているのではないかと。

 

大して餌をやっていないボトルアクアリウム内でも確実にカイミジンコの数が増えている。

 

餌になりそうなものは、オオサンショウモの根位。

 

あるいは、目に見えないだけで藻や苔が発生しつつあるのかもしれないが(金魚水槽の方は今月に入った位から苔大発生中)。

 

そんな場所である程度大きくなったカイミジンコがお手軽に食べられるものといえば、卵から生まれたてのそれ。

 

そういうことを続けていると、新しい個体が育たず大きな個体はいずれ寿命を迎えるために全滅してしまう。

 

そこで、種の保存のために耐久卵が出てくるのかもしれない。

 

次世代を食べ尽くす現世代をやり過ごすために。

 

共食い率(?)が一定値を超えると何らかの物質が体内に蓄積されて、その結果耐久卵というタイムカプセルを生むようになるとか。

 

遺伝子レベルの生存戦略なのかもしれない。
 

 

ちょっと変わったツバメの巣を発見。

 

 

よく見るお碗型のツバメの巣と違って、上が開放されていない。

 

近くにもう一つあり、

 

 

こちらは入口が少し欠けている様子。

 

とはいえこれらを発見したのは10月も後半なので、巣の使用者達はとっくに移動しているはず。

 

調べてみると、コシアカツバメというツバメの一種の巣なのだそう。

 

日本国内に広く飛来しているらしいが、何を基準に巣を作る場所を決めているのか不明だという話もあり、割と珍しいものらしい。

 

実際、初めて見た。

 

この使用後の巣はコシアカツバメ以外の生き物にも好評という話もあってか、巣があった建物には(時期が過ぎても)巣を落とさない様に注意書きがしてあった。

 

 

 

なお、画像の画質が残念過ぎるのは、某アクオスの背面カメラを使用したため。

 

以前、ノスリを望遠で撮影した際には無加工なのに印象派風に(クレヨンで書いたのかと思うほどかろうじて原型が判る位に)変換されていたので、それに比べればまだマシな方ではあるが。

 

 

ボトルアクアリウムと言いつつも、その実態はオオサンショウモとカイミジンコの屋内退避。

 

冬季の低水温で全滅してしまうのを防ぐため。

 

開始後3日目だが、カイミジンコは順調に増えている。

 

そして、オオサンショウモの根にくっついている個体も多数のため、多分食べているのだと思う。

 

近日中に餌として、藻水槽入口で増え始めた藻を投入する予定。

 

あまり投入しすぎても水質が悪くなる恐れもあるので様子見しながら。

 

古い方のオオサンショウモの根によくくっついているので、餌をわざわざ与えなくても循環が完結するのかもしれないと思いつつ。

 

カイミジンコが食事をした後の代謝物は一体何だろう。

 

底面に溜まるので掃除しようとスポイトでゆっくり吸い込んでみたら底に多数のカイミジンコが控えているし、吸い込んだ分の中にも同様。

 

害が無いのであればそのままにしておくか、様子見中。

 

むしろ、増殖・生育に必要な環境なのかもしれない。

 

 

そもそも、時間が4次元とされている場合があるのは、その様に「決めた」人がいるから。

 

空間を表す3次元の次は、4次元目の空間(?)的なものである方が腑に落ちる。

 

では、時間は何次元なのか。

 

それは、3,2,1と遡った更に前、0次元とでも言うべき所が相当するのではないかと思った。

 

ただ、これまで3次元は立体、2次元は平面、1次元は点と覚えていたが、今は0次元は点、1次元は直線、2次元は平面、3次元は空間という設定になっているらしい。

 

この場合の次元は縦横高さの広がりの認識の話で、3次元は縦横高さがあるのでその中にある物体もそれに準じ、2次元は線と奥行きを記述出来る。

 

1次元は直線ということだがそこに線以外の何者も入り込む余地がない、つまりは幅(面積)の無い線なのだが、それは見えないだろう。

 

同様に0次元とされる点も面積は2次元での話なのでこちらも見える訳もない。

 

あくまで思考実験的な話だが、点は1次元で良くないか?

 

まあそれはそれとして、時間はそれらの延長線上には無い。

 

あえて言うなら、1次元の存在の傍らに全く異なるベクトルで既に並んで存在しているのではないだろうか。

 

ということを考えていると、面白い説を見つけた。

 

 

『実は「時間は3次元」で時間が空間を生んだ』

https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/180175

 

極限状態でのアインシュタインの「一般相対性理論」と「量子力学」の矛盾を解決することになるかもしれない話。

 

また、時間は「川」の様に流れるのではなく、「海」の様なものかもしれないという。

 

 

時間の認識は、空間内の物質の挙動から間接的に得ているのだと考えているが、その空間(まさに全く何も無いキャンバス)が時間の流れによって作り出されているのだとすれば、何がそれを生み出し、またそれを動かし続ける原動力は何なのだろう。

 

時間が流れるという当たり前のことについての謎を再認識。

 

 

 

次元を認識出来るのは、少なくともその一つ上の次元から。

 

平面(2次元)を認識出来るのは立体的な空間(3次元)を認識できる場所から。

 

では、立体的な空間(3次元)を認識しているその当人は本当は何次元に存在しているのか?

 

そもそも、縦横高さを3次元と認識するのは本当に正しいことなのか?

 

2次元という「長さ」のみの存在を認識することは不可能。

 

1次元も同様。

 

世界の捉え方そのものが誤っている可能性がある。

 

 

一般的には、限度を超えて飲み食いしすぎることが暴飲暴食だと認識されているように思う。

 

その限度は人それぞれとはいえ、逆に食べなさ過ぎることも暴飲暴食のひとつだと認識した。

 

体の維持のために必要な量以上あるいは以下の食事をすることは、体に負担をかけるという意味ではどちらも同じ。

 

また、健康のためにという名目で体が欲していないものを食べたり、体が欲するものを食べなかったりすることも暴飲暴食のひとつだろう。

 

頭で食べていると色々とおかしくなる。

 

かと言って、バランスが崩れた状態で体が欲するものを食べ続けたとしても、、、?

 

バランスを取り戻すために必要なプロセスである場合もあるし、そうでない場合もある。

 

食べてみないと判らないか。

 

一番解っているのは体なのかもしれない。

 

 

バランスが崩れていると感じたら、食べる以外のことをやってみる。

 

運動するとか散歩するとか本を読むとか寝るとか、要は他のことなら何でも良い。

 

やってみて確かめる。

 
 
 
どの様な食生活をしていてもそれぞれに健康だという人がいるのがややこしい所。
 
長期的にはどうかは知らないが特異体質というのは割とありふれているのかもしれない。
 
もっとも、冷凍食品を多用している人々は不健康そうに見える事が多いけど、たまたまなのかどうなのか。
 
某社の冷凍レンチンフライドポテトを食べた時には速攻でお腹が下ったのは、劣化した油で揚げてあったのか冷凍保存状態が悪かったのかレンチン用プラシートから有害物質が染み出して来たためなのかその全部なのか、とりあえず某社の製品は二度と買わない。