百英雄伝のネタバレなしの話ですが、攻略的要素もありません。

村山吉隆さんはストーリーのどこまで関わったのかな?という話です。


幻水Ⅱファンの私は百英雄伝に結構がっかりしています。村山さんは衰えたとか偉くなりすぎて人の意見を聞かなくなったとか…そういう事でも構いませんが

村山さんらしさが孤島の如くゲームの所々に見え隠れして、村山さんらしからぬ日本語がセリフのあちこち(特に主人公)にある…。


さて、百英雄伝の話を最初に知った時に村山さん変わったなあと感じたのは魔導レンズという言葉でした。

(私は幻水3以降の村山さんの作品を追いかけていないので、いまさらの話ならばごめんなさい。)

何が、と言われてもなんですが異物に感じました。クラファンで書かれた時のあらすじを読んでもファイナルファンタジー臭がします。

幻水が水滸伝という物語を原点に持つというのならば、百英雄伝はファイナルファンタジーというゲーム物語を原点に持つのかな…???

(村山さんはクラファンの定期報告#28の中で魔導レンズの位置付けを考えているという語りもあり、初めに魔導レンズありき、であったと思います…。


もう一つの異物はメンヒルです。





あれも私には違和感があります。もうちょっと高度文明感とか高級感とか異質感を出して欲しかった。元のモチーフを十分に咀嚼しきれていないせいかな。光り方も安っぽい。

シンプルとお粗末とは異なるし、模様も何かを組み合わせただけで概念化された雰囲気が無い。作れないというならばむしろただの柱の方が良い。もし雛形を作ったのが村山さんだったとしたら、やっぱり村山さんは知的に衰えたのかもしれない。


百英雄伝の原型は誰が作ったんだろう。ライジングのライターさんも設定を渡されてシナリオを書いたようなので多分この人では無い。(設定に関わるような膨らみがライジングにはないので)。

今回の百英雄伝のプロジェクトは矢面に立っている人や会社と、実質仕事をしていた(本来責任を負うべき)人や会社がずれているので、始終居心地の悪い違和感が拭えない。


今後3つのストーリーがダウンロードコンテンツとして出されるようですが、初めに出されるメリサの章とセイの章は村山さんは書いていないかも。これらは先に設定とかの意味も兼ねて書かれていた節があります。

最後のマーカスの章はどうかあまり加筆してほしく無いです。恐らくマーカスだけは村山さんが全体構想をほぼ固めた後で自ら書かれたものだと思うので。ただ皮肉なことに魔導レンズの物語です。


簡単なスマホゲー等で名を伏せてゲーム制作を代行する会社があるように、ゲームのシナリオも名を伏せて仕事をしている人がいるのでしょう。

ある意味メリサの章やセイの章が楽しみです☘️










百英雄伝、クラファンの支援者の目で見た話です。

以下、ゲームの内容とは関係の無い話です。

(攻略などの情報は一切ありません。


クラファンの主催者であるラビットアンドベアーさんがリワード関連の支援者からの疑問の回答を出されました。

初めてきちんとした内容だったので少し安堵しました。正直な話、あまりいい加減な対応をしていたらこんな会社は先行きが暗いと思っていました。(事情は承知ですが、クラファンの代表者はラビットアンドベアーですから。)

支援者にまだ届けていないリワードは沢山あります。資金的に大丈夫かな、と懸念していました。私たちが受け取れないという不利益よりも、リワードを渡せなかった場合の会社の責任の取り方が心配でした。

今回も、支援者向けなのにお知らせがKickstarterのアップデート(事実上お知らせの場所)という形ではなく、ラビットアンドベアさんのホームページからでした…色々事情があるんだろうなあ。でも

ともかくようやくスタート地点に立ったんだな、と思いました。顔をしっかり見て話していただいたという感じです。


今回のお知らせの文章はとても誠実な書き方であったし…一番これが嬉しかったね!クラファンに実現不可能な事まで盛り込んだあの口調(言ってみれば今回のアレコレのトラブルの諸悪の根源)が消えたことだけでも今後の安心材料です。


以上、Kickstarterのバッカーさん以外にはさっぱりわからない話でした。(クラファンについては後々まとめようと思います。)🍀













百英雄伝をプレイしています。

ゲームをしていて楽しいところもありますが

コレじゃない感があります。


こういう楽しさだったら、村山さん以外の人が作ったゲームでも良かった。スマホゲーでもいいしswitchで手軽にできるゲームでもいい。インディーゲームでももっと快適プレイのゲームが有りますし。


だから幻想水滸伝のファンの人でも百英雄伝の評価は分かれるんじゃないでしょうか。

ゲームとして作られているのだから遊べば確かに楽しむことはできる。だけど求めていた楽しさとは違う…と歯がゆい思いで私はプレイしています。


こんなにメインのセリフがつぎはぎになるならば村山さんを担ぎ上げなくても良かった。ライジングという先行のゲームがあって後発の百英雄伝の足かせになるのならば、いっそのことライジングのライターさんに百英雄伝も書いてもらえば良かったと思います。


結果的にユーザーに喜んでもらえたら、意図したゲームでなかったり自分のゲーム観と外れたゲームであっても良いのだろう。

多くの人に喜んでもらうということが村山さんの望みだった。しかしその望みを叶える方法は彼が彼の理想とするゲームを作る事ではなく、ざっくり言えば宣伝のしやすいゲームを作ることだった。村山さんは自らが担ぎ上げられた英雄になることを甘んじて受け入れた。また実質は多くの決定権を他者に委託したリーダーであることもよくわかっていたのだろう。


とても複雑な気持ちで遊んでいます。

楽しいよ!っていうのが供養でしょうけど、ありがとう!が素直な気持ちです☘️