『バーン・アフター・リーディング』

2008年アメリカ・イギリス映画 96分

監督:イーサン・コーエン ジョエル・コーエン

脚本:イーサン・コーエン ジョエル・コーエン

出演:ジョージ・クルーニー フランシス・マクドーマンド 他


久しぶりのコーエン兄弟。「ノーカントリー」以来。96分の短尺に誰が主役か分からない豪華な役者陣、ああこれ好きに作ったねぇと、その条件からも分かる。


そして内容もまさに、何でも好きに作っていいとなったらこういうのになる、という見本のようなもの。好きに書いて好きな人に演じてもらって好きに撮って、出来上がり見ていいなぁこういうの好きだなぁアハハと笑って、ふと、そういやこれ、客に伝わんのかな、と思ったりもするんだけど、ま、いっかー、となる感じ。


評価の良し悪しや中身の出来不出来など関係ない。そういう形で成立する、成立させられるってことが、作り手としては一番の「勝ち」だと思う。羨ましい。


あと最高に良かったのがエンディングの曲(「CIAマン」)!何だこの曲。こういうところのセンスがやっぱこの兄弟最高なんだ、何がやりたかったって、この曲が使いたかっただけなんじゃねーのかという。


ストーリーを一言で言うなら「人はバカで面白い」という大雑把なもの。あらすじというよりも作り手の人間観を素直に提示しただけのことで、たぶん、それ以外で特に伝えたかったことはない。でもいいなぁ、私もそうだもの、何やかんや書いてはいるけども、別に伝えたいことがあるわけじゃないんだもの。思ってることがあるってだけで。


面白いか面白くないかでいうと「別に…」って人も多そうだが(私も客観的に考えたらそうだが)、こういう自由さ、久しぶりでなかなか新鮮だった。昔はしょっちゅう観てたフランシス・マクドーマンドも久しぶり。


   ジムインストラクターのチャド(ブラッド・ピット)、

   ロッカーで拾ったCD-ROMを開いて興奮し、

チャド「このCD、女性用のロッカー室で見つけたんだ。音楽か何かだと思って開けてみたらこの書類さ」

ジム支配人テッド(リチャード・ジェンキンス)「まずいよ…」

チャド「通信を傍受する話とか、シグナルとか…暗号のことね。部局やそのトップの名前も具体的に。他にもファイルが入ってて、表になってるんだ。日付に、数字、数字、それからまた、日付だろ?数字に…これ、相当やっべえよ!」

   チャド、振り返り、

チャド「生のスパイ情報じゃん!」


★★★★★☆☆☆☆☆

『また逢う日まで』

1950年日本映画 111分

監督:今井正

脚本:八住利雄 水木洋子

出演:岡田英次 久我美子 他


ガラス越しのキスシーンがあまりにも有名な戦争悲恋映画。この二人が共同脚本ってちょっと珍しいな、と思ったら、元々師弟関係だったそうで、なるほど。


空襲下、避難した地下鉄ホームで居合わせたことをきっかけに出会った大学生の三郎(岡田英次)と美術学校に通う螢子(久我美子)。いつ来るか分からない出征の日を控えながらも、三郎と螢子はささやかな愛を育んでいくが、遂に迎えた最後の日、小さなすれ違いが原因で二人の恋は悲劇的な幕切れを迎える。


ああああ携帯さえあれば!っていうもどかしいラスト、それに続く穏やかな三郎のMは、タイプは全然違うけど「ジョニーは戦場へ行った」を思い出した。冷戦モノの絶望とはまた違う、翻弄される個人の儚さ、ままならなさ。


三郎のMを多用。この三郎という人、「この頃、こんな人もいたんだ」と思ってしまうほど心優しきモラトリアム。軍人の兄に向って「戦争の意味が分からない」って言えちゃうなんて、よっぽど恵まれてるからか。ラストを頭に持ってくる構成も、あざといっちゃあざとい。でも泣けた。それはこの作品が本当に純粋に恋愛という要素を抽出しているから。


今の目で見てもこの映画のキスっぷりは赤面してしまうほど。こんなにキスってしますかね、してたんですかね。「フライパンが欲しい」と幸せな生活を夢見る螢子と、「戦地へ行く前に僕のものになってほしい」と(異様な迫力で)迫る三郎。ここまでこんな感じに今やるのは難しい、だけど気持ちそのものは非常に分かる。三郎も螢子も見目麗しく、まるで恋愛の理念型を見るようだ。


だけど螢子が理不尽に絵の直しを迫られる構図はあれ…?何だか凄いお馴染みだ。言論統制のレベルとしてはそんなに変わっていないのか。


   線路の上の橋を渡っている英次と螢子。

   大きな荷物を背負って歩く人たちを見て。

英次「あーあ。生きるってことは大変なことだなあ」

螢子「でも生きなきゃ…。どんなことしたって生きなきゃ。あたし生きたいのよ。生きたいのよ」

英次「うん…。僕も、今はそう思うな」

螢子「じゃあ、前には? 嫌だったの?」

英次「うん…。でもいいなぁ、生きるってことは」

螢子「(笑って)そうよ。今頃…」

英次「いや、やっとそう思いだしたんだよ、僕は」

   螢子、微笑んで、

螢子「それからね。もう一つあるのよ、望みは」

英次「……」

螢子「第一に生きることでしょ?」

英次「うん」

螢子「それからもう一つはね、ほんのちょっぴり、ほんの少しでいいの。…欲しいわ、幸福。こんな時代に贅沢かしら」

英次「ほんの少しなら、今持ってるじゃないの。僕たち」

螢子「(笑って)…」


★★★★★★★★☆☆

『バーティカル・リミット』

2000年アメリカ映画 124分

監督:マーティン・キャンベル

脚本:ロバート・キング テリー・ヘイズ

出演:クリス・オドネル ビル・パクストン 他


山岳アクション。天才登山家の父を持つピーター(クリス・オドネル)とアニー(ロビン・タニー)の兄妹だが、3人でクライミング中に事故に巻き込まれ、ピーターは父の命綱を切るという決断をする。以来、アニーとの距離ができてしまうピーターだが、企業家の宣伝として登山チームに入ったアニーが雪崩でクレバスに落下、それを命懸けで助けに向かう。


最 初 か ら 行 か な き ゃ い い ん で す よ !


登山家の父を持つ娘としてはその一言に尽きる。声を大にして、届かないなら渡り鳥か何かに託してこの言葉をこの人らに伝えてあげたい。ホントもう、山の上アホばっか。最初っから私は共感値0なので、ドラマとしてではなくコントとして観た。でもこれそれでいいんだよね?登場人物の描き方も雑だし(大体死ぬし)、山岳版「恐怖の報酬」って言われようなんて思ってないよね?ただでさえ大変なとこへニトロ背負って登ってくって、これ、単なる逆かもねぎだもんね…。


あと思うのは、親父が山に登ってたらよほどのことがない限り子供は登らないんじゃないかということ。子供の頃は確かに付き合わされました、登山エリートに育て上げようとしてた節も確かに見受けられました。でも私は硫黄臭い岩剥き出しの山頂から、街を街を、文化を文化を夢見ていましたよ。「山で何かあったら助けなくていいから」と言い残して冬山に行く父の背中を見て「言われんでも助けんよ…」と思っていましたよ。


そう考えると、なんで人(父)は山に登るんだろうか。大人になって、比喩としてなら理解できるようにはなってきたけど、実際の行動としてはたぶん一生理解できないんじゃないかと思う…。


この映画が公開されていた頃、自称映画好きの伯母が「あれ見た?『パーティカルリミット』」と言っていたのを思い出す。自分で観た映画のタイトルをなんでそんな風に言い間違えられるんだろうか、とその時は思ったが、実際に観てみて、これ別にパーティカルでもいいわ、と思った。


   妻の恨みを晴らすというウィック(スコット・グレン)を、

   「それはダメだ」と止めるピーター。

ウィック「ここの標高は知ってるだろ」

ピーター「……」

ウィック「高度限界(バーティカル・リミット)を超え、君の命も危ない。立ってるのがやっとだろ」

ピーター「……」

ウィック「私を止められるか?」

   行くウィック。


★★★★☆☆☆☆☆☆