ずるずると続けてきた当ブログですが、仕切り直して新しく切り替えます。
『they do in the movies2』
同じアメブロ、『2』だからって何が変わるわけでもないですが、ここを見てくださっていた方々、今後は新しいブログの方をよろしくお願いいたします。
ブックマークにもリンクを貼っておきます。
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『股旅』
1973年日本映画 96分
監督:市川崑
脚本:谷川俊太郎 市川崑
出演:小倉一郎 萩原健一 他
この頃の邦画、だるーんとしてるのも多いけど、バチッと焦点が定まってるものは、どの国のどの時代の映画よりも強く迫ってくるものが私にはある。この作品、ジャパニーズ・ニューシネマの傑作と言っても差し支えないと思う。奇跡的なまでにソリッドで、地団太踏むくらいイケている。
冒頭の太鼓!フォント!風変わりなN!そして仁義!この鳥肌感は言葉を超越している。それこそ言葉しか手段を持たない私などには眩しくってたまらない。そして何より小倉一郎、尾藤イサオ、萩原健一の薄汚れた股旅三羽烏のビジュアルよ。
大学の頃、バンドでもコントでも芝居でも、3ピース編成のものにやたら執着していたのを思い出す。三人称、つまり社会の成立する最小限の単位であり、付かず離れずの距離を保ちながらも、集団としての無駄をそぎ落とした潔癖性をそこに感じるから、など、理屈はいくらでも考え付くが、何より直感的に、そのギリギリのバランスに魅力を感じていた。んでこの映画の編成も、まさに私の直感と同じ理由からそうなってるような気がしてならない。
(ちなみに、私が収まりがいいと感じるのは、あくまで男三人の編成。女というファクターを、これまた私が直感的に撹乱要素として認識してるからだと思うが、他ならぬ自分自身、女であり、それこそ大学時代はそのことにやたらともどかしさを感じていた。井上れい子演じるお汲のように、無垢を盾にし彼らに付いてくようなキャラでもないし…。そこら辺のことはいっぺんちゃんと考えてみても面白いかもしれない)
その「ああ、いい」という理屈抜きの感じ、そこんとこが非常に若々しい映画だと思う。三人が三人とも、抱きしめたくなるほど若くて脆い。そうだった、そうだったと、いつの時点でそうだったかすらもう思い出せないけれど、大変心当たりがある。
そしてこの理屈の無さなのだけれど、「いいものはいい!そこに理屈はないんだよ」という安易な思考放棄を越えて、それ自体が悲劇の根源になっている気がするところが大変興味深い。この三人に思いはある、だけど信念が無い、根っこが無い。それゆえに父を殺し、それゆえに自身も犬死にをし、その様自体は非常に哀れなのだけれど、それが何だったのかというと、別に何でもない。
非常に日本的だと思う。そここそ、アメリカの同種の映画と決定的に違うところだと思う。考えてみれば、アメリカン・ニューシネマは大抵が男二人連れ。個性がガチンコでぶつかり合う。でもこの映画の三人は、「赤信号みんなで渡れば怖くない」というか、互いに寄っかかってやっと立っている感じで、そういう意味では全然カッコよくない。若いというよりも幼い、とアメリカ人なんかには見えてしまうのかもしれない。でもその、ぐずぐずの未成熟こそが、何だかやっぱり、他人事とは思えないんだよなぁ。
それにしても、この時代のナイーブな若者たちはいったいどこへ消えてしまったのか。ちょうど親の世代だけれど、結びつかな過ぎて途方に暮れる。あとどうでもいいけど、うちの母親は若い頃、尾藤イサオを蛇蝎のごとく嫌っており、ショーケンにも全く興味なかったという。常々思うけどそこら辺の温度差もどうなってたんだろう。
出入りの家で、行方不明だった父安吉(大宮敏充)
に会った源太(小倉一郎)。
安吉と暮らしているおはる(野村昭子)と三人で酒を飲みながら。
おはる「さびしかねえのかい。当てのない旅から旅だなんて」
源太「さびしいなんてのは…知らねえな」
おはる「そうかねぇ。ひとっとこにずうっといたって、さびしいもんだけんどねぇ」
安吉「(笑って)時々変なこと言うぜ…」
おはる、源太の首に手を回し、
おはる「どうでぇ。おらたち本当の親子みてえだべ」
源太「(安吉を見て笑って)…」
安吉「腹も痛めねえくせに、勝手なこと言うねぇ…」
★★★★★★★★★☆
『バルカン超特急』
1938年イギリス映画 97分
監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:シドニー・ギリアット
出演:マーガレット・ロックウッド マイケル・レッドグレイヴ 他
ヒッチ先生、イギリス時代の作。東欧のパンドリカという架空の小国からイギリスへ帰国する列車内で忽然と姿を消す老女フロイ(メイ・ウィッティ)の謎。フロイと親交のあったアメリカ娘アイリス(マーガレット・ロックウッド)だけが彼女の行方を探すが、周囲の乗客は「老女など見ていない」と口を揃え、アイリスの正気が逆に疑われる…というサスペンス。
冒頭の冗談のようなミニチュアセットからは考えられないくらい緊迫した筋書き。ハーブティの袋とか、窓に書いた文字の使い方とかさすが巧い。クリケット好きのイギリス紳士たちとか、不倫カップルの役割なんかもいい。が、非常に面白くはあるのだが、その面白さって結局、「小道具使いうめーな」というだけのことなんじゃないかと思ったりもして。人物の使い方自体も小道具的な感じだし。
小道具小道具と脚本教本などにはよく出てくるが、まあ小道具、確かに大事だけれど、「小道具使いの巧い脚本は面白い」ということはあっても、「面白い脚本とは小道具使いの巧い脚本だ」ってほどのことはないんじゃないかなと個人的には思う。というか私が後々まで「あの映画面白かったなぁ」と思い返す映画の面白さって、小道具的な巧みさとは違うところにある気がする。ヒッチ先生、観てる時は面白くてもあんまり中身覚えてなかったりするのって、たぶんそのせい。無意識のうちに「先生」付けてるくらいだし。
「フライトプラン」を連想する人が多いらしいこの映画、しかし元々あんま技巧に興味無いせいか、私は「ジュリア」を思い出した。あの映画の時代設定とこの映画の製作時期がたぶん同じくらい。私がこの映画に感じる面白さはむしろ、画面から滲み出ている当時の時代背景とか政治情勢の異様さの方。じゃないとこんなプロットありえんもん。
食堂車で、フロイはやはり電車内にいると確信したアイリス。
客たちに、
アイリス「聞いて。フロイさんはいます!隠されたのよ!列車を止めて」
アイリスを制止しようとする医師ハーツ(ポール・ルーカス)に、
アイリス「お願いします、協力を。何とかして頂戴、頭が変なわけじゃないわ、列車を止めて!離して!」
アイリス、列車を緊急停車させる。
★★★★★★☆☆☆☆