春霞と共に消えた青い恋 | LukeのBlog

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ヤクルト・スワローズ、ヤクルト・レビンズ(ラグビー)、ラグビー、ガンバ大阪、陸上、サイクルロードレース、東大野球部、東大ウォリアーズ(アメフト)、Xリーグを熱烈応援中で趣味・料理。

店にはビル・エヴァンスのSomeday My Prince Will Comeが流れている。
煙草の煙と澱んだ空気がゆっくりと流れていて、明朗なテーマの曲なのにビル・エヴァンスのアンニュイで気だるそうなピアノが更に空気を重くしている。

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僕は浪人していた頃に予備校の近くのこの店に通っていたんだ。
週に1回か2回、予備校の帰りの午後に友人と行ってはコーヒー1杯で長々と他愛もない話をしながら過していた。
特に封印しているわけではないけど、先行き不安な日々を過ごしたその頃の思い出といえばこの街の街並とこの店しかない。

グランドピアノが置かれた店内はJAZZ喫茶というにはいささか洒落ていたし、耳を傾けるとJAZZが流れていることにやっと気付くような大人の通う喫茶店という感じだった。

僕はそこである日それまで無縁だった煙草を何本も吸った。
社会の位置付けから一旦外れ、立ち位置に迷う、まさに“浪人”にはアウトローな振る舞いが似合う気がしたんだ。
ところがその帰りの電車でひどい貧血になってたまらず電車を降り、新小岩駅のベンチに座ってうな垂れながら思う…、「二度と煙草は吸うまい」と。
アウトローの失敗。

店には長髪のマスターと滅多に顔を出さない料理人と、週に何回か入る大学3年生のアルバイトの女の子がいた。
彼女とは年が二つしか変わらないのにすごく大人に見えた。
僕はその頃ハマり始めたJAZZではなく、その子が目的で通い始めたんだと思う。

彼女はとりたてて可愛いわけじゃなかったし、友達は見向きもしなかったけど僕にはとても眩しかった。
長い髪がキレイな彼女は笑顔が素敵で白いポロシャツがとても似合う子だった。
彼女と会話を交わすと、心の中に常に漂う不安や焦燥感を一時的にでも忘れさせてくれる様な気がしていたんだ。
彼女は青い僕の憧れだった。

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冬が近づいたある日、自習室で暗くなるまで勉強をした帰りにその店に行くと既にbar timeになっていて、細い階段を降りていつも通り扉を開けるとそこは一段と大人の世界だった。
実は友達に出くわす心配のないbar timeにあえて行ったのは計画的な確信犯だった。

昼間より照明を落とした一段と暗い店内は壁の向こうが見えないくらいで、店には照明に照らされた演奏中のジョン・コルトレーンのアルバムジャケットと、彼女の笑顔と共に白いポロシャツが浮かんで見えた。
さして忙しそうにでもないのに機敏に動く彼女に見とれている時、白いポロシャツに浮き出た小さな胸の膨らみに急に女性を感じ、僕の頭の中でピアノの鍵盤の一番右端の高い音が鳴ったんだ。
衝撃音でもなく、小さくもくっきりした音。

僕はカウンターに座ってJ&Bの水割りを飲んでいると、店の仕事が落ち着いた彼女がサービスのナッツを持って話し相手にやってきてくれた。
僕はナッツをつまみながら憧れの彼女と“志望校”について話をしたんだ。
有意義な進路相談…の時間がゆっくりと流れた。

受験に失敗して予備校に通う18の少年がJAZZ BARでスコッチウイスキーの水割りを飲みながら店の女の子と志望校について話している…。
今思うと明らかに間違っている、笑えるくらいに何もかもが。
それでも至福の時間だった。

J&Bのおかわりをお願いすると彼女は話しながらゆっくり時間をかけて水割りを作った。
そのグラスを僕の方に滑らす彼女の指先は繊細でとても綺麗で目線をそらすことができなかった。
カウンター越しにいる彼女に手を伸ばせば届くはずなのに、僕が“彼女をつかむ”にはとてつもなく遠く感じた。
憧れの限界と自制。

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あれから時がたくさんの月日が流れ、それ以来ものすごく久し振りにこの店に来てみた。

店はJAZZライブハウスに大きく様変わりしていて、美味しい料理と共に毎晩生演奏の上質なJAZZが割安で楽しめる店に変わった、というより戻っている。
(僕が通う前はJAZZのライブハウスだった…、と聞いたことがある。)
スペシャルな夜を期待するBlue Noteなどとは違って、気軽に来れる日常のJAZZがそこにある。

店を見渡して深く息を吸う。
もちろんその店に彼女はいないけど、なんとなく青い恋の残り香がした。
あのピアノの鍵盤の一番右端の音は後にも先にも頭に響いたことはないけど、それは封印していた気持ちが堰を切った音だったに違いない。
憧れが恋に変わる音。

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当時の僕は“浪人”というどこにも属してない立場上それを“恋”と言ってはいけないし、その文字が頭をよぎると慌ててかき消していたんだ。
女性に思いを伝える権利を得ていない気がしていた。

年が明けてJAZZ喫茶どころじゃなくなった僕は店にも行かなくなり、とうとう彼女に“気持ち”を伝えることのないまま春が来た。
僕のその気持ちは春の霞みと共に自然と消えた。

今度はbar timeに行ってみよう。