森の中の野球場は後楽園みたいな昔の競馬場の様な雰囲気はないし、球場の周りはおろか球場の中までも人が少なくて、どこに座って観てもお構い無し。

それに後楽園みたいに雑然としてないし、ゴミも落ちてなくてとてもキレイに見えた。
そらそうだ、人が少ないからゴミの出ようがない。
それに当時の神宮球場はバックスクリーン以外フェンスにも一切の広告がなくて整然と見え、それに妙な誇りをも感じていた。
なんと素晴らしい野球場。

観始めたのはたぶん武上監督がやめる頃だったと思う。実に弱かった。
次の土橋監督が熱血漢でカッコよかった。けどやっぱり弱かった。
彼は審判の微妙な判定に重そうな身体で出てきて物凄い剣幕で怒るんだ。
手は出さないけどお腹を突き出して審判をツンツンして威嚇するんだけど、その姿は今のつば九郎みたいだった。
球場が空いてるから土橋監督の“べらめぇ~調”の声もよく聞こえたし、客席からのセンスのいいヤジもよく聞こえてきてとても楽しい。
そんな神宮球場で野球を観てると、東京のど真ん中なのに子供の頃指折り数えて楽しみにしていた花火大会に行った時の様な気持ちになれた。
ヤクルトが強いとか弱いとかではなくて、もっとかけがえのない価値観が頭の中を占め、もう僕は神宮球場とヤクルトの虜になったのだ。

“ヤクルトファン”を始めたものの家からは遠いし、少ない小遣いではそうそう行けるところではなかったけど、1985年にマイルス・デイビスのレコードを貸してくれた姉の当時の彼氏が何度か野球観戦の機会を与えてくれた。
少し大きな会社の広報部に勤めていた彼は接待用に会社が契約しているシーズンシートでヤクルトファンの僕をよく野球観戦に連れて行ってくれたし、未成年の僕にビールもおごってくれた。
更に会社で捌ききれないチケットは最終的には姉経由で僕の手元に届き、そのたびに一人でバックネット裏の“いつもの席”に座って野球を観る。
今から思うと彼は親に会う前に弟から落とす作戦だった…、で間違いない。
こうして一人でもよく行ったけど歴代彼女、歴代奥さん(何人おんねんっ!)、歴代親友女子構わずヤクルトファンに染め上げた。
それまでヤクルトにからっきし興味が無かった人を球場に連れて行って応援グッズを買わせたのは数知れず、30人じゃきかないかもしれない中々の功労者。
理由は簡単、ヤクルトファンの友人を探すより作った方が断然早いから。
学生時代にはガラガラのライトスタンドで合コンもしたが、それには問題もあった。
野球そっちのけで女の子と楽しく会話をしていると、いつも必ずいる目を合わせてはいけない“黒ぶちメガネのオッチャン”が走ってきて怒るんだ。
『しっかり見て声出せっ!声をっ!!』
これがまた恐いんだ。
で、その“黒ぶちメガネのオッチャン”の目の届かない所に逃げたし、行くときは“黒ぶちメガネのオッチャン”の居場所を確認してから陣取ることにしていた。
それが岡田さんと知ったのは恥ずかしながら数年してからだったと思う。。。
ヤクルトファンの応援スタイルやファン気質はは今でもとても好き。
語り尽くせなくて長すぎるので、更に③につづく。。。