みなさん、ホントにごめんなさい。
その昔3年間だけジャイアンツファンをやってましたm(__)m
部屋の壁には若大将・原、青い稲妻・松本のポスターが貼ってあって、発売日になると月間ジャイアンツが本屋から自動的に配達されていた暗い過去。。。
過去は消すこともリセットすることもできない。
でも暗い過去、辛い過去、思い出したくない過去も時間が経てば必ず将来の糧になるし、これから自分が生きて行くためには結果的に必ず必要なものだったんだと思える時が必ず来るんだ。
(ジャイアンツごときで大袈裟?)
それにジャイアンツファンをしていたからこそ球団の嫌いな所、面白くないところを知り、今正々堂々とアンチジャイアンツを名乗り、悪の道から更生して社会復帰した経験もその後の人生に生きる。
(これも言い過ぎ?)
父上は子供の頃から巨人ファンだったらしく、巨人が負けてると機嫌が悪くなってその辺に当たり散らす人だったし、今も大して変わってない。
でもそこに影響されたわけではないのは確か。
子供の頃、原辰徳が高校野球で活躍してたのを鮮明に覚えてたんだ。
そして江川事件の後の巨人が珍しく(たぶん)ズルい事をしないドラフトで彼を引き当てた。
実は言いにくいことがもう一つあって、クラスに熱狂的巨人ファンの女の子がいて、その子と話を合わすため、一緒に後楽園球場に行きたかったんだ、たぶんそんなところ。
(動機が不純だけど、男なんてそんなもん)
で、彼らの野球を3年見たけど、これがまた強かった。
確か3年見たうち2回リーグ優勝したと思う、いわゆる藤田一次政権。
強すぎて飽きちゃった。
(決してその女の子にフラれた腹いせとかではない)
今から思うと“飽きた”と言うのは裏を返すと周りに巨人ファンが多すぎた、と言うのが根底にあった気がする。
すると、このご時世にいまだに学生運動をやってそうな風貌のお兄さん、を持つ友達がヤクルトファンだった。
彼も少し前の言葉で言ういかにも反主流派。
ある日、空地でキャッチボールをしながら彼は言う。
『え゙っ!?まさかまだ巨人ファンやってんの?恥ずかしくないの?』
汚い物、軽蔑してやまない物を見る目線で言う。
まだ青い少年の心にグサッときた。
『ヤクルトはな~、外苑前だぞ!!青山だぞ!!銀座線だぞ!!』

『おぉ~っ!カッコいい!!』
都会に憧れる千葉県民、水道橋より青山の方がオシャレであることくらいは知ってはいたものの、今から考えたらその理由付けもなんだかな~。

でも確かに後楽園には場外馬券場やらがあって、出掛ける時は母上が心配していたのを思い出す。
『変な人について行ったらアカンで~』なんて言ってた。
というわけでとりあえず神宮球場に行ってみたのが、たぶん1983年の夏だった。

あまりに長いので…②へつづく。