空気を入れても暫くすると凹んでしまい、もう空に舞うことのないラグビーボール。

僕が神宮球場に最初に行ったのが1983年で、秩父宮ラグビー場に初めて行ったのはたぶん1980年の冬だったと思う。
少し年の離れた姉が当時ラグビーの強い学校に通っていて、年末に秩父宮ラグビー場へ観に出掛けたのが最初だったんだ。
旋風を巻き起こしたそのチームは若さと組織力があって僕はラグビーの魅力に取りつかれた。
祖父が昔とある大学のラグビー部の部長をやっていたらしくてラグビーが大好きな人だった。
京都に帰省すると祖父の家にある寄せ書きがしてあるラグビーボールでよく従兄弟と遊んで祖母に叱られた。
きっとあの形に魅せられたんだ。
中学か高校にラグビー部があったら抵抗なくやっていたかもしれない。
たまに観に行っていたラグビーを頻繁に観に行く様になったのは1995年頃だと思う。
後に一緒になるその当時の彼女がラグビー好きだったからで間違いない。
彼女は女性ならではのスポーツへのアプローチで、ルールはあまり知らないけど選手はよく知っていた。
付き合いだした頃からデートがてら秩父宮ラグビー場や国立競技場へ大学や社会人問わず試合を見に行き、寒さに震えながらポットに入れたミルクティとひざ掛け一つで身を寄せ合って観ていると幸せな気持ちになった。

ラグビー観戦帰りのある日、たまに飲みに行く居酒屋でラグビー談義をしていたんだ。
そこへ店の主人がやってきて一緒に熱く楽しくラグビーの話をしたのが運の尽き。
その2週間後、僕は新品のラグビースパイクを履いて荒川河川敷の雑草の生い茂るラグビー場に立っていた。
ラグビーはたくさん観てきたし、毎年大きく変わるルールは毎年ルールブックを買って把握してるつもりだった。
誘われた時は居酒屋の草野球チームに参加したつもりになっていて、当時は体力にも自信があったし心の中では大した不安はなかった。
『まあ、なんとかなるっしょ…』
大間違いだった。
見よう見まねでアップに参加した後、彼らの試合を見て背筋が寒くなった。
そこで行われいてるラグビーは秩父宮でやってるラグビーと大差無いラグビーだったのだ。
聞くと強豪校ではないが殆どが大学ラグビー経験者で、チームは東京都2部、もう少しで1部に昇格して秩父宮でラグビーがやれてテレビに映るレベル…。
タックルする時の恐さ、密集での痛さを知ってからラグビーを見る見方がすっかり変わった。
それからというもの華麗なパス回しからのトライなんてどっちでもよくて、刺すようなタックルにブレイクダウンからの素早い球出し、ハイパントへのFWの集散の速さに鳥肌が立つようになった。
つらい仕事を果敢に目立たず確実にこなすプレーヤーが一番カッコいいのだ。
密集から抜け出て全力で走ると正面にはフルバックの選手が一人の場面。
交わしてると追手に追いつかれてしまうので正面衝突覚悟で突っ込むと、みぞうち辺りに肩が入って片足をしっかり捕まれ一瞬息が止まる。
身体が“くの字”になって倒れそうになると不思議と必ずいる味方のフォローの声が聞こえて倒れ込みながらその方向にパスを出す。
土に顔を埋めながら味方の選手がゴールへ向けて走る後ろ姿を見る瞬間がトライした時よりも何よりも一番やり甲斐と達成感を感じる不思議なスポーツ。

ラグビーに魅せられたわけ。
それは個人成績がほとんど取り上げられず、“勇気と献身”により成立してるこのスポーツのまさに“one for all”の精神とそのやり甲斐に魅せられたからなのだ。