ベッケルの小説とサンヘロニモ墓地 | スペイン鉄道暮らし

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今回は長文になりそうなので、いつもと文体を変えて、文学の世界に分け入ってみよう。

セビーリャ生まれの夭折した詩人、グスターボ・アドルフォ・ベッケル(183270)が後世に残した短編集は、スペインのロマン主義文学の傑作の一つに挙げられる。その中に、1862年に書かれた「旅籠屋ねこ」という作品がある。町の北に位置する界隈が舞台で、短いながらも当時の情景が鮮やかに描写されており、前半に表現された光と、後半を包む暗い影の対照が印象的である。


19世紀半ばの話であるが、簡単なあらすじは次のとおり

作者が初めてこの地を訪れた時は、明るく楽しげな集落であった。ギターの伴奏で歌いさざめく一群の若者たちに出会い、中でもとりわけ美しい少女の肖像を描いていると、その絵を旅籠屋の息子であるギター弾きの少年が所望した。どうやら二人は許婚者の仲らしい。幼い頃から兄妹のように育ったが、少女は孤児院から引き取られた娘なので、血は繋がっていない。やがて幸せな夫婦になるであろうことは見てとれた。

約10年後に再訪すると、すっかり様子は変わっていた。老いた旅籠屋の主人から、後の顛末が語られる。付近に墓地ができたので、すっかり陰気になって人々も去り、寂びれ果てた。不幸は数珠繋ぎでやってくる。娘は富裕な名門の生まれとわかり、無理矢理に引き取られていき、引き裂かれた恋人たちは会うすべもない。

ある日、葬列が旅籠屋の前を通った。棺からはみ出した手は、まさに娘のものであった。豪奢な邸宅の生活に慣れず、少女は憔悴して短い命の炎は消えた。

最愛のひとを永遠に失ったことを知った若者は、正気を失い、物も食べず、沈黙の中で在りし日の少女の絵姿を見つめて暮らしている。その物悲しい歌が作者の耳に聞こえてくる。


現代に至って、周辺は再び大きく様変わりしている。この都市最大の墓地として拡張を続けて、近代的な斎場火葬場も建設された。特に1990年代からの周囲の開発は著しく、広いバイパス通りの両側には続々とマンション群が立ち並び、大型スーパーや車のディラー、倉庫や工場も進出している。

帰り路は一人少ない野辺の道・・とはベッケルの一節だったろうか。この墓地の存在は、時代は移り替わっても拭い難い影を落としているように見える。
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サン・フェルナンド墓地前の廃線トラム軌道。かつてこの広場は転回場であったことがわかる。身辺
に不幸がないと滅多に来ない所であるが、立ち寄ったついでに撮影。


21世紀を生きている我々は、このようなロマネスクな物語とは縁遠くなってしまったが、死という現実を前にした人間の感情には、昔も今も違いはない。
実は、ここ数日のうちに、日本の親戚筋でお世話になった人と、スペイン人の知り合いが亡くなった。それぞれ60歳、49歳と若かった。原因は癌および心臓発作である。半世紀も生きていると、この世代で逝くことを「若い」と表現するようになる。


なにぶん急なことであるし、親等が近しい家族ではないので、帰国するほどではないが、地元の方はサン・ヘロニモ斎場で夕刻にミサが行なわれるという知らせを受けて出かけた。旧市街マカレーナ地区から北に向ってしばらく行くと、サン・フェルナンド市営墓地がある。19世紀に墓地が造られた頃の物語が、先に紹介した一節である。


その後150年余りの歳月が流れ、それぞれの時代を築いた地元の名士たちが多く埋葬されている。 有名な闘牛士や芸能人、フラメンコ界の人物もおり、豪華で芸術的な墓碑銘が特徴である。日本の墓地のような陰鬱な感じは少なく、これに似た光景はミラノやブエノス・アイレスの墓地でも見たことがあるが、一部はまるで彫刻博物館のような風情である。


そこの礼拝堂かと思ったら、そうではなかった。花屋で尋ねると、さらに先に新設の民営斎場があるという。スペインの葬儀には喪服や礼服を着る習慣がなく、参列者は皆、普段着である。斎場は火葬場を兼ねており、荼毘に付した後に付属礼拝堂でミサを行なう。日本のようにお骨納めをすることもなく、香典や焼香も、遺影もない簡素なもので、家族や友人の間に混じって、仕事上の知人の面々も参列していた。ただ悲しみと沈黙・・冥福を祈るよりほかはない。