ドイツ帝国時代の王室専用駅
日本のガイドブックには載っていませんが、駅の案内所で買った地図の中に発見。
サンスーシ宮殿を見学した後、市バスで新宮殿を経由して帰り道に立ち寄りました。
まるで城館のような風格 ゲートにあった説明板を読んでみると・・
プロイセン王・ドイツ皇帝 ヴィルヘルム2世(1859~1941年)の治世下
建築家エルンスト・エーベルハルト・フォン・イフネ(1848~1917年)
1909年 開業 英国のカントリーハウス風に設計
1990年 東西ドイツ合併、ドイツ連邦政府の所有となる
2002年 ドイツ鉄道の管轄となり補修工事
2005年 ドイツ鉄道(DB)アカデミー設置
扉のガラス越しに客車が保存されているのがわかります。
中には入れず、幌部分しか見えませんが、皇帝御料車でしょうか・・? なんとなく心惹かれます。
プロイセンが普仏戦争に勝利した後、ドイツ皇帝に即位したヴィルヘルム2世
ハプスブルク家オーストリア帝国のフランツ・ヨーゼフ帝と並んで
19世紀後半から20世紀にかけての全盛期と衰退滅亡期に君臨した旧体制のラストエンペラー。
辣腕の鉄血首相ビスマルクと共に歩み、後に袂を分かち、傲慢な帝国主義を進めて
第一次大戦で敗北するに至る過程は、まさに近代ドイツの栄光と挫折の軌跡です。
同時代の他国の君主たちからも畏怖憧憬され、良くも悪しくもドイツという国家を体現した人物といえましょう。
この時代の日本も、国家体制や技術の多くをドイツから学んでいました。
ドイツはオスマン・トルコ帝国と友好関係を結び、3B政策を推し進めて、3C政策のイギリスと対立します。
3Bとはベルリン、ビザンチン、バグダットを指し、3Cはカイロ、ケープタウン、カルカッタを指す略号。
皇帝の構想の中では、鉄路はこの地から遥かな中東アラビア世界まで伸びていたのです。


