ヴェローナ 人口27万人
中世の自治自由都市 皇帝派の拠点
13~14世紀は領主制国家 領主はスカラ家
その後ミはラノの支配を受け、15世紀からベネチアの支配下
2000年に世界遺産登録
この街を訪れたのは,クロアチアからの帰り道で、明日はベネチアを発ってスペインに帰る前日でした。
早朝にプーラから乗った路線バスが休憩したサービスエリアでポスターが目にとまったのが事の始まり。なんと当日夜のヴェローナ音楽祭の演目は、ッチーニの「トスカ」。これは絶対に見逃せない、千載一遇のチャンスとばかりに、メストレ駅のネットカフェで手配に着手。
まずオペラの切符が取れるかどうか、次に宿の確保です。幸運なことに旧市街のホテルで唯一の空き室が見つかり、早速電話すると、最上段の自由席ならば当日券が安く入手できることを知ってGOサイン。翌朝の夜明け前の列車で戻り、そのまま空港に向かえば万事OK。
即座にヴェローナ行きの特急乗車券を買いました。こうして1時間足らずのうちに、ベネチアの陸側のメストレ駅からヴェローナに向かっていました。
シェークスピアの戯曲「ロメオとジュリエット」の舞台となった有名なバルコニー
上からのアングルはレアかも
映画 ロミオとジュリエット 1968年 フランコ・ゼフィレッリ監督
http://www.youtube.com/watch?v=z2AS5pJjuyg
http://www.youtube.com/watch?v=i928dOYLfMQ
昔の映画は映像が綺麗でロマンチックですね
さて、たしかに、ロメ&ジュリは涙なしでは見れない純愛悲恋物語ですが、当時の時代背景にある、ゲルフ党とギベリン党の闘争という事情も考え合わせてみないと理解できない面があります。
ロメオの家とされている館は小さく、両者の権勢の違いは一目瞭然、しかも教皇派に属していた宿敵。ヴェローナは皇帝派に組していましたが、当時のイタリアの状況では劣勢に立たされていました。町の名門キャピュレット家のご令嬢が、家格が違い、しかも敵方のモンターギュ家に嫁ぐということは、即ち敵側に譲歩ないしは内通するも同然と見做されかねない状況だったわけです。愛し合う二人のあずかり知らぬところで冷酷な政治の力学が作用していました。初めから許されない恋だったのです。しかしながら、登場人物の中に悪人はいません。各人が自分の立場と信念に従って行動しているにもかかわらず、悲劇へと辿り着くわけです。
ラストシーンは、無益な派閥抗争によって、無辜の犠牲となった恋人たちへの追悼で締めくくられています。
視点を変えると、シェークスピアが生きていた以前のイングランドで繰り広げられていた、ヨーク家とランカスター家によるバラ戦争という背景が二重写しになり、時の権力者の反省を促しました。
いつの時代にも繰り返される派閥闘争の悲劇と犠牲者。そこに、この物語に感動を覚える観衆を導く祈りが込められているような気がします。
古代ローマ闘技場
ローマのコロッセオに次いで第2の規模
紀元1世紀に城外に建造された闘技場を3世紀に移設
楕円形アリーナ 長さ152m 幅128m 2万2000人収容

1913年以来、毎年開催されている夏のオペラフェスティバル
かねてからの念願だったヴェローナ音楽祭のオペラ観劇、感激でした。


