参拝日 2024年6月30日(日)

 

大学の友人たちと南砺市に行ったことを前回のブログで書きました。

 

旅行2日めの朝に城端(じょうはな)別院 善徳寺へ行ってきました。

 

聴講生として通っている大学で、本願寺が東西に分派するところについて授業を受け、関連する本を読んでいたら、城端別院が出てきたので、興味を持っていました。

 

授業の件は、下の方で書きます。

 

 

さて、雨の中、城端別院に到着です。

 

山門の中から写した写真です。門の端は、補強されています。外の方も同様です。

 

 

立派な本堂です。

 

 

本堂の奥に阿弥陀如来像があります。写真は小さくてわかりにくいですが・・・。

 

南無阿弥陀仏🙏

 

 

本堂の中では法話がされていました。

 

城端別院のHPによると、本堂は再建されて250年経ていますが、その間一度も火災で焼失していないそうです。

 

 

鐘楼堂です。

 

 

同じく城端別院のHPによると、「午前6時の晨朝勤行30分前に打ち鳴らされ」ているそうです。

 

 

 

蓮如上人像です。蓮如上人像は初めて見ました。蓮如上人についても下で書きます。

 

 

ちょうど蓮の花がきれいに咲いていました。

 

 

葉の真ん中に雨がたまっていますが、菊の紋のように見えました。

 

 

 

 

さて、本願寺が東西に分派するところについてですが、読んだ本は下記の通りです。

 

「教如上人と東本願寺創立」(教学研究所 2004年、東本願寺出版部)

 

 

信長と戦争をしていた時は、本願寺は11世顕如(けんにょ、1543-1592年)の時代でした。

 

顕如は信長との和議を受け入れ、戦いを終結させました。

 

しかし、顕如の長男教如(1558-1614年)は、和議を受け入れずに徹底抗戦を唱え、大坂(石山)本願寺に籠城しました。

 

かつて長島で和議を結んだにもかかわらず、信長が真宗門徒を惨殺したため、信長の和議は信用できないとのスタンスでした。

 

結局、顕如は教如を義絶します。

 

最終的に教如は、大坂本願寺を出ることになるのですが、その後流浪することになります。

 

そこで上記の本からの引用になります。

 

「近年の研究では、流浪していた地域は美濃の郡上八幡を中心とし、北陸の越中(富山県)城端方面、あるいは尾張・三河(愛知県)の北部・山岳地帯と考えられる」

 

「郡上八幡付近の越前街道を北上すると、越中(富山県)善徳寺(城端別院)に通じている。同寺の空勝は教如支持の最も有力な一人として知られており、先述の地域に教如が身を潜めたことと関係していたとも考えられる」

 

「それは単なる流浪ではなく、いわば「教如教団」の萌芽・形成期であったと言え、それが後に東本願寺を創立・別立することに結果的につながっていくのである。」

 

 

信長は、石山合戦終了の2年後の1582年に本能寺の変で亡くなり、それから顕如と教如は和解します。

 

1592年に顕如がなくなると、教如は本願寺を継いでいます。

 

しかし、教如は弟准如(じゅんにょ、1577-1631年)との後継争いが生じ、秀吉の裁定で准如が本願寺を継ぐことになってしまいました。

 

 

その後、家康の時代になると家康から寺領を寄進され、教如が東本願寺を創設しました。

 

准如の本願寺を西本願寺と呼んでいます。

 

城端のことを書きたかったので、詳しいいきさつは省きました。

 

 

銅像のあった蓮如(1415ー1499年)ですが、顕如の3代前の本願寺8世になります。

 

蓮如には、13人の男の子と14人の女の子がいたそうです。ここだけ取り上げると本当に僧侶か?と思ってしまいます。

 

一般に蓮如は、「浄土真宗中興の祖」といって、衰えていた浄土真宗の教えを復興させたと言われていますが、大学の授業では、当時の教えは衰えていなかったので、この表現は必ずしも正しくない、とのことでした。

 

蓮如の布教活動により、浄土真宗教団ができあがったので、影響力は他の歴代と比べて多大であったようです。

 

たまたま最近読んでいた本と行った場所がリンクしたため、書かせていただきました。

 

 

 

歴史は得意でないですが、こういったリンクが面白いです。

 

上記の本には、金森長近も登場します。「利休が開催した茶会に秀吉、教如、金森長近らが招かれ・・・」と書かれています。

 

今回高山を散策して旧高山町役場に行きましたが、金森長近は秀吉の命で高山に入って、高山の町並みの基礎を作ったそうです。

 

 

ふだん知多半島のお寺巡りが中心ですが、少し足を延ばすと楽しいものです。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。