書くことの作法・2 | ラッキースターボクシングクラブ               「明日もラッキースター」

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前回、「文章を書くときに、読む人をイメージして書いている」と述べた。

読む人、すなわち語りかける相手をイメージしないと、

伝わる文章を書くことが難しい。

何が言いたいのかわからない、

1人でよがっている自己満足の内容になってしまう。

それは自分のために書く日記や備忘録ならいいが、

ブログ等で誰の目にもふれる形で公開しても、

個人の趣味の範囲なら問題もないだろう。

自己満足がみえみえの何がなんだかわからない文章を

他人にさらして喜ぶ趣味があろうと、誰も文句を言わないだろう。

誰にも迷惑がかかるわけでもない、

書いている本人がばかにされるだけだ。


ただ、その文章で対価を得るとなれば話は別だ。

原稿料をもらって書く、給料をもらっている仕事の一環ととして書く、

直接の対価がなくても、広報や宣伝目的で書くとなれば、

1人よがりの自己満足文章であってはならない。


少し前に、小さな訃報が流れた。

ある芸能人、というより芸人が事故で亡くなった。

何年前になるか、その芸人がテレビに出演していたのを目にしたことがあるが、

「何がおもしろいのか?」といった感があった。

幼児ならおもしろがるだろう。

実際にその場でのウケはほとんど得られず、失笑をかうだけであった。


そのことについて、その芸人は

「おもしろくないですか?」

「わからん人にはわからなくていいんです」と

最低といえる言葉を吐いた。

プロとして、対価をとって芸をするなら、それに見合う芸をすべきだろう。

受け入れられないなら、研究を続けて芸風を変えるか、

芸を磨いて研ぎ澄ませるかすべきだ。


その芸人について「出てくるのが10年早すぎた」と言った方がいたそうだが、

私は逆に「50年遅かった」と思う。

その芸人がもし本当に突出した才能や技能を持ち、

高い感性を持つ方々をうならせる高度な力を持っているなら、

それをわからない方に対して

「わからん人にはわからなくていいんです」などと言うことはない。

少しレベルを落として、万人に受け入れられる芸を見せてくれるはずだ。

「大は小を兼ねる」の言葉どおり、場と状況、相手に合わせて動けるはずだ。


力がないのに力を持っているふりをして、

芸を磨くことをせず、レベルの低い芸しかできないまま時代に置き去りにされ、

相手を見下した態度をとり、そこでやっと苦笑や失笑といった「笑い」を得る。

それは、自己満足のくそ文章を平気で公開し、

「別に、他人に読んでもらおうと思って書いているのではない」

「わかる人にだけわかってもらえればいい」

と逃げ口上や自分への言いわけを並べる行為と同様だろう。


プロの物書きは誰もが、自分の書いた文章に対して責任を持つと断言する。

それは、内容についての責任だけではなく、

それを読む方に対して、伝えたい内容を正しく確実に伝える責任、つまり、

「わからん人にはわからなくていいんです」などと

のたまうことはしないということだ。