完成の章_神の子が選ぶ未来 | 宇宙の知恵☆人生を歩む地図

宇宙の知恵☆人生を歩む地図

「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

 

 

 

潜在意識を浄化するのが幸せへの道です。
潜在意識を汚す、潜在意識に「錯覚ベクトル」を発生させる、
そうした「心を汚す三毒」貪・瞋・痴(とん・じん・ち)

を仏教でも戒めてます。
→  「完成の章_事象の苦」自分でもなるほど感充分でした。

 

 

「心を汚す三毒」欲望、怒り、迷い。
しかし、人間が赤ちゃんとしてこの世に生まれて、
幼稚園に通ってる頃まではさほど、欲望、怒り、迷いが
子供にあるとは感じられない。

私は11年間、送迎係として幼稚園に務めましたが、
ホントにそのくらいの年齢までは神の子って感じで、
可愛いいし、正直だし、無垢で、心はどの子も綺麗です。

そんな子供達が、卒園して小学校に行きますと、
次第に自我が芽生えてきて、まあ、生長してきますと、
「心を汚す三毒」欲望、怒り、迷い、に犯されてきます。

ではそれは、悪いことなのか……
いや、人間がホモサピエンスとして、この地球に
出現してから、独自の文明を築き、発展させてきた。

 

その原動力こそ、他の動物と違う心に仏性を備え、

そして「心を汚す三毒」欲望、怒り、迷い、までも

持たされた、人間の特性です。

――↑ ↓どこかで書いたことと、おなじ事を言っております――♪~

とは(ピンクの色です)

人間の本質、ホントの自分、主体、自分の霊、

潜在意識の中の錯覚ベクトルに惑わされない自分、

守護神、守護霊と同じく、そして空と同じ

永遠性、絶対性、普遍性、を備える、

人間は誰もそうした仏性(神)を持っている。

 

さて「般若心経」解読シリーズではもう一つの色があります。

です(茶色の色です)

「色」は物体だとか、人間の体であるとか、
そうした一般的な解釈もあります。
この物質世界で目に見える存在が色である、
そして、今一歩踏み込んで、人間の表面意識で感じる
意識、感覚、思い、想念、感情なども色としましょう。


原子力、車社会、インターネット、IT革命……
戦争、革命、虐殺、そして原爆、テロリズム……
明るい夢の未来から、人類滅亡の未来まで、
人類の未来は想像できてしまうところまで来た。

大切なのは、「思考は現実化する」
宇宙は「思いどうりに成る法則」に支配されてる。

未来は80億人を突破した地球人類の心の中、
我々一人一人の心の中で描く未来が実現するのでしょう。

 

――何を書こうとか、ほとんど意識せずに書いたのですが、

なんか、えらいところまで行ってしまった感じがします――

 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罜礙 無罜礙故 無有恐怖

菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙無し、罣礙無きが故に恐怖無くなる。

 

 

菩提薩埵とは、我々の生きるこの世界で、目覚めたいと望む人です。
その人が般若波羅密多を実践することにより、目覚めて、
心無罣礙、心に刺さってるトゲが抜けて、それ故に幸せになる。
そこで目覚める為に般若波羅密多の行を実践しなさい。


一番簡単で誰でも出来る般若波羅密多の行とは「瞑想」でしょう。
釈尊も「瞑想」によって、悟りを得たわけです。
古代インドの行者達も「瞑想」をしていたわけですが、
最終的に「瞑想」を目覚めの為に確立したのは釈尊です。


「般若心経」の冒頭に観自在菩薩が行深般若波羅蜜多時とは
深い瞑想の時にこの世は皆空として、すべては肯定される。
と説かれてるわけです。


では何故に「瞑想」によって心に刺さってるトゲが抜けるのか?
それは自然に抜けるわけではありません。
あくまでそれを抜くのは自分自身です、ですのでその努力は
貴方自身がしなくてはいけません。
他人には貴方の心に刺さってるトゲを抜くことは出来ないのです。


瞑想をしていると、あらゆる雑念が出てきます。
そうです、最初から無我の境地に入れる人はいません。
釈尊ですら、瞑想中に出てくる、ありとあらゆる雑念と欲望と
戦った末に、悟りを得たわけです。
瞑想とは、出てくるあらゆる欲望、煩悩の数々、
それらを一つ一つかたづけていく作業です。


それら湧き上がる雑念から、自分の持っている潜在意識の汚れに
気づき自覚することです。
そして、かたづける、整理していく、いらないものは捨てる。
潜在意識の中は欲にまみれた汚れでぐちゃぐちゃになっている、
それを整理しなさいということです。
それが心無罣礙になることです、心に刺さってるトゲを抜きましょう。
その片付け作業が終われば、そこまで行けたら、自力努力は
終わりです。


心無罣礙になれば、もう自力努力はいらないのです。
そこまでいけば、自分をとりまく社会はなんと素晴らしいと、
それは他力なのかもしれませんけど、幸せに向かいます。


オートマティックに幸せになってしまうのです。
自分一人で幸せになれる人はいません、社会という他力は必要です。
自分で作った檻から解放されて、社会の中で人生を自由に歩み、
幸せに向かう道とは――そんな道です。

 

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