テーマに戻る、それを求める時が来る | 宇宙の知恵☆人生を歩む地図

宇宙の知恵☆人生を歩む地図

「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

 

 

 

「被害者意識」と「偉い自分意識」を消す自明行はとてもしぶとく、
これが二大錯覚ベクトルでありまして、これに気が付き、この二つの
錯覚ベクトルを消し鎮めることが、最も早い、ホントの幸せを得る道である。

といいきって、間違いではありません。

世の中には、いろいろな宗教やら、哲学やら、心理学やら、人生相談とか、
まあ、溢れに溢れていますけど、この二つを意識して消し鎮めたら、
誰でも、幸せになれますよ、って凄い教えでしょうが。

そして、自分一人で、意識さえしていれば、ある程度は出来ますから
素晴らしいでしょう。

それが、ある程度出来たら、後に残る錯覚ベクトルを退治するのは
さほど、大変なことではないです。

まあ、女性にとって色情ベクトルといった、しぶといベクトルもありますけど、
これは個人差もあるので、まあ、誰にでも当てはまる錯覚ベクトルではないので、
これは、個別な問題として、個別コンサルで解決してくださいませ。

こうした道に関しての知識って、まとめてしまうとさほど複雑ではないのですが、
どうしても、宗教やらの、組織維持が主目的になってしまうと、やたらと
難しく、複雑化して、それを教えにする傾向があります。

仏教にしてもキリスト教にしても、釈迦やイエスが、そうした組織を当初から
望んでいたわけではありません、むしろ逆です。
しかし、教えが広まるに従い、組織が出来てきて、組織維持やら、組織拡大のため、
仏閣やら教義なり、修行法なり、戒律なり、そして献金の義務とか、色々な策が
構築されてきたわけです。

キリスト教にしても、古代ローマ帝国に取り入れられ、帝国の維持に利用されて
きたわけですから、本来、イエスがイスラエルの民を救おうと旧約聖書にある、
原罪を全て彼が受け入れようとその身を捧げたのですから、凄いですね。

まあ、それは歴史として、そうした宗教も人類文化に多大な貢献をしてきた
わけでもありますし、現代文明はそうした宗教に多くを依存して発展してきた面も
ありますので、文明発展にとって、必然だったのかもです。

おや、意識しないで、キーボードを打ち進んでいると、どうしても外れてきます。
私は、こうして外れるのって、結構好きでして、人生それがないと面白くないな、
と、常々思うわけです。

外れるけど、元に戻る。
音楽だとJazzのような感じです。
結構外れて、何が何だか分からないくらいになってから、
テーマに戻る、ってとてもいいですね、Jazz。

人生もそうなんですよね、生まれた時は「神の子」なのです。
生まれてから「潜在意識」の中に錯覚ベクトルを溜め込んでくるのです。

それは何故? って、それは人間のもつ自由性から来る、思考と行動から
生まれ出た錯覚ベクトルでありまして、自分と共鳴して生まれ出た思考です。
自分の望んだ思考です。

自我が芽生えて、個人の欲望やら執着やらから生まれる思考。
そして、それは「思い通りに成る法則」に従って生まれ出る錯覚ベクトルです。

しかし、「主体」から分離した状態の思考は、本来望むべき状態ではないことを
「主体」は十分知っているのです。

人間の自由意志から生まれる、全ての錯覚や矛盾は「主体」から分かれた
自分の自由性を与えられたが故に生まれるのです。

すなわち、人間の全ての苦しみの原因は与えられた人間の自由性が
「主体」と自分の分離を望んでしまったことによるのです。

しかし、この「苦」を正しく自覚することにより、やがて自分の自由意志で
「主体」を求める時が来ることを「主体」は知っているのです。

外れて、何が何だか分からないくらいになってから、
テーマに戻る、それを求める時が来る、Jazzと同じかな……

などと人生を思うのです。
 

 

 

人生はJazzのようだ、と書いたので、久しぶりにハービーハンコックで

どなたでも知ってる名曲「枯れ葉」です。

スタート部分だけはテーマをちょこっと演奏しますが、その後はほとんど

自由ですね、最後の方にちょこっとテーマに戻るけど、又外れる。

緊張する演奏です、名演かな。