照見「五蘊皆空」 | 宇宙の知恵☆人生を歩む地図

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「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄


観音様が深い瞑想の時に見きわめた「五蘊皆空」とは?
五蘊の中には「空」が満ちている。

では五蘊ですが、色受想行識を五蘊と言います。

そして色受想行識とは? まずは初期仏教の立場から
は人間の体であり、その体で感じる精神作用が受想行識です。

受想行識とは、物事をけて、感じって、その結果いが発生して、
そして物事を認する。
それが受想行識、人間の物事を認識する過程です。
それを精神作用と言われます。




まあ、今更そんなに説明しなくても、わかっている人には当然でしょう。

人体を五蘊とするなら、「驚異の小宇宙人体」と言われるところでしょう。
物理的な未知の部分もさることながら、精神的、霊的な未知の部分は
計り知れない深さもあろうと、ますます興味の引かれる人間です。

般若心経的に言うなら「色即是空」「空即是色」とは?
人間とは、「空」から来て、そして「空」にやがて帰る、そして今も
霊的本質である「色」から「空」へ、「空」から「色」へ降りる。
遠慮することはありません、貴男も、貴女も、皆さん神の子なのです。

 

――「空」ってなに?――
全ての根源。
普遍の真理。
宇宙の創造、秩序、生命。
ソース。
超越意識。


ここで五蘊の解釈を広くして、人間をとりまくこの現実世界とも
解釈されます。
色が目に見える物すべてで、受想行識がそこで感じられるすべてです。
そして、この現実世界は皆空である、ということです。

ということは、この世界で起こるすべてのことは必然で、

肯定されるべき出来事である――

はい、皆空ですから、とても難しい解釈です。

自分の身の上に何か理不尽な悪いことが起こったとしても、

それを肯定して受け入れなさい、という教えです。

ここで観音様は、君たち人間、そして君たちをとりまく社会は
「五蘊皆空」としてすべて肯定されているのだとおっしゃったのです。
であるがゆえ、君たちのすべての苦しみはなくなるのです。

では何故にこの世に苦しみが存在するのだろう……
それは、君たち自身でその苦しみを創造しているからなのです。

この世の中は思いどうりになる宇宙の法則に支配されてます。
そして人間は創造という神の意思、能力を授かってます。

このことに気づきなさい、目を覚ましなさいと、観音様は言ってます。
君たちは神の子である、それに気づきなさいと言うことでしょう。
気づいていないから、気づかせるために「苦しみ」を与える。

「苦しみ」を生じる例えとして、人間は嘘をつきます。
その嘘を嘘として自覚していない嘘も多いのです。
では、神様は嘘をつくでしょうか? 嘘をつく必要がないのでつきません。

では人間の嘘に対して、君たちは神の子であるから嘘をつく必要はないと
教えようとします、そこに人の感じる「苦しみ」が生じます。


嘘とは真理に唾する行為です。
では何故に人は嘘をつくのか……
嘘には、知ってつく嘘と知らずにつく嘘とあります。
知ってつく嘘は自覚しているので、罪の意識もありやがては反省され
消えていく嘘です。

しかし知らずにつく嘘は、知ってつく嘘よりも何倍も多く、何倍も
その罪は重いのです。


知らずにつく嘘はそれと分からないように巧妙にあなたを騙しながら
出てきます。

例えば……
打算を隠した親切や思いやりを装って……
不満を隠した正義の顔を装って……
傲慢を隠した謙虚な言葉を装って……
駆け引き、作為を隠した正直さを装って……
言い訳に筋の通った理屈を装って……
知らないのに知ったフリを装って……


これらの装っては、すべて自己正当化の嘘です。

人はどうして主体の立場を忘れて嘘をつくのか?
自己の利益を保つため、自己の責任を逃れるため、
自己の過失行為を正当化するため、嘘を並べて、
自分を被害者に仕立て上げる。

自分自身も自分の嘘に「私は被害者」だと騙されてしまう。


こうした嘘は主体、守護の神霊(守護霊、守護神)の導きからすれば
望まない方向、思考ですのでネガティブで暗い感情が生まれます。
感情という人生のナビゲーションシステムは素晴らしい指針です。
それが「苦しみ」です。



「苦しみ」には隠れた守護の神霊の導きが隠されているのです。

常に「救われ」は守護の神霊の強い導きによって為されるのです。

つまり、そこに運命的な困難があっても、苦しい出来事があっても、
悲しみの出来事があっても、それは守護の神霊の導きなのであり、
全てに意味があり、すべては肯定されていることになります。

「五蘊皆空」
とは、まさにこうした意味でありまして、全ては肯定されうる。

善悪二元論を超えた一元論の世界観なのです。


「照見五蘊皆空 度一切苦厄」