ナムチャバルワの記事を集め、新聞をコピーし、自宅でスクラップ作業を続けながら時々ほかの記事に目を通していると、結構面白いのが見つかったりする。

 

過去にも植村直己の記事を集めている時に、髪の毛が伸びる人形の記事を見つけたことが。

 

 

 

 

 
 
これだから過去の新聞は面白い。インターネットだけでは絶対に見つけることのできない発見があるのです。
ネットに依存しないで、過去の新聞に目を通しましょう! 
 
さて今回見つけたのは天草四郎のこと。
 
 
島原の乱でキリシタンの旗頭となり、足掛け四か月90日間にわたる籠城戦でついに力尽きた少年武将。
すでに歴史に興味を持ち始めていた小学生の頃に、この人を主人公にした伝記――おそらくは戦に至る流れを別にすれば完全にフィクション――を読んだことがありました。こういう悲劇的な人物は物語になりますね。
 
自分はキリスト教への信仰はないものの、ミッション系の学校を出ていることもあり、キリスト教そのものについては結構興味を持っています。
そして江戸時代のキリシタンのことにも。
 

 

このキリシタンへの興味は芥川龍之介の影響が強いのかもしれません。

 

天草四郎、日本での評価はともかくとして、なんと総本山のローマでは逆賊扱いされていたのだとか。

これは驚きました。幕府はキリシタンを弾圧する側であり、つまりローマとは敵対する関係のはず。

どうも反国家的な乱を起こしたのがローマ的には大罪らしい。

 

しかしです。

わかりやすく言えば、天草四郎側は搾取され生きていくことすらままならない人々であり、問題は税を取り立てていた天草・島原の藩主にあるはず。

年収500万の人が所得税で600万取り上げられるようなものだったのです。

 

ここで天草四郎の復権のために動いた方々は決してキリシタンではないでしょうが、やはり地元熊本県の庶民を解放するために戦った人を悪く言われるのは気分いいはずがない。

 

平成三年十月の記事。

それから30年以上が過ぎているのですが、天草四郎の復権は叶ったのでありましょうか。